2016年8月31日水曜日

[007]Report of Awashima by Asami M.

村山さんの粟島レポート7通目をアップしました。
————————————————————————

8月2日から始まった約1ヶ月の粟島滞在が終わりました。

帰りの船からの粟島港1

2

「一度腰をおろすと、いつの間にか根が張って、居心地がよくなって立ち上がらなくなってしまうのよね」。粟島に来てはじめの頃に、言われた言葉です。なんとなく、心に引っかかっていました。

粟島は緩急のある地形により、山と沢を生み出し、豊富な自然を作り出しました。かつて、島に辿り着いたいくつかの部族は様々な時を経て、今の集落に定住しました。

女性の背中であらゆるモノを担いで運び、崖のそばであろうと、山奥の斜面でろうと、ありとあらゆる土地を使って田畑を耕しました。男性は船や網を作り、広い海を手で漕いで漁をして、家を守ってきました。

かつては今の人口の倍以上である、800人ほどをこの島で養ってきました。そんな人たちが作り上げてきた生活があります。

島でどのように生活していくのか。時代の変化と共に、自分たちで考え、つくり、生計を立ててきました。決して華やかではない、ひたむきで、温かく実直な生活です。

畑で採れた野菜1

2

現在では、新しい風と共に昔の生活は少なくなりつつあります。しかし、先人が残してきたモノは、計り知れないほど偉大です。そんな島をようやく、見ることができました。

人との距離、関係を築く、ということは恐らく、経験でしか得られないでしょう。その経験を少なからずとも、得られたのだと思います。人と接して、距離を持てたからこそ、見えてきた島の風景がありました。その人の「人生」や「日々の生活」に踏み込んでいくことは、簡単ではありませんでした。

当初感じていた「どこか疑うような視線」は、自然とやわらかいものへと変わっていました。「無視できない」島の環境は、ある時には辛く、ある時には寛大な環境です。

ここで生活することは、決して簡単なことではないけれども、私が知る街にはないものがあります。「根が張る」という感覚がすこし理解出来たのかもしれません。

やわらかく差し込む光と、さわやかな潮風。木々の強い緑と、海と空の眩しい青。島全体を包む虫たちの鳴き声。

内浦地区海岸沿い

寝泊まりした部屋

このような環境で生活できた事を、純粋に嬉しく思います。新たな出会い、経験、別れを通して、学ぶことは沢山ありました。このような機会を与えていただいた多くの方に感謝し、今後、雑誌作りに励みたいと思います。

2016年8月30日火曜日

埼玉県飯能市を訪問

2016年7月21日、22日と埼玉県飯能市に行ってきました。地元のまちづくり団体の方から『Life-mag.【飯能編】』がつくれないか? と打診があり、その視察でした。

ご縁をいただいたのは昨年11月に依頼された佐渡ツアーのコーディネートでした。そこに「飯能未来フォーラム」の沓澤行廣さん、伊藤恵里子さんが参加しており、その時わたしが持参していた『Life-mag.』を購読いただいたのがきっかけです。

ツアー後、しばらくして連絡をいただきましたが、馴染みのない土地であり、まだ関心も薄いため「難しいです」と返信させていただきました。しかし、「一度、見にきてもらいたい」と再度、声をかけていただき、今回の訪問となりました。

21日に定例会があり、東京農大教授の木村俊昭さんの講演もあるとのことで、そこに合わせて遠征してきました。木村さんの講演とワールドカフェによる飯能の魅力の再確認が行われました。

木村さんの講演タイトルは「地域創生 成功の方程式はあるのか?」。以下、わたしが箇条書きにしたメモです。

・地域創生は地元住民が主役、行政は黒子
・情報共有、役割分担、出番創出
・広聴、傾聴、対話の継続実施が必要
・(3ヶ月+3ヶ月+6ヶ月+6ヶ月)×2回=3年で結果を出すべき
・行動計画を立てるにも考える順番を間違うな
・町の主産業はなんなのか把握しろ、その上でどんな業種で起業してもらいたいか、企業誘致もターゲットを絞って行え
などなど。

その後、ワールドカフェがあり、懇親会となりました。翌22日は「にこにこハウス」でお昼を食べて、飯能河原を散策して、帰ってきました。

はじめ打診をもらったときにわたしが提案した構想はこんな感じでした。

・飯能市の「森林文化都市」宣言を掘り下げる。林業者、マタギ、炭焼き、養蚕などに関わる人。
・入間川、高麗川の環境や歴史、流域文化に関わる人。
・「自由の森学園」の先生や学生で面白い取り組みをやっている人。
・固定種の販売を行っている「野口種苗研究所」野口勲さん。
・飯能の土産(どさん)品。
...などでした。

しかし、懇親会で地元の人から話を聞いて興味を持ったことは、「高句麗文化圏」としての飯能です。

朝鮮半島北部にあった「高句麗(こうくり)=別名:高麗(こま)」という国が滅亡に向かうなか、多くの高麗人が日本に逃れてきていました。そして716年、大和朝廷は関東一帯に住んでいた高麗人1,799人を集めて、武蔵国(むさしのくに)に高麗郡(こまぐん)を設け、そこに住まわせたのです。それが現在の日高市、飯能市にあたります。

日高市にある高麗神社は、当時の高麗人のリーダーであった高麗王(こまのこきし)若光(じゃっこう)をお祀りしています。また、鶴ケ島市にある白鬚(しらひげ)神社も高麗人たちが築いたものといわれ、「脚折雨乞(すねおりあまごい)」という行事が残っています。そして、今年2016年は高麗郡建郡から1300年の節目の年で各種イベントも開催されているようです。

行政区画をまたぐことになりますが、そういった歴史から浮かび上がってくる人を取材してみたいです。高句麗文化圏、または高麗川/入間川流域文化圏としての飯能地域を取材編集できたらなと思いました。

ただ「飯能未来フォーラム」は農山漁村振興交付金事業のなかでの活動でもあるので、予算や条件もあります。わたしの好奇心だけではもちろん進めることは不可能で、フォーラムの中心メンバーや地元の方々の要望、行政予算の目的や狙いもあるでしょう。訪問後わたしからも再度、条件を提示しましたが、やはり簡単ではなさそうです。

どうなるかは不透明ですが、せっかくのご縁と活動の記録と思い、ブログで紹介させていただきました。

22日のお昼に訪ねた「にこにこハウス」スタッフの皆さん。代表は佐藤智恵美さん(左)
精神障害をもっている方々の雇用創出、交流活動を行っています
スタッフの皆さんも明るく迎えてくださいました

ランチは地元の方々で賑わっていました
西武鉄道OBの方や地元作家の方ともお話させていただきました

名物カツカレーを注文
また行きたいです

21日定例会の様子

右が木村さん

ワールドカフェの様子1

2

3

4

5

6

7

21日夜の懇親会

飯能河原にある水天宮と右の小さな建物は観光案内所
管理人のおじいさんから地図をもらいました

2016年8月29日月曜日

シンポジウム「巻原発住民投票・あの日、あの時」で司会を務めました

来場者約80名(Photo: Sohei Ogura)

2016年8月7日に旧庄屋佐藤家で開催されたシンポジウム「巻原発住民投票・あの日、あの時」の司会を務めさせていただきました。ゲストは笹口孝明さん(「住民投票を実行する会」代表、元巻町長)、坂井恵子さん(元「青い海と緑の会」)、織原正明さん(元NT21報道部副部長)、松井克浩さん(新潟大学教授)で、それぞれの立場から当時を振り返ってもらいました。

笹口さんは、「実行する会」の立ち上げから、町長就任、そして住民投票の実施にいたるまで、そこにあった苦労や意義を。坂井さんは、小さな子どもをもつお母さんたちが中心になって立ち上げた「緑の会」の結成から街宣、選挙活動を。織原さんは、テレビ記者として「住民自治」の観点から報道して、見て聞いたこと。松井さんは、社会学者として住民投票後の巻町を研究調査してみえてきた巻町住民投票の先駆的な意義をお話しいただきました。

ゲストの方々が人生を賭けて経験してきたことの重み、来場者の問題意識の高さに、緊張しながらも、どうにかこうにか話を聞き出していきました。14:00からはじまり、途中休憩をはさみ、16:30の終了予定を過ぎて、17:00頃に閉会となりました。

至らない点も多かったと思いますが、恥をかきながらも成長させてもらう機会だったと思っています。いい経験をさせてもらいました。

シンポジウムの最後にも一言コメントさせていただきましたが、今回の準備であらためて感じたことがあります。それは住民投票の経験を振り返ることは「防災」の視点に似ているということです。

原子力発電所建設計画は、自然豊かな角田山の麓「角海浜」に突如としてやってきました。それに対し、「代議制民主主義」を重んじながらも、住民自身がそれが充分に機能していない、議会が住民の希望と食い違った決定をしようとしていると感じたときには、住民投票による「直接民主主義」という方法もあることを、巻町の経験はよく教えてくれると思います。

さらに言えば、似たような事態はこれからも起こりえるし、沖縄の基地問題をはじめ現在進行形で起こっています。

わたしたちひとりひとりが完璧な市民ではないように、民主主義もまた完璧なシステムではありません。どこかに軋みが生じたときには手入れが必要です。

天災は忘れた頃にやってきます。「防災」訓練のひとつとして巻町住民投票の経験、歴史は、とくにわたしたち若い世代が受け継いでいくべきことだと思いました。

以上です。
以下にわたしが撮影した写真もすこしアップします。

シンポジウム前に福井のお母さんたちの料理でお昼

写真奥に写るのが斉藤文夫さんです。斉藤さんは、角海浜へ足繁く通い、廃村へと向かう過程を撮影しました。シンポジウムでも途中で話をふって、角海浜の様子をすこしお話しいただきました。

左手前が主催者のひとりの中村正紀さんです。中村さんは、巻原発設置反対会議の事務局長として長く反対運動に携わってきた方です。

巻町で長く続いた反対運動の特徴として、時代ごと、局面ごとに「役者」が立ってきたことがあります。今回のシンポでは笹口さんたち「実行する会」結成の1994年からの振り返りになりましたが、中村さんたちはさらに以前から運動を行ってきました。

1995年1月に「実行する会」は自主管理の住民投票を実施しました。当時の町長が当選した票数よりも多くの町民が原発建設に「反対票」を投じました。しかし、その直後に町長は東北電力と面会、予定地にあった町有地を臨時議会を招集して売却しようとしました。

その議会を流会にさせた前線にいたのが中村さんはじめ反対派住民でした。賛成派議員は、臨時議会を反対派議員に告知せず、月曜(1995年2月20日)に予定されていた議会まで議員室に泊まって潜んでいました。そこを破ってはいっていき、揉み合い、どうにか流会に持ち込んだときのことも、シンポジウムの途中で話をふって伺いました。

8/14のシンポジウム〈2〉

この日のゲストのひとり上原木呂さんは巻町住民投票のときには町民同士に「パッションの連鎖がおこった」と発言していました。だれかが起こした行動に、また他のだれかが応えていった運動を振り返っていました。わたしはこの日は残念ながら、途中参加、途中退席となってしまいました。

8/20「たっつぁん『ふる里』を歌う」

福井の里にあたたかい歌声が木霊した

この日も名曲『角田山』がしみました。シンポジウムとはまた違ったゆったりとした雰囲気の中、コンサートが開催されました。巻町制100周年を記念して、町から依頼されて作った曲『角田山』。「角田山よそのままで〜♪」とうたう歌詞に対し原発賛成派議員からクレームがついたエピソードの紹介がありました。「原発に賛成も反対もうたってないんだけどねぇ」と。

長く続いた複合イベント「巻原発住民投票から20年〜明日の巻地域を考える〜」、司会として関わらせていただきいい経験をさせていただきました。お世話になった皆様、ありがとうございました。


9月3日の夜に反省会がありました。(9月8日追記)

2016年8月28日日曜日

柏崎市高柳町荻ノ島へ②

8月25日、柏崎市高柳町荻ノ島を訪ねました。この日は2回目の訪問で、先日アップした記事にも書きましたが、同地区に滞在中のインターンシップ生2人(大学4年生)へのインタビュー講座の講師でした。

2人が参加しているインターンシップのテーマは、地区のおばあちゃんたちに聞き書きを行い、それをまとめ、フェイスブックページで発信するというものでした。約1ヶ月の期間、地区の行事に参加したり、農作業を手伝ったりしながら、交流を深め、聞き書きをすすめていくものです。

講座の1回目は「話の聞き方、記録の取り方」、2回目は「まとめ方、届け方」を話してもらいたいといった依頼でした。きれいに整った話ができないわたしでは、役不足だっただろうなぁと思いましたが、2人に伝えた要点はこんな感じです。

1.内側からこんこんと湧き上がる〈動機〉の大切さ
2.取材申込時に〈立場〉と〈目的〉を伝えること
3.大きなノートに〈質問は3つ〉に絞って書くこと
4.インタビュー取材から〈関係性〉がはじまります

わずかでも残る言葉が届いていればいいなと思います。

2回目の「まとめ方」では、わたしは、地区のおばあちゃん達10人分の人生から、荻ノ島の歴史・文化を浮かび上がらせるのはどうか? という提案をしました。お盆の風習(盆下駄を買ってもらったこと)。子どもにセーターを編んであげて大きくなれば、ほどいて編み直して着せた(ものを大切にする心)。茅葺き屋根での暮らし。高岡(富山県)に出稼ぎに出たときの都会の開放感。正月のごちそうはウサギだったこと。夫や家族が杜氏に出ていたこと(高柳杜氏)。地区の運動会や仮装大会の思いで。黒姫山の思い出。蚕を飼っていた暮らし。村にも響いていた戦争の記憶。などをある程度〈編集〉の目をもってピックアップするというものです。

それに対し、集落センターの春日俊雄さんから「そういったマーケティングの発想よりも、2人が感動した言葉だけ残してもらえればいい」との要望があがり、そちらの方向でまとめることになりました。当初、フェイスブックでの発信とのことでしたが、2人の途中経過のできばえが良かったのか、印刷物として残すようです。もしも一般に手に取れるものになるようでしたら、こちらでも案内させていただきます。

そして、先週に引き続き、講座後、高柳地区を歩いてから帰ってきました。また写真をすこしアップします。

澤田屋さんのジンギスカン定食でお昼を。高柳はかつてめん羊の産地だった

荻ノ島地区の棚田を登っていくとある湧き水を教えてもらったので、ひとりで行って、顔を洗ってきました

この湧き水から見えるのはこんな風景です

門出地区に移動して門出総合農場の鈴木貴良さん(右)、八代耕太さん(左)を訪ねる

鈴木さんは地域の若手(20〜30代)と一緒に「門出・田代べとプロジェクト」 という地域の歴史、文化を掘り起こし、小さなイベントを行う活動を行っています。
盆踊り(「しげさ」)のルーツを調査したり、古い温泉(天王山温泉)の源泉を辿ったり、マタギのじいちゃんにイノシシをさばくのを見せてもらったり、カンジキ作りを体験したりと様々です。そして、それらを活動の広報紙にまとめています。「残っていく、伝わっていくにはやっぱり〈紙媒体〉にこだわりたい」との思いが込められているそうです。むむむ、共感。

門出地区にある宿泊施設「門出かやぶきの里」の露天風呂。月明かりの下で入りたい...

[かやぶきの里]http://jonnobi-takayanagi.jp/stay/kadoide-stay.html


水路。個人的に萌えポイントです

石黒地区に移動。大橋勝彦さん宅へ。

大橋さんは『じょんのびだより』という地域誌の編集を2000年から続けています。地域の歴史、文化、自然、観光情報をおもに全国の高柳ファン、高柳出身者にむけて届けています。大橋さんの編集力が利いたいい冊子です。うちの編集室にも4冊あります。かなりおすすめ。

奥様の美恵子さんは織物や染色をやっていて展示会も行っています

ツクシ、アザミ、クロマイ、クサキなどで染めた糸(手前)。いま藍を育てていて、これから挑戦すると

山ブドウのツルで編んだバック。展示会に出すとほとんどが売れていく

ヤママユの糸で編んだストール(左)。やさしい手触り

2016年11月5日、6日と石黒地区で「からむし街道風土市」というイベントが予定されており、この時に7軒ほどのお宅が開放され、郷土料理、民芸品、工芸品の展示販売があります。詳細は観光協会WEBにまもなくアップされるそうです。

梅のシロップ煮を出していただきました

帰路、門出の「はしば鮮魚店」へ

豚モツやジンギスカンなど味付けの冷凍で売っています。豚モツを買いました

岡野町に移動。グルグルハウスに滞在中のオオサワくんと和可山食堂で麻婆麺

歴史・文化・自然の豊かさ、そこに暮らす人物の魅力にみせられた2回の高柳訪問でした。Life-mag.【高柳編】というのもいつかの問題意識として、アンテナを立てておきたいと思います(地域をまたぐのであれば十日町市の松代とあわせるといいのかも。【松代・高柳編】とか)。

再訪の機会が楽しみです。大橋さんに教えてもらった(絶景が楽しめるという)芝峠温泉は今回、時間がなくて行けなかったし。

2016年8月27日土曜日

[006]Report of Awashima by Asami M.

村山さんの粟島レポート6通目をアップしました。
————————————————————————

今回は、私が感じた島の食について少し紹介しようと思います。

まずは、おばあちゃんの梅ジュース。
自分で育てた青梅を3〜4日酢で漬けます。その後種を取って、氷砂糖と漬けたシソの葉を入れて、最後にお酒を少しだけかけて、15日程漬ければ完成です。梅はカリカリ梅に、漬けたシロップは水で薄めて梅ジュースとして飲みます。

梅ジュース

甘酸っぱく、塩分もあるので夏場には最適です。この味にたどり着くまでに何度も失敗したのだとか。知り合いの農家さんなどに作り方のコツを聞いたりして今の味を作れるようになったそうです。民宿をしていると、季節に採れたものをどうやったら長く美味しく保存できるか、よく考えていたそうです。

次に釜谷地区にある「売店きんべい」のあずきカキ氷。
ここはお土産の販売と食堂をしています。1番人気は、手作りあずきのカキ氷。あずきは粒が大きくて、味がしっかりしています。カキ氷用に少し甘めの味付けです。

あずきカキ氷

ここのおばあちゃんは、自分でまんじゅう、羊羹、豆腐など素材から全部作っているそうです。食べ物の話をしているおばあちゃんは、何だかとっても楽しそう。「美味しいものは時間をかけないと食べられないからね〜」とおばあちゃんはよく言います。

最後は「名物わっぱ煮」。
いつも、民宿の朝ごはんで出していますがこの日は私も食べられることに! 昔は海で獲れた魚、アワビなどを浜で味噌汁にして食べていたそうです。朝になると、釜谷の海岸沿いにあるわっぱ煮広場では、石を熱する煙があちこちで見えます。

焼け石をわっぱの中に入れる

この日は朝獲れたてのメバルをわっぱ煮に入れます。こっちではメバルの事を「てんこ」と呼んでいます。獲れたての魚は身がぷりぷりしていて、1匹をすぐに食べてしまいました。
わっぱ煮で使う味噌は、おばあちゃんの手作り。もちろん、大豆も畑で作ります。その家によって味も違っていて、民宿用は辛めに、家庭用は甘めに作るのだとか。
市販の味噌は普通、溶かさないといけないですが、この手作り味噌はお湯を入れるだけですぐに溶けます。添加物は一切入っていない為、冷蔵庫や冷凍で保存しています。私が食べたわっぱ煮の味噌は少し甘めので、魚との相性もすごく良かったです。


わっぱ煮

島で食べるものはどれも本当に美味しいです。特に変わった食材や、調理方法があるというわけではないですが、この島で作り、獲れた食材を美味しく丁寧に料理して、その過程を間近で見て、聞いて、味わうことが出来ます。ここの野菜や魚は匂いや食感がしっかりと感じられ、食べているのも楽しいです。作り手の話を聞いて、食べられる、ということも、この島の魅力なのかもしれません。

2016年8月22日月曜日

柏崎市高柳町荻ノ島へ

8月18日、NPO法人柏崎まちづくりネットあいさの宮沙織さんから依頼いただいた仕事で柏崎市高柳町荻ノ島を訪ねました。宮さんがコーディネーターを務めるインターンップ事業に参加している大学生に対して、インタビュー講座を行ってもらいたいとの依頼でした。内容に関しては8月25日の2回目が終わってからすこし触れられたらと思いますが、高柳地区をはじめて訪ね、いくつか写真を撮ってきたのでブログにアップしておきます。

講座前に集落を散策。ドラマのワンシーンのよう。

茅葺き屋根の材料をこしらえている集落の方に遭遇

よく整えられた手仕事は美しい


講座後、「ふかぐら亭」にて昼食

入口で販売中の野菜

妻有豚を使用したかけチャーシュー

ふかぐら亭さんは、ロック好きなマスターが蕎麦の実から育てるこだわりのお店。マスターのブログ(http://hukagura.exblog.jp/)をながめていても高柳のゆたかな食、自然が伝わってきます。

講座後は、ひとりで荻ノ島地区を歩きました。

ほんとにタイムスリップしたかのようです

軒下に吊るされたトウモロコシ。やはり美しい

酒造りの神様をお祀りする松尾神社

この写真を撮影していると集落センターのスタッフの方に声をかけられ、野菜のお土産をいただきました。自宅に戻っていただきましたが、味が濃かったです。

ここから車を走らせて柏崎市方面へ向かっているとあきらかに異空間のギャラリーがあらわれたので、ここでも寄り道。

小松稔展

NPO法人グルグルハウス高柳が運営するギャラリーでした。カフェやアーティストレジデンス、地域を巻き込んだアート活動などを行っているそうです。

高柳ガルルスキー場に設置された「風車のインスタレーション」

根岸和弘さんの作品で、8月21日までの設置でした。黒姫山と棚田とその上にかかる虹を表現したインスタレーションです。風車の軋む音が草原を駆けていく風をいっそう感知させてくれ、気持ちよかったです。

ギャラリーくろひめ「狐の館」

高柳の秋のお祭り「狐の夜祭り」の歴史、写真資料を展示したギャラリーも運営しています。


地元酒造会社に設けられた「酒の館」

また、ここは地元酒造会社・石塚酒造さんから相談、依頼をうけて蔵を改装した「酒の館」。イベントスペースや史料館として整備していく計画とのことです。写真に写っているピアノは同地区石黒中学校が廃校になり、校舎とともに取り壊される予定だったピアノです。グルグルハウスでなにか活かせないかと、声をあげたそうです。

引き取った後、このピアノが約58年前に石黒中学校に来たとき、音楽の先生だった方がまだ地元にいたことがわかりました。現在、80歳を迎えられた山田佳子先生はいまも元気で、当時の教え子たち(現在、60代)が集まってコンサートも行ったそうです。

今井さん(右)、サイトウさん(後ろ)

そんなグルグルハウス高柳を運営するのは、7年前に東京からきた美術家の今井伸治さんら3名です。わたしが訪ねたときは、カフェはクローズでしたが、「いいの、いいの!」と寄せてもらい、むぎ茶とシソジュースをいただき活動の紹介をしてくださいました。はじめはヨソ者だった今井さんが、地域の方々と信頼関係を築きながら活動を広げ深めてこられた話はとても面白かったです。

シソジュース。いい色。

またグルグルハウスのアーティストインレジデンスとして、画家の柴田智明さんが2013年10月から1年ほど滞在して作品制作を行っていました。現在は文化庁の海外派遣制度で、アメリカ・ロサンゼルスに渡り「チカーノ・アート」を学んでいるとか。

「最近、またレジデンス滞在をしている若者がいるんだ」との話があったのですが、帰り際にその人に会うと、知り合いでした(笑)。いろいろとつながるもんだ。

長くなってきたので、またの機会にあらためたいと思います。ふらふらとした寄り道でしたが、思いがけず面白い話が聞けました。