2018年8月29日水曜日

にしかん障がい者アート展「あなぐま芸術祭」によせて(3)

作品1

この絵は佐潟と角田山を舞台に描かれた作品である。様々な動物、恐竜が並んで歩き、林の木々にはイチゴやバナナ、スイカなどが実をつけている。右上に飛び立っているのは白鳥である。

描かれたキャラクターの表情、世界観に楽しさがぎゅっと詰まっていて、眺めているだけでも明るい気持ちになる。

作者はしゅんすけさん(28)。強迫性障害がある。「絵を描き始めたのは家に引きこもっていた18、19歳の頃。家にいたばあちゃんを鉛筆で描いてみました」という。

いまは新潟市西区赤塚にある「就労継続支援B型 ラグーン」に通ってラグーンcafeの運営、清掃活動、資源回収などの作業を行なっている。また、ラグーンでの活動の一環に創作活動もあり、ここでも絵を描いている。

「見た人に楽しんでもらいたい、喜んでもらいたいという思いから毎回、作風を変えています」としゅんすけさん。

作品2

地元・内野地区の「三日月橋」からの眺め。三日月に照らされた少女が描かれている。ボールペンや色鉛筆などの点で描かれている。

作品3

鮮やかな絵の具を使ったドット柄。よく見ると様々なパターンで描かれている。

手ぬぐいやマグカップ、ラグーンcafeのランチのランチョンマットなどのデザインにも良さそうだと思った。

作品4

こちらはパズルのピースをモチーフにした作品。

作品によっては小さくメッセージが入っていたり、元素記号を使った暗号が入っていたりもする。

作品のファイルを見せてもらったが、ほんとうに様々な作風の作品があった。

「作品のアイデアが思い浮かぶと些細なことでもいいから付箋に書いて冷蔵庫に貼っておくんです。それがいつかのタイミングで組み合わさった時、作品にして描いています」としゅんすけさん。

1日、8〜9時間くらい書いて、それが何日も続くこともあるとのこと。

出展作品の打ち合わせの様子。左がしゅんすけさん

ラグーンスタッフの齋藤鎮哉さん(写真・中)は「しゅんすけくんの絵は見る人を楽しませ、和ませてくれる。これからもイメージしたものを思いっきり表現していってもらいたい」と語る。

また、「あなぐま芸術祭」事務局長の小倉壮平さん(写真・右)も「緻密かつユーモアに表現している作品を観て、しゅんすけ君のことをもっと知りたいと思っていた。塞ぎこみそうになるときに描くことが多いという心の葛藤の反対に、作品を通して喜んでもらいたいという気持ちの強さに感動した。今回の芸術祭を通して、作品が持っているその背景にあるドラマ・ストーリーも知るきっかけになれば嬉しい」と出展作品への期待を込めた。

9月1〜9日まで新潟市西蒲区岩室温泉で開催される「あなぐま芸術祭」ではどんな作品が見られるのか。楽しみにしたい。

[Web]www.iwamuro-anaguma.com

2018年8月8日水曜日

にしかん障がい者アート展「あなぐま芸術祭」によせて(2)

「心・光・力」

それは、ケガをして失ったもの

そうかかれたパネルが自宅の作品展示室に置いてあった。

西蒲区仁箇(にか)在住の岡村佐久一さんを訪ねた。9月1〜9日に岩室温泉で開催される「あなぐま芸術祭」には水彩で描いた風景画が出展される。

岡村佐久一さん

岡村さんは現在62歳。1994年、38歳の時に交通事故で頚椎を骨折。両手両足の自由を失った。

「ケガをした当初は手足はまた動くようになるだろうと思って、現実を受け入れられなかったです。治療後、手足は今後も動かないだろうと告知されたのは事故から6ヶ月が過ぎた頃。先を考えても真っ暗。電動の車椅子を用意された時もリハビリをボイコットしました」。

リハビリのために口に筆をくわえて文字を書き始めたのは入院から1年ほどたった頃。

「事故の年が明けて1995年。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件がありましたよね。病院のテレビでニュースを見ていて思いました。わたしも悔しい思いをしましたが、もっと過酷な状況にある人もいる。俺もこんなことで負けてられないなって思い始めました」。

事故後はじめて書いた文章「心への点火は魂の燃焼によらねばならぬ」

ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと...、岡村さんは一本の線を結び始めた。さらに1年が過ぎた頃、今度は絵を描き始めた。お見舞いでもらった花からだった。

「俺が書いたもので初めて喜んでくれた人は介護の研修で来ていた関川さん。うれしかったね」

関川さんは岡村さんが練習で書いていた文字やスケッチを「もらっていい?」と尋ね、持ち帰ったという。

「〈人生に定年はない〉という文字を書いてと頼まれてね」と岡村さん。

燕労災病院での2年6ヶ月の入院、治療をへて退院。入院直後に「一生取れないだろう」と言われていた人工呼吸器は、肺の奇跡的な回復により外れていた。

退院から20年以上が過ぎたいまも口にくわえた筆で水彩画を描き続けている。

ブナ林

先日、自宅にお邪魔し、作品を見せてもらった。飾られていたブナ林の絵にわたしの足が止まった。

ブナ林に木漏れ日が降り注いでいる。眩しいくらいだ。そう感じた。

ほかにも、春の陽光のなか桜の木の背後に描かれた弥彦駅舎。堂々とした体つきで風に揺れる鯉のぼり。夜の間瀬漁港には漆黒の闇に様々な色が描きこまれていた。

岡村さんは事故後、絶望のなかで周囲にきつくあたったこともあったという。そんな中、絵を描くことによって見出したものはなにか。冒頭のパネルにはこうも記されていた。

「心」は「優しさと思いやり」

「光」は「目標と希望」

「力」は「行動と努力」

それらは事故によって一旦は失ったものかもしれない。しかし、岡村さんは絵を描くことによってそれらを再び手にし、絵筆に込めて描き続けている。

わたしはブナ林に降り注ぐ光の力強さに、岡村さんの心を見たのかもしれない。

9月、岩室温泉で開催される「あなぐま芸術祭」でぜひその絵に出会ってもらいたい。

2018年8月7日火曜日

にしかん障がい者アート展「あなぐま芸術祭」によせて(1)

まずは詩の一部を紹介したい。

---
病院の待合室 右隣の人も 左隣の人も 黙ってすわっている けれど どこか病んでいる 隣を通り過ぎる人も 前を行き交う人達も ふつうの顔をして いるけれど 皆みんな どこか病んでいる
---

2018年9月1日から9日まで新潟市西蒲区岩室温泉地域にて、「にしかん障がい者アート展 あなぐま芸術祭」が開催される。旅館・ホテル、飲食店など14カ所に約100点ほどの作品展示が予定されている。

上の詩は、この芸術祭に出展する高橋義孝さんの作品の一節だ。

Life-mag.もこの芸術祭の実行委員会の末席に入れていただいた。ただ、これまで実行員会主要メンバーらで準備が進められて来たが、わたしはほとんどなにもやっておらず、名ばかり実行委員となっていた。

微力でもいい。

なにか力になれることはないかと考え、出展作家を訪ねてブログ記事にして、SNSで発信する広報を手伝わせてもらいたいと提案。先日その取材に行って来たので紹介したい。

あなぐま芸術祭会期まで、何回かにわけて紹介する予定である。

高橋義孝さん

高橋さんは現在59歳。生まれつき脳性まひという障害がある。

20年ほど前からは歩行が難しくなり車椅子での生活となった。そして、15年前から障害者支援施設「かたくりの里」(西蒲区橋本)に入所し、スタッフらの支援を受けながらここで生活している。

高橋さんは詩のほかにも小説や川柳、短歌なども書く。「物を書き始めたのは高校生の頃。自分のなかになにか誇れるものが欲しかったから」と高橋さん。

高校生の頃にすこし書き始めたものの、卒業後はしばらく書かない時期が続いたという。ふたたびペンを握るようになったのは、かたくりの里に入所してから。

「施設に入るよりも、自宅で暮らした方がいいんだ、という障害者や家族の方もいますが、私はそんなことはないと思います。ここではスタッフをはじめいろんな人の出入りがあるでしょう。そういう人たちから作品を読んで、共感してもらうことがわたしの励みになっているんです」と高橋さんは語る。

スタッフもそんな高橋さんの背中を押す。

生活支援員の相浦由佳さんは全国各地の文学コンクールの要項を見つけてきては、高橋さんに出展を促す。

相浦さんについて高橋さんは、「いついつまでに新しい作品書いてくださいねって、けっこう厳しいんですよ」とはにかんだ表情で語る。テーマを一緒に考えたり、出展作品を選んだり、そして執筆を促したりとまるで専属編集者のよう。

「自分がこれまで経験したこと、見て、聞いたこと、自分のフィルターを通して、言葉になる、その時を待って書いてます。作品のアイデアは夕方浮かぶことが多く、それを夕食後から深夜にかけて書くんです。やっぱり作品を書くときは一人になれる時間がいいですね。ちなみに昨日書いていたのが、この詩。まだ下書きなんだけどさぁ」。

そういって渡してくれたのが冒頭の詩である。

『待合室』2018年7月30日

以下に全文を紹介したい。

---
病院の待合室 右隣の人も 左隣の人も 黙ってすわっている けれど どこか病んでいる 隣を通り過ぎる人も 前を行き交う人達も ふつうの顔をして いるけれど 皆みんな どこか病んでいる

産まれてから 今日まで なおして なおして なおして ずっと使ってきている躰 なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰 洋服ならば 着替えられるけれど 躰は着替えられない なおして なおして なおして 洋服ならば 飽きたら捨てられるけれど 躰は捨てられない なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰

カッコよくても悪くても かわいくても かわいくなくても 美人(きれい)でも 美人でなくても 太っていても やせていても その躰が好きでも 嫌いでも 洋服のように 選んだわけではない

たとえ 気に入らなくても みんな良いところを探して 何とか努力して 与えられた躰と 付き合っている

なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰がついには ほころび出しても 人は他人(ひと)を羨むことなく 最後まで 自分の躰と付き合っている

病院の待合室 みんなの 笑顔が戻る日を待っている
---

障害の影響もあり指は震える。左手で椅子にしがみつき、右足で机の脚にしがみつく。全身を使って指先をコントロールしながら書く。

「書くことは私の仕事だと思っています」

9月、高橋さんの作品は岩室温泉で開催されるあなぐま芸術祭に展示される。高橋さんには『思いつきカルタ』というユーモアに溢れた作品もある。生きることの本質を突くような作品もあるなか、絶妙な力の抜け感に読みながら思わず笑った。

推敲中の原稿

芸術祭の展示ではどんな作品が見られるのか。厳しくも温かい編集者(かたくりの里スタッフ)とともにきっとまた新しい作品を見せてくれるのだろう。

2018年8月1日水曜日

長岡の路上で出会った本

教育への情熱と探究心を感じさせる2冊の本を紹介したい。

新潟の算数ものがたり

1章

1冊は『新潟の算数ものがたり』。

新潟の地理、歴史、祭り、風習、建築などを題材に「算数」の問いを導き解説していく本である。2冊目の本もそうだが、おそらく授業の中心で使う「教科書」とはべつの「副教材」として作られたのだろう。

中越地域に多くみられる六日町や十日町など数のついた地名の由来はなにか。燕の鎚起銅器の表面積は。各地点での信濃川の水量は。長岡花火の大きさや音の速度は。阿賀野川の川舟の速度は。屋根の上に積もった雪の重さは。

北方文化博物館内にある三角形の建物「三楽亭」のなかに三角形や長方形、ひし形、台形、平行四辺形を見つけてみよう、といった問いもある。

新潟の歴史・風土に「算数」的視点から様々な問いが投げかけられる。小学校の副教材として作られたようだが、大人が読んでもなるほど〜と思うことが多い。数学の難題を解いた際、その答えを神社や寺院に奉納した「算額」とかいつか取材してみたい。

発行は昭和57年。編集員には県内各地の小学校教員があたったようだ。

おはなし歴史風土記

県内の歴史を題材に10話

2冊目は『おはなし歴史風土記』。こちらは昭和56年の発行である。これも県内の教員らが編集した本だ。

県内の歴史から「しごと場のあるむら 沖ノ原遺跡」「塩の道」「佐渡の金山」「新潟みなとのうちこわし」「越後ちぢみのふるさと」「あたらしい信濃川」「おらの学校」「生きて越後に帰りたい」「ボトナムの並木道」「阿賀野川の毒水」の10話の物語がおさめられている。明和騒動や木崎村争議、新潟水俣病なども出てくる。

歴史は権力者の側から書かれ、ときに書きかえられる。

とくに学校で使用されるものは文部科学省の認定する教科書でなければならない。もちろんその教科書も大事である。

一方で、教育をうける年齢をとっくに過ぎたわたしがいまごろめくっていて、編集に関わった当時の教員たちの思いをこんな風に受け取った。

「民衆の歴史も伝えたい」

「市井の人びとの声を聞き取る感性を養ってもらいたい」

「自分たちの暮らす地域を掘り下げること、そこにも大きな学びがある」

算数のほうには、Life-mag.vol.010掲載の岸本洋子さんの旦那さんである賢一さんの名前もあった。風土記のほうにはLife-mag.vol.009〜010の取材の下調べでお世話になった亀井功さんの名前もあった。お二人とも当時、30〜40代でいまのわたしとそう変わらない年齢だ。

前記の「円盤」田口さんと同じく、この2冊からも出版にかける情熱がびしばし伝わってきて、

「ここまでやるのか...、悔しい」

と思わされた。

面白がりかた、探究心、情熱、どれも突き抜けたものを放っている。そんな本だ。

この2冊は長岡の路上で出会った。

長岡にて

6月の上旬、普段滅多にいくことのない異業種の方々との飲み会に出るために長岡に向かった。在来線で東三条を経由して長岡へ。駅前の通りを歩いていると路上に突如、本棚があったので足を止めた。

本棚の隣には張り紙が貼ってあって、

「Let's しぇあぼン★」

と書かれていた。

パンチの効いたネーミングである。

張り紙にはこうも書いてあった。

「本を持ち寄ってください」「本は自由に持ち帰ってください」「ここの椅子で本を読んで行ってください」

ここで上の2冊を見つけた。欲しいなぁと思ったものの、ほんとに持って行っていいの? え? どういうこと? となかなか状況がつかめず15分ほど立ち読みした。ほかに立ち止まる人もいないし、長岡市役所のなにかの課が入った分館のようだが担当者もぱっと見いない。

張り紙を5回は読んだが、「本は自由に持ち帰ってください」との文字は変わらない。「ちゃ、ちゃんと読みますんで、も、もらいま〜す、ありがとうございま〜す」と心の中でとなえて持ち帰ってきた。

いまの小中学校などではこういう新潟発の副教材はあるのだろうか。そっち方面に詳しくないのでわからない。あるとしたら「キャリア教育」という将来設計や職業選択を考えさせるための副教材だろうか。

いまは10年後、20年後の社会がどうなっているのか予想できない時代である。だから将来どうなりたいか、どうなるべきか考えさせるのかもしれない。(わたしの学生時代はその時々で興味のあることに熱中していただけなので、将来のためにどうこうなど一切考えなかったなぁ...)

逆に上記2冊が出版された30数年前は、高度成長期をへて日本列島の暮らしや教育も画一化・均質化が進んだ時代である。働き方もまだ終身雇用の時代だ。そんな中で、自分たちの暮らす地域(新潟)はどんな場所なのか、地域の成り立ちを考えさせる教材が必要とされたのだろうか。

時代の要請もある。30数年前とくらべて、どちらがいいとか、わるいとかはない。ただ、上記2冊には、知ること、問うこと、学ぶことへの素朴で根元的な喜びがあるようにも感じられた。

2018年7月30日月曜日

出張円盤レコード寄席「日本とタンゴ」at 北書店

日本とタンゴ

音楽史を語りながら、その渦中で歌い、生きた人たちの人間ドラマを語る。そんなイベントだった。

東京高円寺のレコード店「円盤」の店主・田口史人さんによる、レコード寄席に行ってきた。2018年7月28日18:30〜、北書店。

今回のテーマは「日本とタンゴ」。アルゼンチンタンゴが日本にどのように入ってきて、受け入られ、一大ブームとなり、そして衰退していったか、レコードをかけながら田口さんが解説するという「寄席」形式のイベント。

べつに普段タンゴを聴いてるわけじゃないんだけど...。そんなことは関係なかった。

3時間半ノンストップ。レコードをかけ、曲の解説をしながらも、その時代、そのシーンで活躍した渦中の人物の人間ドラマも語っていくので、次第に感情移入。

進駐軍を相手に家族を養うために歌い始めた藤沢嵐子、顔面神経痛のリハビリにスペイン語を習い始め、そして歌手となった阿保郁夫らを中心にした数奇な人生にぐいぐい引き込まれた。

枕元レコード

また田口さんが発行するレコード解説や10数名の寄稿者らの原稿を集めた『ミツザワ通信』を購入。試聴CD-R2枚付きで1,000円(佐渡の耕くんの寄稿も)。

自分が惚れ込んだものを突き詰めて調べ、記録にまとめて、伝えようとする圧倒的な熱量。これには打ちのめされた。

雑誌の原点てこういうことだよな...。

円盤寄席は、ほかにも学校編や沖縄編、相撲編などネタがたくさんあるらしい。気になるわ。

「いろんなイベントがあるなか今日はハードコアなお客さんが集まってくれたんだと思う。ありがとうございました」と最後に田口さん。この週末、SNS上で垣間見た数々のリア充投稿。それらをくぐり抜け(いや、そういった場に誘われることもなく)ここに集ったのは(愛すべき)ほんとのオタクだったのかも。

ただ、長丁場でケツが痛くなって途中、集中力が切れそうになったので、こんど行くならアウトドアチェアみたいなのを持参したい。

にしてもいいイベントだった。

2018年7月25日水曜日

新潟日報『おとなプラス』「南魚沼からみなかみへ、古道・清水峠」「天空の楽園、苗場山」

引き続き、新潟日報社の夕刊『おとなプラス』で特集記事を書かせていただいています。

2018年6月6日付けでは南魚沼市から群馬県みなかみ町へと抜ける古道・清水峠を、7月23日付けでは山頂に無数の池塘が広がる苗場山を取材し、掲載となりました。

清水峠1

清水峠2

清水峠は南魚沼市清水集落から谷川岳の東麓を通って、群馬県みなかみ町の湯檜曽集落へと抜ける古道です。戦国時代から軍略や交通の要衝として人の往来があった道です。

明治時代には国道として整備されたものの、度重なる土砂災害に復旧工事が追いつかず、次第に人の往来も消えて行きました。そして、交通網は鉄道や高速道路の時代へ。

清水峠には現在も国道291号として指定される区間もありますが、一部マニアの間で「酷道」と評されるように、一般の通行は不可能です。とくに新潟県側からの進入はまったくおすすめできません。

ただ、群馬県みなかみ町側からは名峰・谷川岳からそそぐ一ノ倉沢までよく整備されたトレッキングコースになっているので、歩きやすくおすすめできます。新潟県からのちょっとした小旅行にも良さそうです。

こんな光景に出会えるかも。

清涼な冷気を浴びて

これは5月末に行ったときの写真なので、雪はもっととけていると思いますが、沢を下る冷気がマイナスイオンをばんばん放っています。日常生活で八方塞がりだなチクショーと感じることがあったら、とりあえずまたここにきてしばらく座りたいです。アウトドアチェアを持ってきて座って沢を見上げてるおじさんもいたし。

湯檜曽駅付近より

みなかみ町のJR上越線湯檜曽駅近くにはこんな光景も。この近くは線路がループ状になっていて、電車がぐるりと山の中を回って走ってきて、この橋を渡ります。古い温泉街に湯檜曽川、無骨な橋脚、あぁ、いい景色だなぁ、とぼけっとしてたらちょうど電車がきたので一枚。

記事では往来の歴史や記録、実際に峠道(みなかみ側からと新潟側からの2回)を歩いてのレポを書きました。また、本紙とは関係ありませんが、この取材時に見た夢のことをすこし前の【ブログ】に書いています。

苗場山1

苗場山2

こちらは山頂部に無数の池塘があり、独自の景観と植生をもつ苗場山についての記事です。山頂部の台地は泥炭層となっており、その窪みに雨水がたまったものが池塘(ちとう)と呼ばれています。その数、約3,000とも言われています。

苗場山は標高2145㍍、日本100名山のひとつでもあります。いい山はいい出会いをもたらしてくれるのかもしれません。取材では、埼玉や滋賀から山旅に来ていた人、長野の写真家・飯塚英春さんと生徒さん、新潟県警山岳救助隊、山小屋の主人・林浩二さん、スタッフの永井大士さんなど、山頂で様々な人との一期一会に恵まれました。

また、苗場山麓ジオパーク推進協議会の中澤英正さんにも苗場山の成り立ちについて教えていただきました。中澤さんは、『苗場山麓植物民俗事典』を執筆・編集した方です。山麓にどんな植物があるかだけでなく、人の生活とどのような関わり(料理や道具、信仰)があったのかを解説した事典です。しばらく前に、新潟日報朝刊に記事が載っていて、切り抜いてノートに貼っていたので、本人にお会いできて嬉しかったです。

わたしは秋山郷からの小赤沢コースと湯沢町からの祓川コースと2回登って記事を書きました。山小屋に泊まったのも初めてでした。

7月上旬、午前5時前、苗場山頂の池塘

未使用カットです。池塘のなかに咲いているのはワタスゲです。早朝は朝露に濡れていますが、お昼すぎには乾いてふわっふわっになります。触ると気持ちいいです。

清水峠の取材と同様、ここにも酷暑の平場とは違う清涼な風が吹いていました。日常生活で四面楚歌に陥りどうしろってんだバカヤローと感じることがあったら、また山小屋に泊まりに来て穏やかな朝を迎えたいです。

いや、まぁ、気分転換なんてしてる余裕がないのが、実際の毎日ですが...。

清水峠の取材のアイデアは、おとなプラス新年会で、日報写真部の方が「小林くん清水峠って知ってる? いいんじゃない」と言ってたのが頭に残っていて、今回提案、取材しました。

苗場山は、昨年の秋山郷取材で訪ねた民宿「苗場荘」の女将・島田とも子さんが、「この裏から苗場山登れるんだよ。きれいだからいつか来てみて」と言ってたのが、頭に残っていて、今回その機会をいただきました。

取材先各地でいただいたご縁にあらためて感謝します。

ありがとうございました。

引き続き、身近なご縁を手繰りよせながら地道に各地を歩いて行きたいと思います。また、来月も辺境と辺境を結んでの取材を予定しています。

新潟日報「おとなプラス」は朝刊と合わせて3,980円で購読可能です。バックナンバーは県内のNICまたは新潟日報社に問い合わせて買うことができます。一部60円(送ってもらう場合、別途送料や振込手数料がかかるかもしれません。要問合)。興味のある記事だけでもぜひどうぞ。

2018年7月24日火曜日

直江津の高校生からの電話

今日は直江津の高校に通う女子生徒から電話があった。

「地域活性化に興味があって、話を聞かせてもらいたいんですけど」とあきらかに緊張したトーンで電話がかかってきた。

そうだろう。

わたしが高校生の頃、社会人の知らない人にいきなり電話して、自分の問題意識をぶつけることなど到底できなかった。20分ちょっとの電話だったが、立派な高校生だった。拍手を送りたい。

夕方だったこともあり、子守をしながら夕食を作っている最中だった。それでもテキトーな答えにならないよう、ゆっくりと丁寧に答えたつもりである。

彼女の質問はおおよそこんな内容だった。

「なぜ紙の雑誌なんですか」

「雑誌を作ろうと思ったのはなぜですか」

「新潟の魅力はどんなところですか」

「昔から文章を書くことが好きだったんですか、得意だったんですか」

「新潟で起業するメリットはどんなところですか」

「起業の際に苦労したことはどんなことですか」

「営業はどんな風にやっているんですか」

ひと通り質問を終えた彼女は、「なんか良かったです。いまって、将来起業するぞって準備や勉強している人も多いですが、小林さんはそうじゃないんですね」と。

その通り。

なんの計画性も合理性もないところで、「こういうメディアをおれがつくらなければ」というなんの根拠もない、自分でもうまく説明のできない使命感から作り出したので。

しかし、彼女にはなにかが伝わっているようだった。相槌を打つ彼女のトーンが次第に明るくなっていくのを感じた。

さて、わたしからもすこし聞こうと思い「これは学校の授業の一環で聞いているのかな?」と言うと、「いえ、わたしの個人的な思いからです」と。

さらに聞くと、「人口減少や過疎が進む中でわたしの地元・直江津はどうなっていくんだろうって危機感があって。若い人は出て行くし、戻ってこない。これからどうなっていくのか...」とのことだった。

驚いた。

花角新知事が県の最重要課題として掲げることを直江津の女子高生もおなじく考えているのだ。この生徒が自分ごととしてこの問題に向き合う危機感と覚悟は、知事や県幹部職員ともなんら引けを取らないだろう。

2018年6月21日付、新潟日報朝刊より

たまたま気になってノートに貼り付けていた藻谷浩介さんの記事からすこし引用したい。

新潟県の経済発展にはなにが必要かと問われて藻谷さんは、出生率が上がり、若者が戻ってくる環境をつくることだと答えている。経済がよくなれば人口が増えるのではない、とも。

以下はそのままの引用である。

「子育てが親の自己責任とされ、助け合いが難しくなれば、子どもが減るのは当然。特に新潟県など東日本は自己責任の考え方が強く、根底から改めなければいけない

「必要なのは地域の良さを学ぶ教育だ。学校では農業や釣り、アウトドアといった地方ならではの遊びをあまり教えていない。親からも教わりにくくなっている」

「農村漁村では60歳を越えても畑を耕したり、祭りに汗を流したりして充実した生活を送る人も多い。こうした事実に目を向けてもらい、どうすれば充実した人生を送れるか一人一人が考えてほしい」

わたしの編集・出版活動がこの問題で担える役割としたら「地域の良さを学ぶ」こと、知ることの一助になることかもしれない。電話を終え、ふとこの記事の内容を思い出して感じたことである。

また、下線はわたしのほうで引いた。最近感じることだが、新潟で地域の顔役(会社経営、組織のリーダー、ちょっとした有名人)として活動する40代前後の人にも「自己責任」を過剰に訴える人は意外に多い。わたしも藻谷さんと同意見で、これ以上、自己責任を追求するよりも、助け合い、支え合える社会に向かってほしいなと願っている。

突然の一本の電話だったが、そんなことを考えさせられた。

ネットで検索したかで、Life-mag.のことを知って電話してきたらしい。だれか共通の知り合いに紹介されたのかと思ったら、そうではないとのこと。もしなにかあれば、いつでも連絡をもらえたらと思う。

2018年7月20日金曜日

『岩室温泉お宿手帖』より「皆元/寿司亀」さんを紹介

皆元の主人

岩室温泉お宿手帖」から「皆元/寿司亀」さんの記事を転載して紹介します。原稿は以下です。

--
 〈お客さん皆んなの元(=帰ってくる場所、故郷)になれるように〉

 「旅館 皆元」の皆川久美子さんは、名付けの由来をこう話す。

 旅館には寿司屋である「寿司亀」が併設されており、実は旅館より先に寿司屋の営業から始まった。

 東京・町田にあった「寿司亀」の分店として昭和五二年、岩室温泉に開店。夫の泰造さんは東京の寿司亀で寿司職人として修行後、岩室の分店を任された。「はじめは半年くらいのつもりで岩室に来たんだけどね」と笑う。

 ここで久美子さんと出会い、後に結婚。以来、四十年以上に渡って、夫婦二人三脚で寿司屋と旅館を営んできた。

 「ここはもともと『皆川屋』という置屋をやっていた私の実家です。町田の寿司亀は兄の店でした」と久美子さん。昭和六二年に増改築し、旅館の営業も始めた。

 寿司屋、旅館ともに、寺泊港から仕入れる鮮魚をはじめ地物をふんだんに使う。「岩室は海、山の幸が豊かだと思う。白身魚だとタイ、フグ、メバル、クロソイなど良いものが手に入る」と泰造さん。

 また「お客さんは長く通ってくれる常連さんが多くてね。同じものは出せないと思い、常に勉強しながら新しい料理に挑戦して来た」と泰造さんは話す。

 岩室の魅力を聞くと「田植えの頃、弥彦山の上から越後平野を見ると湖の中にぽつんぽつんと集落が浮かんでいるように見える。それが秋になると黄金の絨毯に変わっていく。自然が豊かだよね」と。

 旅館またはカウンター越しに味わえるのは、海・山の恵み、そして自然の豊かさかもしれない。

--
原稿は以上です。この取材はわたしの方で取材と撮影を担当しました。制作途中のブログで紹介しましたが、旅館や寿司屋内に飾られた花々がきれいで癒されます。

土・日・祝のお昼は1,000円ちょっとでランチも楽しむことができます。寿司とビール、すこし酔いをさましたら温泉というコースもやってみたいですね。

温泉手帖のなかから3本の記事の抜粋を紹介してきましたが、ウェブでの公開は以上です。すでに新潟市西蒲区ないの旅館・ホテル、飲食店、行政施設等で配布が進んでいますが、確実に手に入れるには「いわむろや」のカウンターで申し出るのがいいかなと思います。

いわむろやカウンターにて
左=小倉館長、右:ミュージシャンでスタッフの翼くん

わたしもある程度もらいましたが、すでに手元になく、追加でもらいたいところです。またいつか岩室温泉や西蒲原地域の魅力発信に関われる機会を楽しみにしています。

岩室温泉にお越しの際はぜひ気軽にお声がけください。

2018年7月14日土曜日

北方文化博物館へ追加納品へ

北方文化博物館

先日、新潟市江南区の北方文化博物館にLife-mag.の追加納品と途中精算で伺いました。今年4月からvol.005〜vol.010の取扱でお世話になっています。ありがとうございます。

取材で湯沢町に向かう前に駆け足で伺いましたが、ほんとはゆっくりとこの建物・庭園に流れる時間を味わいたいところでした。数枚だけ撮った写真が以下です。

1

2

3

4

写真4の館内ショップにて取り扱いいただいています。県内外ときに海外からも訪ねるというお客様に、Life-mag.を通じ新潟の地域文化・人物の魅力が伝わることを願っています。

また、ショップスタッフの竹井友輝さんは漆でマンガを描いているとのこと。この日、はじめて挨拶させていただきました。

以前に同博物館内で展示会をやった縁もあり、いまはスタッフとして働いているそうです。博物館のブログで様子が紹介されています。

その1:https://hoppo.exblog.jp/24663433/
その2:https://hoppo.exblog.jp/23777842/

また、8/17〜8/28は中央区姥ヶ山のアークギャラリーで行われる「宇宙展」に出展するとのことです。近くに行く機会があったらのぞいてみようと思います。

市外や県外の友人知人が来たときなど、北方文化博物館に案内するのもおすすめです。ぜひどうぞ〜。

2018年7月13日金曜日

ブックスはせがわ in LISへ

店主・長谷川さん

昨日、今日と湯沢町に取材で出かけてきました。その帰り道、長岡市のブックスはせがわさんに挨拶へ。ブックスはせがわささんは現在、S.H.S長岡店に併設されているLISというショップのなかで書籍の販売を行なっています。Life-mag.の取り扱いでもお世話になっています。いつもありがとうございます。

フライヤー表

フライヤー裏

LISで7/15、長谷川さん主催で「野中克哉 根っこは何処へゆく 映画上映会&尺八演奏会」があるそうです。切腹ピストルズのメンバーで尺八奏者でスケーターの野中さんを迎えてのイベント。ぜひチェックを!

2018年7月11日水曜日

雑感:NHKテキスト「神谷美恵子 生きがいについて」

NHKテキスト 生きがいについて

「どういうひとが一ばん生きがいを感じる人種であろうか。自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力をそそいで歩いているひと −− いいかえれば使命感に生きるひとではないであろうか。
このような使命感の持主は、世のなかのあちこちに、むしろ人目につかないところに多くひそんでいる。肩書や地位のゆえに大きく浮かびあがるひとよりも、そういう無名のひとびとの存在こそ世のなかのもろもろの事業や活動に生きた内容を与え、ひとを支える力となっていると思われる」

ハンセン病療養所で精神医学的調査を行い、患者に寄り添ってきた精神科医・神谷美恵子の『生きがいについて』の一節。先月バックパックに入れて持ち歩いて、隙間時間にめくってたNHKテキストより。解説は若松英輔さん。

目立つ仕事じゃない、大きな資本も流行も関係ない。それでも −− 。取材で各地を歩いているとそういった人に出会うことがある。耳を澄まし、縁をたどって歩き、そういう人にたどり着けることが、巡り巡ってわたしの喜びかな。

2018年7月8日日曜日

『岩室温泉お宿手帖』より「ほてる大橋」さんを紹介

ほてる大橋・石添社長

岩室温泉お宿手帖」から「ほてる大橋」さんの記事を転載して紹介します。原稿は以下です。

--
 「ほてる大橋」の歴史は明治初期にさかのぼる。当時、行商や豆腐売りから資金を貯め、矢川のほとりに小さく料理屋を構えた夫婦がいた。

 お店は本家の橋本屋から橋の字をもらい、また大きく繁栄するようにと「大橋屋」と名付けられた。その後、旅籠屋から旅館へと形態を変えながら多くのお客様を迎えて来た。

 昭和三十〜四十年頃には社名を現在の「ほてる大橋」に変更。ここ岩室温泉街ではいち早く木造から鉄筋造りの建物を建てたという。

 石添社長は関東の大学卒業後、岩室へ戻り旅館の仕事をする他、二五歳の時には一年間日本と海外にバックパッカーとして旅へ出た。

 国内外の観光業や食に多く触れ、改めて地元岩室温泉の魅力や観光について考えるきっかけになったという。帰国後は地域イベントにも力を注ぎ、三年前に社長を継いだ。また現在は、全国・海外各地のより良いものを岩室でも提供できるようにと試行中。

 「みんなが集まって美味しいご飯を食べるっていうのは、一番の幸せなんじゃないかなって思います。旅館という場が大切な人との絆を深め、縁が繋がる場所となるようお客様に関わっていきたい」と話す。

 宿泊はもちろん、鉱石ミネラル風呂「嵐の湯」やランチバイキングなど日帰りでの利用も好評。また館内からは、四季折々の姿が美しい千坪の庭、岩室富士をはじめとする山々を一望できる。ほてる大橋でしか味わえない贅沢な風景や美味しい食が、家族や友人など大切な人との時間をもてなしてくれる。

--
原稿は以上です。

こちらの取材・原稿は村山亜紗美さんにお願いしました。他、濱松屋さんの写真、松屋さんの文と写真、めんめん亭わたやさんの写真も村山さんの担当でした。まだまだライターとして一歩を踏み出したばかりですが、焦らず、少しずつ場数を踏んで、腕を磨いていってもらえたらなと思います。

写真は、Life-mag.小林です。じつは石添社長は中学時代の同級生ということもあり、旧友を撮影することになりました。

本文で社長が「大切な人との絆を深め、縁が繋がる場所となるよう」と語っていますが、今秋、ほてる大橋で同窓会を予定しています。わたしも幹事のひとりとして、この週末は調整役としてあちこち歩き回り、声かけを行いました。

ほてる大橋は、岩盤浴やランチでの利用、価格を抑えたプランなど岩室温泉の間口を広げるようなプランも用意しています。機会がありましたらぜひ利用してみてください。

2018年7月6日金曜日

渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』読了

渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』

「病院で暮らすか、地域で住むかの選択権は、その当人にあるべきです。人工呼吸器をつけて、街で当たり前に生活できる世の中をつくるために、私は頑張りたい」

筋ジストロフィーを患いながらも、多くのボランティアを集め、自宅で暮らし、生き抜いた北海道の鹿野靖明氏の半生を追ったノンフィクションです。生きることをあきらめないこと、衝突を繰り返しながらも人と関わることをあきらめないこと、それは障害のあるなしに関係なく、大切な姿勢だなと感じました。

また、著者の渡辺さんは「無信条、無計画、無秩序に、雑多な文章を書いては糊口をしのいでいた」フリーライターだったようです。2年半に及んだ取材の過程では、「最後の一年は、他の仕事がまったく手に着かず完全に食えない状態になてしまった」「一冊の本ができあがるまでには、多くの人の助けと時間と労力と根気とお金と、そして、孤独な日々に向き合う図太さとが必要だった」とあとがきに書いています。

本の内容もそうですが、同じく地方で本(雑誌)づくりに携わる者としては、その制作背景(生活)の厳しさにも思いを寄せてしまいました。

2003年発行の本ですが、いまも読み応え十分です。おすすめ。

2018年7月5日木曜日

『岩室温泉お宿手帖』より「ゆもとや」さんを紹介

ゆもとや女将・高島涼さん

岩室温泉お宿手帖」から「ゆもとや」さんの記事を転載して紹介します。原稿は以下です。

--
 岩室温泉内にて温泉に入り、療養するための湯治場「ゆごや」として明治十三年に創業。現在の「ゆもとや」の名前は岩室温泉の「湯元」から名付けられた。

 客室は六三部屋、収容人数三五〇名と岩室温泉で最も大きな旅館だ。家族やカップルでの利用はもちろん、ビジネス・一人旅、宴会場やコンベンションホールなどを活かした団体利用、婚礼・法要、さらにレストラン・エステ・日帰り利用など、多様なシチュエーションにも対応したサービスを行っている。

 「癒しや非日常を求めていらっしゃるお客様一人ひとりのご要望に寄り添った対応ができるのが私たちの特徴です」と、女将の髙島涼さん。

 二〇〇五年に結婚を機に旅館へ入ると、世の中の動きに合わせた柔軟な発想で、高速バスの誘致や、外国人旅行客を取り込むインバウンド事業などに取り組んできた。

 旅館での会席料理は村上牛、のどぐろ、南蛮エビなど、知名度のある新潟のブランド食材を欠かさず楽しめることを心がけている。

 また、古民家イタリアン「灯りの食邸KOKAJIYA」と連携し、温泉とイタリアンを楽しめる泊食分離プランを企画。「お食事は旅館の中でという固定概念に捉われることなく、新しい楽しみ方を提案したい」という女将の想いから生まれた提案は、女性客だけでなく、年配の男性からも好評だという。

 「仕事場という舞台を私たちが楽しむことで、お客様に快適に過ごしてもらえる」と、約七十名のスタッフに目配せ、気配りをするのも女将の仕事。チームワークで、質の高いおもてなしを実現している。
--

原稿は以上です。

唐澤くんの自宅編集室にて
愛機はPENTAX

ゆもとやさんの原稿・写真は岩室温泉から車で5分の西蒲区福井在住のライター・唐澤頼充くんです。「にいがたレポ」というサイトを運営しながら、各種媒体の取材・執筆を行なっています。

愛らしくも品のある一枚を撮っていただきました。ありがとうございました。

またいつか岩室温泉、西蒲区についての取材など一緒にできる機会を楽しみにしています。

2018年7月3日火曜日

新潟市美術館ミュージアムショップルルルへ追加納品

ルルルカウンターにて

先日、新潟市美術館ミュージアムショップルルルにLife-mag.の追加納品で伺いました。vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】とvol.010【西蒲原の農家 編】を追加させていただきました。いつもありがとうございます。

すこし前に中国の方がLife-mag.を3部買っていったそうです。ごくごく微力であることは承知していますが、雑誌を通じて、新潟の、日本の地域文化を海外に発信する媒体になれていることはとても嬉しいです。

この納品の日は、「午前中におじいちゃんが買っていきましたよー」とのこと。ありがたいです。

現在、市美術館では五泉市出身の阿部展也展が開催中です。

フライヤー

近くに行く機会がありましたらぜひ。

ルルル:http://kokagedelululu.com
市 美:http://www.ncam.jp

2018年7月2日月曜日

英進堂さんへ集金へ

諸橋店長

先週後半、新潟市秋葉区の英進堂さんに集金業務で伺いました。創刊号の頃からお世話になっている書店です。

「〈本好きの人〉だけでなく、〈本を必要としている人〉に届けるにはどうするべきか。ずっとそんなことを考えている」と諸橋店長。

そんな思いもあって、6/10に「おせっかい書店」という書店員がおすすめの本をお客さんに紹介するイベントを開催したそうです。店員の方からお客さんに軽く声をかけて、本を紹介していったそうです。(あくまで押し売りにならないよう気をつけて)

他の書店でもそうですが、わたしはLife-mag.の納品を通じて面識があるので、「いまこの本面白いよ、知ってる?」などおすすめの本を店員さんから直接教えてもらうことがあります。しかし、一般のお客さんだったらどうでしょうか。英進堂さんだけでなく、ジュンク堂や紀伊国屋、知遊堂、TSUTAYAなどに行っても、店員さんと気軽に話すことができる...、という雰囲気はなかなかないように感じます。

本くらいひとりで静かに選ばせろよ、とも思いますが、一方で数多ある本を日々さばき続けている書店員さんが持っている本の情報を必要としている人も、じつは多いのではないか、とも思います。一万円選書で有名ないわた書店とまでいかなくとも、もうすこし気軽に書店員さんと話せる機会があれば、本屋の敷居もさがるのかな。

スマートフォンに表示されるネットニュースやSNS上の華美でトレンディで悲惨で憂鬱な情報洪水の前で立ちすくんでいる人に、ぜひ立ち止まって、本や雑誌の世界も楽しんでほしいなと思います。

英進堂さん、よく手入れされた本棚でみているだけでも新しい発見があります。新津方面に行く機会がありましたらぜひ寄ってみてください。

パリのすてきなおじさん

集金後、店内を物色して3冊購入。1冊は、今年の正月あたりにナンダロウさんがツイッターでおすすめしていた『パリのすてきなおじさん』。気になっていたので購入。

書店員ではありませんが、友人・知人が勧めてくれた本はピンとくるものが多く、なるべく手にするようにしています。狭小な自分の視野をすこしでも広げてくれる機会なので。

いまは友人の勧めもあって2003年発行の『こんな夜更けにバナナかよ』を読んでます。次はパリのおじさん読んでみます。

2018年6月28日木曜日

【完成】『「夏井のはざ木」手帖』を編集しました

「夏井のはざ木」手帖

新潟市西蒲区の夏井地区に残るはざ木のことをまとめた『「夏井のはざ木」手帖』が完成しました。先日お知らせした『岩室温泉お宿手帖』と並行して取材・編集を続けていたものです。

2回折って、A6判になるもので、6ページの構成になっています。こちらも岩室温泉地域づくり協議会には納品済みですので、お宿手帖と合わせて今週から西蒲区内、周辺地域で配布が始まります。

「はざ木とは」、「夏井地区の歴史」、「はざ木の保全活動、観光、教育への活用」、「わらアートまつり」、「談志の田んぼ」、「斉藤文夫写真集:はざ木のある風景」、「はざ架け米」などの紹介をコンパクトにまとめた観光パンフレットです。

表紙の写真はカーブドッチ内に写真スタジオ構える田中幸一さん(AHM-Wink)からお借りしました。ありがとうございました。(*パンフレットではHとMの順序が逆になっていました。お詫びして訂正させていただきます。すみませんでした)

県内外の観光パンフレットの撮影を多く手がけてきた方で、写真を借りにいった際、撮影エピソードを聞かせてもらいました。どれほど時間をかけて「作品」と呼べる一枚を撮っているのか...、そこにかける情熱、探究心がすごかったです。

田中さんのスタジオ兼ギャラリー「AHM-Wink」
スタジオ名はPink FloydのATOM HEART MOTHERから

スタジオにはギャラリーも併設されていて自由に見学できます。いまは田中さんが顧問を務める写真クラブの作品が展示中です。カーブドッチ、ヴィネスパ、Life-mag.vol.010【西蒲原の農家 編】掲載のごとらって・後藤敏子さんのお店など訪ねる機会があれば、ぜひ寄ってみてください。

誌面の全体はこのような感じです。文章は読めないサイズなっています。ぜひ西蒲区内や周辺地域でパンフレットを手にとってみていただけたら嬉しいです。

夏井のはざ木手帖

昨日、夏井地区の区長さんのお宅を訪ねて完成の報告とお礼をしてきました。

「自治会でもちょうどはざ木のある風景にからめて秋頃イベントをできないかと検討していたところでね。こういうのがあるとありがたいてぇ。夏井全戸に配るて」とのことでした。

Life-mag.の取材・編集でもそうですが、取材対象地域の方々が地元の魅力を再発見する機会になれること、それがまたわたしのやり甲斐にもつながっています。どんなに素晴らしい活動でも、その土地に暮らす人たちを置いてけぼりにしないよう心がけたいものです。

夏井地区には、西蒲原のかつての田園風景を象徴するようなはざ木が保存されています。四季折々の表情を見せる夏井、岩室温泉、そして西蒲区にどうぞお越しください。

2018年6月27日水曜日

編集室の窓から

学校町の編集室から、新潟市西蒲区に移ってからは人の往来より野鳥の飛来を見ながらの編集作業が続いています。

カワラヒワ

昨日(6/26)の午後はカワラヒワがぴょんぴょんと飛び跳ねているのが編集室の窓から見えました。カラスとスズメとハトしかわからなったのに、プラスαでひとつふたつでも見分けられると嬉しいですね。

ま、野鳥の先生に確認してから書いたんですが...。

龍司くん

燦燦カフェランチ

看板

今月、初旬。新潟市西蒲区のアクアデザインアマノに勤める小川龍司くんから、野鳥からみる新潟の自然環境について個人授業を受ける機会に恵まれました。中学〜高校時代、佐潟で野鳥観察をしてから登校していたという野鳥マニアです。

海、山、川、平野、街などがある新潟県は多くの野鳥が見られる野鳥観察には恵まれた自然環境だそうです。日本では約600種、新潟では約410種が観察できるそう。

西蒲区周辺地域のどこにどんな鳥が住んでいるのか、渡ってきているのか、細かく知っていて驚きました。また、河川や道路整備が野鳥の生態系にどのような影響を与えるのかまで。

いやぁ、すごい情熱に圧倒されました。いつか龍司くんの視点を借りて、なにかの特集を形にしてみたいです。

角田山灯台コースより イソヒヨドリのきれいな鳴き声とともに

待ち合わせ場所にした燦燦カフェは、角田岬灯台のすぐ近くにあるお店です。新潟市中央区の北書店・佐藤さんの昔のバンド仲間が経営するカフェ。北書店の販売棚もあって、Life-mag.も【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】を中心にすこし置いてもらっています。

「新潟市の自然に育まれる海岸林の野鳥たち」

こちらは「にいがた野鳥の会」が編集協力し、新潟市環境部環境政策課が発行した『新潟市の自然に育まれる海岸林の野鳥たち』というポケット図鑑です。龍司くんからもらってから、ずっとリュックに入れて持ち歩いています。

同課は、「にいがた市民探鳥会」というのも開催しているそうで、いつか参加(取材)してみたいです。

わたしたちの暮らす身近な生活圏に多様な動植物もまた生きて、暮らしていることを知ると、日常を見る視点が変わってくるなと感じています。人間のリズムだけでなく、彼らのリズムを感じるのは楽しいです。

新潟は、亀田郷や西蒲原をはじめ、潟や沼地のひろがる低湿地を、途方も無い労力をかけ干拓してきた歴史を持ちます。今後行われる潟や里山、道路や河川など人為的な開発も自然や動植物との調和のなかで進んでいくといいなぁ、と最近感じます。

いつか、なにかの機会の問題意識に。

スズメ、ムクドリ、ハト

べつの日の窓から。同じ場所でスズメ、ムクドリ、ハトが餌をつついていました。