2013年2月7日木曜日

『法華経の省察』メモ

『法華経の省察 行動の扉をひらく』ティク・ナット・ハン著/藤田一照訳(春秋社)

前から名前をよく聞いていたベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハンさんの本を拾い読み。印象に残っている箇所を3つ、メモしておきます。拾い読みをしたのは、私では通読するのが難しく、読み込めないから。目に飛び込む印象的なフレーズを拾っていったのみ。一呼吸・一瞬・一生の大切さを再確認。

〈簡単な略歴〉
1926年ベトナム中部に生まれ、1961年プリンストン大学で比較宗教を学ぶ。ベトナム戦争に際し、僧院での瞑想に葛藤。その後、〈行動する仏教〉を目指し世界中を回り布教活動を行う。フランスのプラムヴィレッジ在住。



─────────────まえがきにて
私は、毎朝毎晩、座禅道へ向かうとき、新鮮な空気と一歩一歩を深く味わいながら、ゆっくりと歩きます。そうやって静かに歩いて、呼吸を大切にし、歩くことと呼吸に集中することは、誰もが日常生活の中でできることです。たとえば、仕事場から駐車場、もしくは家の玄関から駅までの距離を自分の歩行瞑想の場所と決めて、その間を歩いているときは、悩んだり、心配事など全て忘れて、歩くことだけを楽しむのです。このような日課を身につければ、心は安らぎに満ち、ストレスは減ります。誰もが、いつでもどこでも歩く瞑想を実践できます。


─────────────第25章大地を支える者と大地の蔵にて
家族、社会、伝統の中にしっかりと根をもてない人は餓鬼になってしまう。その人はどこに行ったらいいのかわからない。何も、だれも信じない。こういう人に出会ったら、その人の歩き方、外見、行動の仕方で、すぐに見分けがつく。かれらのなかには多くの苦しみがある。かれらの根が切断されてしまったからだ。家族のなかに根を持っていないから、実際上かれらには家族がいないのと同じだ。おそらくかれらは自分の両親が互いにどのような振る舞いをしたかを目にして、結婚やパートナーシップを持つ気をなくし、家族を自分で育てる気がしなくなったのだろう。かれらは健康で、愛情のある人と人との関係を頭から信じていないので、自分の家族を拒絶し、親しい絆を作らない。だからこそとても苦しむのだ。


─────────────第34章瞑想にて
われわれには自分はずっと同じ人間のまま変わらないでいる、そして愛する人もずっと同じままでいると信じる強い傾向がある。しかし、これは思い違いでしかないのであって、それこそがわれわれがもっとマインドフルにそして慈悲深いやりかたで生きていくことを妨げている。もし愛するあらゆる人、あらゆる物がいつでもそこにあると信じていたら、いまここでそれを大事にすることなどほとんど考えられないだろう。愛する物や人を失ったとき、われわれは苦しむ。しかし、その物や人がまだ自分の人生のなかに存在していたときには、それを大切にしたり、その人がいることを本当にありがたいと思ったりはしていなかったのだ。それは無常についての洞察を欠いていたからだ。無常についての洞察を瞑想的気づきの対象にすること(観無常)はたいへん重要である。この洞察をもつことが慈愛と慈悲と不可欠の要素であるからだ。
無常の光のもとで自分自身や愛する人たちを深く観るとき、自分や人々に喜びをもたらすには、たった今何をすべきかがおのずからわかってくる。誰かに腹を立てるとすれば、それは無常の洞察と無我の洞察が欠けているからだ。われわれは幸福というものは個人の問題だと考えている。しかし、インタービーイング(相互的存在性)のあり方を深く観るとき、他の人が苦しんでいるなら、われわれが本当に幸福になることはできないということがはっきりとわかる。

2013年2月5日火曜日

『やがて哀しき外国語』メモ

『やがて哀しき外国語』村上春樹・講談社文庫 
読書メモとして残しておきます。

この本は、村上さんがプリンストン大学に在籍していた1991年から2年半くらいの間を文章にまとめたものです。

私の大学時代の恩師・原彬久教授もかつてプリンストン大学に客員研究員として在籍していたと聞いていました。私は「どんなところだろうなぁ・・・はぁ・・・」ってくらいなことでいました。それがこの本を読んでプリンストンの街の空気感、大学の学風などがよく伝わりました。偶然だが、村上さん同様、原教授もフォルクスワーゲンに乗ってた。これがコレクトな答えなのだろうか(笑)。読んでいただくとわかります。
あとがきもけっこう熱がこもっていて面白かったです。

〈印象に残ったところ〉

日本における団塊の世代である自分たちが何を問題にして、何を実行しているかと考えるが、いまいちイメージがわかないとしている。
─────引 用─────
それにあえて言うまでもないことだが、地域的な環境保全だってずいぶん重要な問題である。「そんなことよりもっと大きな問題があるだろう」と非当事者が言うのは簡単だけれど、まず自分の庭の樹木一本から始めていくというのは、それなりのひとつの見解ではある。「問題が大きすぎる」と言って初めからあきらめて何もやらないというよりはもちろんずっとましだ。やれるところから地道にひとつひとつやっていけば、いつかその先に突破口がみつけられるかもしれない。
─────以 上─────


日本のマラソン大会における選手名簿にふれて
─────引 用─────
それから選手名簿についてもうひとつ僕がうんざりするのは、そこに必ず所属団体名が明記されることである。たとえば僕は〔村上春樹・××歳・東京・所属なし〕という風に記載される。
〜中略〜
そして、「ああ、俺は結局この世界のどこにも何にも属してないんだな」とあらためて実感することになる。
─────以 上─────



観光業者とお役所が組んで行う日本の多くのレースと比較して
─────引 用─────
アメリカのレースを走って僕がいつも感じるのは、「手作り」「草の根」の味わいのようなものである。それらのレースの多くはそれぞれの地域の小さなコミュニティーによって運営されているし、レースの基本的な目的は地域住民の健康的な生活の増進に寄与することにある。
─────以 上─────


─────引 用─────
外国人に外国語で自分の気持ちを正確に伝えるコツというのはこういうことである。
(1)自分が何を言いたいのかということをまず自分がはっきりと把握すること。そしてそのポイントを、なるべく早い機会にまず短い言葉で明確にすること。
(2)自分がきちんと理解しているシンプルな言葉で語ること。難しい言葉、カッコいい言葉、思わせぶりな言葉は不必要である。
(3)大事な部分はできるだけパラフレーズする(言い換える)こと。ゆっくりと喋ること。できれば簡単な比喩を入れる。
以上の三点に留意すれば、それほど言葉が流暢じゃなくても、あなたの気持ちは相手に比較的きちんと伝えられるのではないかと思う。しかしこれはそのまま〈文章の書き方〉にもなっているな。
─────以 上─────


─────引 用─────
それから僕は二十九になって、とつぜん小説を書こうと思った。僕は説明する。ある春の昼下がりに神宮球場にヤクルト=広島戦を見に行ったこと。外野席に寝ころんでビールを飲んでいて、ヒルトンが二塁打を打ったときに、突然「そうだ、小説を書こう」と思ったこと。そのようにして僕が小説を書くようになったことを。
─────以 上─────