2013年6月30日日曜日

「新潟・市民映画館シネ・ウインド」さん納品

創刊号のときより取扱いただいている「新潟・市民映画館シネ・ウインド」さんに納品に伺いました。

支配人の井上経久さん

シネ・ウインドさんは市民からの出資により、1985年12月7日にはじめられた映画館です。
この春、35ミリ映写機からデジタルシネマに移行するにあたって、デジタルシネマ設備募金プロジェクトが行われました。【詳細・・・http://www.cinewind-bokin.jp/

映画のみならずあらゆる表現の舞台として、機能する映画館は、全国的にみても珍しいのではないでしょうか。

納品に伺ったときはちょうど、撤去作業中でした。




─────────新潟・市民映画館シネ・ウインド─────────
ホームページ【http://www.cinewind.com/
フェイスブックページ【http://www.facebook.com/niigata.cinewind

2013年6月29日土曜日

三条六角凧(Sanjo Rokkaku)を作る、須藤凧屋さんを訪ねて

今週、納品で三条市へいったさい、道に迷いました。

第二産業道路から間違って小さな小路に入ってしまいました。取材期間も知らない町をあちこち動き回るため、迷うこともしばしば。

「うわ〜、わからない道・・・、はやく大きな通りに戻りたい」と車を知らせた先に、今回、たまたま出たのが「須藤凧屋」さんでした。(三条では、凧のことを「イカ」という)

迷った先に、大きな凧の絵が

『LIFE-mag. vol.006』の目次ページに凧の写真を入れて、少し解説も入れたのですが、作る現場を見たことはありませんでした。
興味が湧いて、扉を開けて、挨拶。中を見させていただきました。

「須藤凧屋」さんは江戸末期から約160年続く凧屋さん。現在は6代目。平日は別に勤めに出ているので、凧合戦が近付くと土日に制作しているそうです。近年は、約100枚ほどを凧合戦用に作るとのこと。

工房の壁面や天井に貼られた凧を撮影させていただきました。見本用にしているものや、愛知や長崎などの凧組と交流したさいにもらってきたものを貼っています。


韓国の凧もあります。模様も海を越えて渡ってきた



長崎は「ハタ」というんですね



先代の5代目、須藤成二さんの写真
地元紙・新潟日報社 三条総局のエントランスホールにも凧が。
2013年6月1日、2日に開催された「三条凧合戦」パンフレット

2013年6月28日金曜日

「乞い願わくは 賢者たちよ 我が新種の妄想に 冷笑と侮蔑と憐憫を与えよ!」星野健司彫刻展

LIFE-mag. vol.004』の表紙を飾っていただいた星野健司さんの個展が開催中です。

ゲット・ムー・ギャラリーさん(新潟市江南区)では6/29まで。その後、7/5〜7/17は、沙蔵さん(長岡市本町)にて開催。

先日、ゲット・ムー・ギャラリーさんを訪ねたときに、ちょうど星野さんもいらっしゃって、久しぶりにご挨拶をさせていただきました。

写真を数枚撮らせていただいたのでアップします。




東日本大震災をうけて、痛みに向き合い描き始めた作品

フライヤー 表
フライヤー 裏

6/1〜6/15に、東京都世田谷区のspace Sさん(→ブログ)でも開催されていました。

『LIFE-mag.vol.004』表紙

三条市グリーンスポーツセンターの鳥羽さんを訪ねて

LIFE-mag. vol.006 燕三条編』の「燕三条ワクワク未来トーク」の取材でお世話になった鳥羽和明さんを訪ねたときの写真です。

完成の報告・お礼と、鳥羽さんの職場である三条市グリーンスポーツセンターでの取扱をお願いさせていただきました。

鳥羽さんと記念撮影。わたしが手に持っているパンフに注目!

鳥羽さんは7〜9月にかけて、この大崎山をキャンパスに「さんじょう大学」(http://osakiyama.com/daigaku/index.html)を開校します。三条や隣接地区の多彩な技や経験を持った人をつないで共に学び合う場です。
書家、農家、住職、元プロボクサー、デザイナー、自然観察指導員、キャンパー、科学研究家、鉈職人、ヨガインストラクターなど。
ほんとに多彩な方々。そういった方々をコーディネートできる鳥羽さんの人徳もまたすごい。市内外からの参加が可能です。
地元にいて全体を見渡せる人というのは、いるようでいないと思います。

以下に大崎山をひとり山歩きした写真です。緑に囲まれる時間はやっぱり癒しですね。

大崎山の入口にある立て看板

案内図

通称、グリスポ


カーブ注意!
三条市内が見渡せます
緑を追って空に突き抜けます
土の階段
林道を散策


大崎山入口にある永明寺(曹洞宗)
永明寺に落ちていました大きかった

2013年6月17日月曜日

「─協働のまちづくりシンポ─ つばめの未来へ! 幸福のために今できること」@燕市吉田産業会館

2013615日()18:00〜燕市吉田産業会館にて、「協働のまちづくりシンポ つばめの未来へ! 幸福のために今できること」が開催されました。



第一部は「未来の幸福のために今できること」
講師:山崎 亮さん(株式会社studio-L代表
第二部は「未来へ!つばめの幸福のカギは?」
スピーカー:捧 美佳さん(つばめステッカー考案)、武田 修美さん(株式会社MGNET代表取締役)、深海 寛子さん(はっぴーザウルス代表
コーディネーター:倉重 美智子さん(燕三条エフエム株式会社

市の担当職員:川上さんから挨拶

このイベントは、燕市が設置する「つばめ若者会議」のスタートイベント。「燕市の20年後の将来像『未来ビジョン』を描き、その実現を目指す若者によるまちづくりの場」とのこと。

『LIFE-mag.』でも燕三条編の後記として取材させていただきました。会場には定員の200名ほどはいたかと思います。
以下に、第二部の発言の要約メモです。会場では、動画撮影が行われ(すごく本格的な機材でした!!)、燕市職員の広報の方もいらっしゃいました。そちらの公式レポートも後日参考にしてください。

左から、捧さん、武田さん、深海さん、山崎さん

 Q.自己紹介と燕市のおすすめスポットは?

捧さん:「つばめステッカー」は人と人がつながるきっかけになればいいなと思い考えた。宮町商店街に住んでいるが、近所同士でも新しく知り合うのは難しい。
昔から音楽が好きでライブハウスによく行っていた。そこでは、「音楽」を介して様々な年代の人が知り合うことができる。そういったコミュニケーションツールになればいいなと思った。
おすすめスポットは、自分の家の屋上から見える景色。町並みや夕焼け。そこから見える家の人がみんな知り合いだったら楽しいと思いませんか。ある時間になると手を振り合ったり(笑)。

武田さん:名刺入れの専門店を経営している。最近、燕でも自社ブランドを展開しているところは増えている。日経BP社との共同企画で、「燕三条・職人ワザ舞台裏探訪」を企画した。
この地域でも様々な活動をされている方がいる。異業種同士がぶつかり合って、新しい何かが生まれる可能性にかけたい。
おすすめスポットは、燕産業史料館。初めて訪ねたさいに、名物学芸員さんに説明してもらった。自分の住んでいる土地の歴史の深さに驚き、感動して泣きそうになった。学芸員さんは、通称インディさん。インディさんに声をかけられて若者会議に入った。

深海さん:生まれは阿賀野市で、燕にはお嫁に来て6年目。娘がダウン症で生まれてきた。バリアフリーのプレイルームをつくる「はっぴーザウルス」を主宰している。その子らしさを表現できる場所。障がいがある子もない子も、その子を理解してあげられる場所を、いい関係性をつくれる場を。
おすすめスポットは、「こどもの森」。そこの館長さんにお世話になっている。研修室を使ってイベントをさせてもらっている。

Q.山崎さんコメントを

山崎さん:みなさん人と場所が結びついている。燕市ではどんな体験ができるのかを考えるのもいいのでは。キャラの濃い人に会えるツアーとか。インディさんに僕も会いたい(笑)。
「瀬戸内しまのわ2014」、「土祭(ひじさい)」、「猪苗代アール・ブリュット美術館」などの活動が参考になるかも。
ユングやフロイトを持ち出すまでもなく、障がいは誰もが持つもので、グラデーションのようなもの。僕だってかなりの変わり者(笑)。障がいのあるないを問題にするのは20世紀的。


Q.どんな燕市になってほしいか、自分のできることは

捧さん:知らない人がいない町。みんな知り合い。災害の時でも、80歳のおばあちゃんがどの家にいるかわかって、助け合えるような。その知り合うきっかけのひとつに「つばめステッカー」がなればと。
ライブハウスのような、いろんな人が遊びにいける場所があるといい。

武田さん:若い人が残りたいと思える燕市。それは見た目からでもいい。カッコイイからというのもいい。産業史料館もまず見た目がカッコイイ。スプーンひとつをあれだけ洗練された展示にしてる。
そういった情報を発信していきたい。googleのような会社とまではいわないけど、カッコイイと思える会社が増えれば、若い人も残ると思う。若い人が活躍できる燕市になったらいい。

深海さん:障がいのある人もない人も一緒に過ごせる町。みんな違うから面白い。障がいのある子の想像力って豊か。
はっぴーザウルスの活動を通して、共に学び会える場、体験を通して学べる場を作っていきたい。
学校・企業・地域がつながっていけたらいい。

Q.山崎さんコメントを

山崎さん:人と人がつながっていくと大きな力になる。オシャレでカッコイイということは、若者をつなげるのに重要。
プロトタイプでいいから100コくらいのプロジェクトをやってみる。手を動かし続ける、足を動かし続けることが大切。デザイン思考も大切。

Q.スピーカーの方、最後に一言を

捧さん:ポジティブにしか考えられない。

武田さん:出る杭は打たれるのかもしれませんが、もう打たれることを趣味にしようかと(笑)。会社の売上に直結しないようなことでも、燕市の環境を整えていくことは、巡り巡って会社のためになると思う。

深海さん:もうシンプルに頑張ろうって思った。

Q.山崎さんまとめを

山崎さん:人、モノ(場所を含む)、カネ、情報が大切。燕だったら何ができるか。何度も言われていることだけど、地域の魅力を再発見することはやはり大切。一人一人が目利きになることが大切。良いって言われているけどそれほどでもないこと、あまり注目されていないけど良い物がある。

Q.会場からの質問に答えて(編者の理解力不足で、質問の主旨をうまく聞き取れませんでした。武田さんの答えが印象深かったのでそちらを)

武田さん:わたしは「初音ミク」が好きで、どうにかコラボできないかって考えます。無理かもしれません、でもその可能性を突き詰めていくことが楽しいんです。
「あの会社ヤバくね!?」と思ってもらえるようなことをやりたい。

Q.会場からの質問に答えて(すみませんが、こちらもうまく質問の主旨を聞き取れませんでした。編者の理解力不足です。山崎さんの答えで印象に残ったことを)

山崎さん:流域単位で物事を考えるべき。中山間・離島地域と都市部をセットにして考えること。


総括]鈴木力燕市長より

燕市を日本一輝いている町にしたい。わたしは昭和35年生まれ。大学で東京に出たら、全国から集まる友達がみな燕市を知っていた。「あぁ、教科書に載ってたね。洋食器産業が盛んな町」と。
いまは若者の声が聞こえてこない、姿が見えない。人口の減少、経済規模の縮小など社会的な問題がある。燕市のよりよい未来を若い人たちに考えてもらいたい。その場を作るのは、高度経済成長を経験したわたしたち世代の責任だと思う。
ある時、テレビでIターンが多いという海士町の特集をみた。1人、10人、100人、1000人でできることに分けた提案書が印象的だった。住民の方から、こういうことをやりたいから、ここを手伝ってもらいたいということをうまく引き出したまちづくりだった。ファシリテーターの重要性を感じていた。
市職員の川上くんをはじめ若手に「つばめ若者会議」の立ち上げを任せた。すると海士町の仕事も山崎亮さんということがわかった。
「つばめ若者会議」を議会で認めていただくのは大変だった。
燕市も人口は減っていくかもしれないが、「活動人口」を増やしていけたらと思う。

「つばめステッカー」買いました!取材ノート表紙に貼ります!

LIFE-mag.の感想)──────────────────────────────────────────────

スピーカーの方それぞれが、自分たちの暮らす地域を、日常を、楽しくできないか?よくしたい。自分にできることはこんなことかな?よし、やってみよう!と活動されているのが伝わってきました。
得意分野、関われる環境、価値観はそれぞれに違うと思いますが、燕市での暮らしをよくしていきたい、という思いは同じ。
燕市にはスピーカーとして登場するべき人はまだまだ多いように思いました。
山崎亮さんをファシリテーターに迎え燕市が設置する「つばめ若者会議」の活動に今後も注目です。多様多彩な人同士が出会い、面白い化学反応が起こるのが楽しみになりました。

2013年6月11日火曜日

『Niigata Interview Magazine LIFE-mag. vol.006 燕三条編』が刷り上がりました。


『Niigata Interview Magazine LIFE-mag. vol.006 燕三条編』が刷り上がりました。
本日より、取材させていただいた方、お世話になった方、広告出稿いただいた方、お取扱店を回っていきます。取材・編集から引き続き、一人での納品・発送・営業活動です。すぐに書店等に行きましてもまだ並んでいません。
納品状況につきましては、お取扱店にお問合せいただくか、LIFE-mag.ホームページでご確認くださいますようよろしくお願い申し上げます。

『LIFE-mag.』は、お近くの書店等でお買い求めいただくことをおすすめしています。ただ遠方の方へは通信販売も行っております。全国の郵便局窓口・ATMからの購入が可能です。(http://www.life-mag.com/tsuhan.html

また、『LIFE-mag.』ではお取扱いただける書店、カフェ、ギャラリー、ショップ等を随時募集しています。委託販売または買取販売にて対応させていただきます。お問合せは、メール|niigata@life-mag.com 電話|025-378-3258 まで。


2013年1月、しんしんと降り積もる雪の中、取材をはじめました。燕三条地域では、どんな人が、どんな生き方をしてきたのだろう。歴史を積み重ね、連綿と続いてきた「命」のリレーを見るかのような取材になりました。

まったく知らなかった方々とのご縁を辿りながら取材・編集させていただきました。多様な生き方に触れることの出来た喜び。一冊の雑誌という形から、一人でも多くの方がまた新しい燕三条の魅力に触れていただけることを願っています。

もくじ)─────────────────────────────────────────────────────────
0 3・・・・・・三条六角凧 / 下粟生津四季生業図絵馬(もくじ)

0 4・・・・・・勝山 百合[火焔型土器]

0 6・・・・・・外山 健[握鋏鍛冶職人]

1 0・・・・・・玉川 宣夫[鎚起銅器職人]

1 6・・・・・・遠藤 ケイ[草の根民俗学者]

3 0・・・・・・國定 勇人[三条市長]

3 6・・・・・・高井 美弥子[ハッピーライフカフェ]

4 2・・・・・・久保 大輔[スノーピーク]

4 8・・・・・・西山 明仁[本成寺・鬼踊り]

5 3・・・・・・林町天満宮(小林小路)

5 4・・・・・・澁谷 隆阿[本覚院住職]

6 0・・・・・・渋木 正明[下中野神楽舞]

6 4・・・・・・キラー・カン[元プロレスラー]

7 2・・・・・・筒井 貴希[生の芸術]

7 4・・・・・・杉山 [杉山額縁店]

7 6・・・・・・あとがき(謝辞) 

2013年6月7日金曜日

『岡本太郎の仮面』貝瀬千里著 藤原書店刊

『岡本太郎の仮面』貝瀬千里 著・藤原書店

(289p.)「現実をしっかり捉えるなら、そこにはきっと矛盾があり、虚と実の両義的な現れに満ちている。虚構の「素顔」に惑わされ、他人の目や外部の価値システムに判断を預けてしまうのではなく、かといって、面倒を避けてやり過ごすのでもなく、むしろ現実を動かしている〈仮面〉に目を向け、自身も〈仮面〉となるべきではないか。

今晩は、前から気になっていた、『岡本太郎の仮面』(貝瀬千里 著・藤原書店)にようやく目を通すことができました。この本は貝瀬さんの、新潟大学大学院現代社会文化研究科の修士論文をもとに構成されています。貝瀬さんは、新潟市在住でわたしの一つ上。

岡本太郎が一貫して追求してきた「仮面」「顔」「眼」を時系列に読み解いていきます。その過程は、まさに貝瀬さんが岡本太郎という〈仮面〉を被って、現実以上のものを伝えようとしていく様でスリリングでした。

途中、ヨーロッパのジョルジュ・バタイユやマルセル・モースとの出会いは小説のようです。当時の「熱」が伝わってきます。戦争体験、日本の沖縄、東北、縄文との出会い。万博での試みまで、内容盛りだくさん。

貝瀬さんとは、面識はありませんが、同じ土地にこんな研究をしている人がいると思うとなんだか嬉しくなりました。

本当の自分ってなんだろう?問うほどに見えなくなる素顔。薄っぺらな面に手を伸ばすくらいなら、最大限の想像力を使って〈仮面〉を生きろ。生の本質が見えるから。

熱いメッセージでした!



以下に特に印象に残った箇所を。ピンときたらぜひ著書にあたってみてください——————————


(25p.)「矛盾を抱えもつことこそが、実は人間を人間らしくしているのだと岡本には思えた。人間は、『自分と、自分を越えたものとを、いつも自分の内にもと、そしてその双方をしっかりとつかんでいなければ本当には生きられない」。そういう存在であるからこそ、絶望的にもその矛盾を乗り越えようとするという。」


(57p.)「バタイユは、初めから打ち解けた雰囲気で語った。『今日、すべてが精神的にいかに空しくなっているか。憤りをもって、システィムに挑む同士が結集して、世界を変えて行かなければならない』。国境や人種を問題にせず、精神のつながりによってこそ結ばれるのだといわれ、孤独を感じていた岡本は強く励まされた。」


(89p.)「岡本は軍隊という集団に働く感覚の麻痺や、その人間模様を観察していた。日本の戦闘機ならば墜ちるはずがないと信じ込んでいた仲間の兵士たちが、日の丸の国旗をつけた戦闘機が墜ちるのを見ても、墜ちたのはアメリカだと喜んでいたこと。」


(108p.)「マルセル・モースの人類学に触れた岡本にとって、ジャンルを問わないあらゆる表現形態が、人間の知覚に働きかけるメディア的可能性を有していた。絵画や仮面のほか、仏教美術や踊り、しぐさや刺青、呪術や生活用具など、人間の営み全体にわたって美的現象を見いだしたモースのように、時代や分野を超えて、メディアと身体との感応が見出された。そうした岡本の柔軟な視点は、脱領域化し、全体的になってきた現代美術を先どりしていた感がある。」


(115p.)「反復される所作、連打される太鼓のリズムは、一見無意味なようでいて、身体に時と空間の変容を知らせ、変貌のための準備をさせているのであろう。恍惚を呼ぶリズムが、日常的な意識を酩酊させ、別次元の感覚を紅葉させていく。ハレの時の調べが、生者と死者が入り混じる〈祭り〉へ導く「道行く」となる。そして集団全体が、仮面の変貌を受け入れ、仮面の世界に身を慣らし、自身をデフォルメしていく。」


(167p.)「(縄文)土器を埋めつくす文様は、単なる装飾ではなく、自然の神々を恐れ敬う、呪術的な祈りの精神が反映していると見えた。狩りで殺す動物を、殺すからこそ同時に神として崇め、その精霊へ祈りを捧げる。恐ろしくも恵み深い自然を敬い、猟に際して礼節をつくし、霊を慰め、次回も決まりを守ることを約束する。熊狩りを行う猿股の人々のように、神秘的な自然へ呪術的に働きかけ、交流しようとする人間の祈り——それが破綻や左右不均衡なよじれ、立ち上がりうねるダイナミックな文様と造形に現れている。」


(232p.)「パリ時代、岡本はバタイユらと『悲劇の研究会』でギリシャ悲劇を中心に悲劇について論じ合い、『生きるということは、つきつめれば悲劇しかあり得ない。人間存在は強烈な矛盾の中に運命を賭けて生命を貫いているのだ』という考えを共有していたという。」

2013年6月4日火曜日

「地域マスメディアの逆襲〜地域活性の視点から未来を考える〜」事業創造大学院大学


今回のチラシ

地域マスメディアの逆襲〜地域活性の視点から未来を考える〜
201362日()15:00〜@事業創造大学院大学
ファシリテーター:信田和宏さん(事業創造大学院大学教授)
パネリスト:加藤博敏さん(株式会社ピーエイ代表取締役社長)、鈴木聖二さん(株式会社新潟日報社論説編集委員室長)、南加乃子さん(株式会社新潟放送報道制作局専門局次長)、若林修一さん(株式会社ニューズ・ライン代表取締役社長
主催は事業創造大学院大学同窓会さんです。

エントランス入ってすぐのロゴ

お題が「新潟の活性化のためにマスメディアが『できること、やるべきこと』とは。」でした。新潟を代表するメディア人の方々がどんなことを課題に感じて、日々実践をしているのか、学ばせていただこうと思い参加。

加藤さんの「危機感が逆に他地域とのコミュニケーションを促した」。鈴木さんの「農的なものを軸に持続可能な社会を」。南さんの「ローカル同士がつながることが大切」。若林さんの「雑誌を売って終わりでなく、データベース化して再活用、再編集を」。という発言に共感しながら、自分でももっと突き詰めてみたいなと思い、聞かせていただきました。

ただ、もっとひりひりした思いが聞けることを期待していってしまったため、やや残念でした。全体的にぼんやりとした議論でした。

会費の1,000円を払うと財布に40円しか残らなくて・・・、夕飯は、冷凍ごはんに残り物のおかずをのせて食べ、また編集室に戻って、次号の印刷データ作成作業をしていました。ダブルで痛かったです。


わたしがノートにメモしたことの一部をここに───────────────────────────────

信田さん)新潟県はブランドランキングで23位。(1位北海道、2位京都、3位沖縄、13位石川)市のブランドランキングは、108位佐渡市、122位魚沼市、184位新潟市となっている。

Q.自己紹介と会社のこれまでを簡単に

加藤さん)22歳まで福島市で暮らして、26歳で新潟市で縁あって起業。地方の若者がどんどん都会に出て行く状況を、どうにか若者を地元に残せないかと、求人情報誌を創刊。

鈴木さん)新潟日報は源流をたどると136年。毎日、紙の新聞をポストに届けるという、同じビジネスモデルでこれだけ続くのはすごい。新潟日報は、共通の気持ちのあるドメスティックな中で考える媒体。地域と一緒に考えて、地域とは運命共同体のようだと思っている。

南さん)新潟放送は、昨年60周年を迎えた。ラジオ制作、報道、ディレクター、そして、いまは「水曜見ナイト」のプロデューサーをやっている。新潟愛がテーマ。

若林さん)『komachi』は21年目になる。創刊当初はバブルの名残もあって、広告がどんどん入った。一時はお断りの口上を考えるのが大変だった。『東京walker』、『Hanako』が全盛の頃で、ふたつを足して2で割ったような雑誌を作ろうとはじまった。
途中より、紙に印刷して売って終わり、ではなく取材データを「データベース化」しはじめた。官公庁や他企業にも利用してもらうため。

Q.地域と運命共同体というのは?新社屋メディアシップについて

鈴木さん)萬代橋のたもとに、新社屋を作った。あれは日報が儲かっているわけではなく、追い込まれているから。黒崎という郊外にいないで、地域の中に入っていって、新潟日報ももっと開かれていかなければならない。つながりのプラットフォームになりたいから。

Q.補足はあるか

南さん)「水曜見ナイト」では、東京とつながることではなくて、ローカル同士がつながって何が出来るのかを大切にしている。長野、福島、富山、山形など隣県とB級グルメ店やラーメン店の方々をつなげて、交流している。ラーメン店の店主の方々と福島、宮城に炊き出しにいったこともある。
テレビは人の情感が一番伝わりやすいメディアだと思っている。表情、仕草、声のトーンなど。

Q.新潟は魅力を伝え切れていない、ブランド化できていないと思うがどうか

加藤さん)出身地の福島は、震災以後、危機感(原発や放射能の問題など)から世界中、日本中の方々とコミュニケーションを取るようになった。
「新潟みなもと」という異業種交流会を主宰して、古町芸妓さんとの交流や着物を着て街を歩く会などを行ってきた。facebook上で、「新潟県人会」というグループを作って2000人ほどが登録している。そこでも自発的にいろんな交流が生まれている。
個人でもやれることをこつこつとやっている。

鈴木さん)ブランド力を高めたり、経済の拡大を目指す時代は終わった。持続可能な社会をどうやって作っていくかが大切では。

南さん)佐渡にすごくはまっている。世界遺産にするべき。佐渡金山はすごい。佐渡をテーマにした番組を撮ってきた。
「もっと知りたい、知ろうという心」が大切。歴史に埋もれた魅力を探るのは楽しい。

若林さん)観光ムックを年に何冊か発行している。雑誌の場合は、誰に届けたいか?どこからお客さんを呼びたいか?海外か、県外か?ターゲットを絞ることからはじまる。
トクだねコマチメール会員は13万人。佐渡に行ったことがあるか?アンケートをとった。県内の人は50%がある。この5年以内はどうか?25%がある。だった。県内の人だけでも、まだまだ佐渡の魅力を伝え切れていない。

Q.昨今、GDPよりはGNHということもいわれている。年間、県外から1600万人が新潟を訪ねる(重複あり)。うち200万人が宿泊する。新潟には戦略性がないのか。再びみなさんの意見を。

加藤さん)地方にいくと居酒屋に入って、隣のおじちゃんとしゃべるのが好き。魅力的な「人」は多い。
湯沢は東京から1時間。冬はスキー、夏はゴルフ。地政学的には有利。

鈴木さん)農的なものを軸に据えるべき。常に自然と対話しながら、循環していくまちづくりをすべき。
新潟は電力消費の92%を再生可能エネルギーでまかなえる。(水力発電が多いため)

南さん)小樽は観光や食(寿司など)で成功している。新潟の寿司組合の方々と一緒に番組で小樽のお寿司屋さんと対決した。惜敗したものの、味は遜色ない。

若林さん)新潟は白身魚がうまい。出版の仕事をしていても最近まで知らなかった。
新潟は広い。地域間が連携して、佐渡〜新潟〜村上など、周遊性を作るべき。
新潟は期待値よりも満足度が低い。2015年問題では、石川に負けないよう頑張ろう。

信田さん)情報発信の量を増やすべき。何でもあるというのは、何も伝わらない。コアとなるようなものを見つけるべき(ex.農とか)。自社社員の教育も必要。

10Fの講堂が会場でした。