2018年7月30日月曜日

出張円盤レコード寄席「日本とタンゴ」at 北書店

日本とタンゴ

音楽史を語りながら、その渦中で歌い、生きた人たちの人間ドラマを語る。そんなイベントだった。

東京高円寺のレコード店「円盤」の店主・田口史人さんによる、レコード寄席に行ってきた。2018年7月28日18:30〜、北書店。

今回のテーマは「日本とタンゴ」。アルゼンチンタンゴが日本にどのように入ってきて、受け入られ、一大ブームとなり、そして衰退していったか、レコードをかけながら田口さんが解説するという「寄席」形式のイベント。

べつに普段タンゴを聴いてるわけじゃないんだけど...。そんなことは関係なかった。

3時間半ノンストップ。レコードをかけ、曲の解説をしながらも、その時代、そのシーンで活躍した渦中の人物の人間ドラマも語っていくので、次第に感情移入。

進駐軍を相手に家族を養うために歌い始めた藤沢嵐子、顔面神経痛のリハビリにスペイン語を習い始め、そして歌手となった阿保郁夫らを中心にした数奇な人生にぐいぐい引き込まれた。

枕元レコード

また田口さんが発行するレコード解説や10数名の寄稿者らの原稿を集めた『ミツザワ通信』を購入。試聴CD-R2枚付きで1,000円(佐渡の耕くんの寄稿も)。

自分が惚れ込んだものを突き詰めて調べ、記録にまとめて、伝えようとする圧倒的な熱量。これには打ちのめされた。

雑誌の原点てこういうことだよな...。

円盤寄席は、ほかにも学校編や沖縄編、相撲編などネタがたくさんあるらしい。気になるわ。

「いろんなイベントがあるなか今日はハードコアなお客さんが集まってくれたんだと思う。ありがとうございました」と最後に田口さん。この週末、SNS上で垣間見た数々のリア充投稿。それらをくぐり抜け(いや、そういった場に誘われることもなく)ここに集ったのは(愛すべき)ほんとのオタクだったのかも。

ただ、長丁場でケツが痛くなって途中、集中力が切れそうになったので、こんど行くならアウトドアチェアみたいなのを持参したい。

にしてもいいイベントだった。

2018年7月25日水曜日

新潟日報『おとなプラス』「南魚沼からみなかみへ、古道・清水峠」「天空の楽園、苗場山」

引き続き、新潟日報社の夕刊『おとなプラス』で特集記事を書かせていただいています。

2018年6月6日付けでは南魚沼市から群馬県みなかみ町へと抜ける古道・清水峠を、7月23日付けでは山頂に無数の池塘が広がる苗場山を取材し、掲載となりました。

清水峠1

清水峠2

清水峠は南魚沼市清水集落から谷川岳の東麓を通って、群馬県みなかみ町の湯檜曽集落へと抜ける古道です。戦国時代から軍略や交通の要衝として人の往来があった道です。

明治時代には国道として整備されたものの、度重なる土砂災害に復旧工事が追いつかず、次第に人の往来も消えて行きました。そして、交通網は鉄道や高速道路の時代へ。

清水峠には現在も国道291号として指定される区間もありますが、一部マニアの間で「酷道」と評されるように、一般の通行は不可能です。とくに新潟県側からの進入はまったくおすすめできません。

ただ、群馬県みなかみ町側からは名峰・谷川岳からそそぐ一ノ倉沢までよく整備されたトレッキングコースになっているので、歩きやすくおすすめできます。新潟県からのちょっとした小旅行にも良さそうです。

こんな光景に出会えるかも。

清涼な冷気を浴びて

これは5月末に行ったときの写真なので、雪はもっととけていると思いますが、沢を下る冷気がマイナスイオンをばんばん放っています。日常生活で八方塞がりだなチクショーと感じることがあったら、とりあえずまたここにきてしばらく座りたいです。アウトドアチェアを持ってきて座って沢を見上げてるおじさんもいたし。

湯檜曽駅付近より

みなかみ町のJR上越線湯檜曽駅近くにはこんな光景も。この近くは線路がループ状になっていて、電車がぐるりと山の中を回って走ってきて、この橋を渡ります。古い温泉街に湯檜曽川、無骨な橋脚、あぁ、いい景色だなぁ、とぼけっとしてたらちょうど電車がきたので一枚。

記事では往来の歴史や記録、実際に峠道(みなかみ側からと新潟側からの2回)を歩いてのレポを書きました。また、本紙とは関係ありませんが、この取材時に見た夢のことをすこし前の【ブログ】に書いています。

苗場山1

苗場山2

こちらは山頂部に無数の池塘があり、独自の景観と植生をもつ苗場山についての記事です。山頂部の台地は泥炭層となっており、その窪みに雨水がたまったものが池塘(ちとう)と呼ばれています。その数、約3,000とも言われています。

苗場山は標高2145㍍、日本100名山のひとつでもあります。いい山はいい出会いをもたらしてくれるのかもしれません。取材では、埼玉や滋賀から山旅に来ていた人、長野の写真家・飯塚英春さんと生徒さん、新潟県警山岳救助隊、山小屋の主人・林浩二さん、スタッフの永井大士さんなど、山頂で様々な人との一期一会に恵まれました。

また、苗場山麓ジオパーク推進協議会の中澤英正さんにも苗場山の成り立ちについて教えていただきました。中澤さんは、『苗場山麓植物民俗事典』を執筆・編集した方です。山麓にどんな植物があるかだけでなく、人の生活とどのような関わり(料理や道具、信仰)があったのかを解説した事典です。しばらく前に、新潟日報朝刊に記事が載っていて、切り抜いてノートに貼っていたので、本人にお会いできて嬉しかったです。

わたしは秋山郷からの小赤沢コースと湯沢町からの祓川コースと2回登って記事を書きました。山小屋に泊まったのも初めてでした。

7月上旬、午前5時前、苗場山頂の池塘

未使用カットです。池塘のなかに咲いているのはワタスゲです。早朝は朝露に濡れていますが、お昼すぎには乾いてふわっふわっになります。触ると気持ちいいです。

清水峠の取材と同様、ここにも酷暑の平場とは違う清涼な風が吹いていました。日常生活で四面楚歌に陥りどうしろってんだバカヤローと感じることがあったら、また山小屋に泊まりに来て穏やかな朝を迎えたいです。

いや、まぁ、気分転換なんてしてる余裕がないのが、実際の毎日ですが...。

清水峠の取材のアイデアは、おとなプラス新年会で、日報写真部の方が「小林くん清水峠って知ってる? いいんじゃない」と言ってたのが頭に残っていて、今回提案、取材しました。

苗場山は、昨年の秋山郷取材で訪ねた民宿「苗場荘」の女将・島田とも子さんが、「この裏から苗場山登れるんだよ。きれいだからいつか来てみて」と言ってたのが、頭に残っていて、今回その機会をいただきました。

取材先各地でいただいたご縁にあらためて感謝します。

ありがとうございました。

引き続き、身近なご縁を手繰りよせながら地道に各地を歩いて行きたいと思います。また、来月も辺境と辺境を結んでの取材を予定しています。

新潟日報「おとなプラス」は朝刊と合わせて3,980円で購読可能です。バックナンバーは県内のNICまたは新潟日報社に問い合わせて買うことができます。一部60円(送ってもらう場合、別途送料や振込手数料がかかるかもしれません。要問合)。興味のある記事だけでもぜひどうぞ。

2018年7月24日火曜日

直江津の高校生からの電話

今日は直江津の高校に通う女子生徒から電話があった。

「地域活性化に興味があって、話を聞かせてもらいたいんですけど」とあきらかに緊張したトーンで電話がかかってきた。

そうだろう。

わたしが高校生の頃、社会人の知らない人にいきなり電話して、自分の問題意識をぶつけることなど到底できなかった。20分ちょっとの電話だったが、立派な高校生だった。拍手を送りたい。

夕方だったこともあり、子守をしながら夕食を作っている最中だった。それでもテキトーな答えにならないよう、ゆっくりと丁寧に答えたつもりである。

彼女の質問はおおよそこんな内容だった。

「なぜ紙の雑誌なんですか」

「雑誌を作ろうと思ったのはなぜですか」

「新潟の魅力はどんなところですか」

「昔から文章を書くことが好きだったんですか、得意だったんですか」

「新潟で起業するメリットはどんなところですか」

「起業の際に苦労したことはどんなことですか」

「営業はどんな風にやっているんですか」

ひと通り質問を終えた彼女は、「なんか良かったです。いまって、将来起業するぞって準備や勉強している人も多いですが、小林さんはそうじゃないんですね」と。

その通り。

なんの計画性も合理性もないところで、「こういうメディアをおれがつくらなければ」というなんの根拠もない、自分でもうまく説明のできない使命感から作り出したので。

しかし、彼女にはなにかが伝わっているようだった。相槌を打つ彼女のトーンが次第に明るくなっていくのを感じた。

さて、わたしからもすこし聞こうと思い「これは学校の授業の一環で聞いているのかな?」と言うと、「いえ、わたしの個人的な思いからです」と。

さらに聞くと、「人口減少や過疎が進む中でわたしの地元・直江津はどうなっていくんだろうって危機感があって。若い人は出て行くし、戻ってこない。これからどうなっていくのか...」とのことだった。

驚いた。

花角新知事が県の最重要課題として掲げることを直江津の女子高生もおなじく考えているのだ。この生徒が自分ごととしてこの問題に向き合う危機感と覚悟は、知事や県幹部職員ともなんら引けを取らないだろう。

2018年6月21日付、新潟日報朝刊より

たまたま気になってノートに貼り付けていた藻谷浩介さんの記事からすこし引用したい。

新潟県の経済発展にはなにが必要かと問われて藻谷さんは、出生率が上がり、若者が戻ってくる環境をつくることだと答えている。経済がよくなれば人口が増えるのではない、とも。

以下はそのままの引用である。

「子育てが親の自己責任とされ、助け合いが難しくなれば、子どもが減るのは当然。特に新潟県など東日本は自己責任の考え方が強く、根底から改めなければいけない

「必要なのは地域の良さを学ぶ教育だ。学校では農業や釣り、アウトドアといった地方ならではの遊びをあまり教えていない。親からも教わりにくくなっている」

「農村漁村では60歳を越えても畑を耕したり、祭りに汗を流したりして充実した生活を送る人も多い。こうした事実に目を向けてもらい、どうすれば充実した人生を送れるか一人一人が考えてほしい」

わたしの編集・出版活動がこの問題で担える役割としたら「地域の良さを学ぶ」こと、知ることの一助になることかもしれない。電話を終え、ふとこの記事の内容を思い出して感じたことである。

また、下線はわたしのほうで引いた。最近感じることだが、新潟で地域の顔役(会社経営、組織のリーダー、ちょっとした有名人)として活動する40代前後の人にも「自己責任」を過剰に訴える人は意外に多い。わたしも藻谷さんと同意見で、これ以上、自己責任を追求するよりも、助け合い、支え合える社会に向かってほしいなと願っている。

突然の一本の電話だったが、そんなことを考えさせられた。

ネットで検索したかで、Life-mag.のことを知って電話してきたらしい。だれか共通の知り合いに紹介されたのかと思ったら、そうではないとのこと。もしなにかあれば、いつでも連絡をもらえたらと思う。

2018年7月20日金曜日

『岩室温泉お宿手帖』より「皆元/寿司亀」さんを紹介

皆元の主人

岩室温泉お宿手帖」から「皆元/寿司亀」さんの記事を転載して紹介します。原稿は以下です。

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 〈お客さん皆んなの元(=帰ってくる場所、故郷)になれるように〉

 「旅館 皆元」の皆川久美子さんは、名付けの由来をこう話す。

 旅館には寿司屋である「寿司亀」が併設されており、実は旅館より先に寿司屋の営業から始まった。

 東京・町田にあった「寿司亀」の分店として昭和五二年、岩室温泉に開店。夫の泰造さんは東京の寿司亀で寿司職人として修行後、岩室の分店を任された。「はじめは半年くらいのつもりで岩室に来たんだけどね」と笑う。

 ここで久美子さんと出会い、後に結婚。以来、四十年以上に渡って、夫婦二人三脚で寿司屋と旅館を営んできた。

 「ここはもともと『皆川屋』という置屋をやっていた私の実家です。町田の寿司亀は兄の店でした」と久美子さん。昭和六二年に増改築し、旅館の営業も始めた。

 寿司屋、旅館ともに、寺泊港から仕入れる鮮魚をはじめ地物をふんだんに使う。「岩室は海、山の幸が豊かだと思う。白身魚だとタイ、フグ、メバル、クロソイなど良いものが手に入る」と泰造さん。

 また「お客さんは長く通ってくれる常連さんが多くてね。同じものは出せないと思い、常に勉強しながら新しい料理に挑戦して来た」と泰造さんは話す。

 岩室の魅力を聞くと「田植えの頃、弥彦山の上から越後平野を見ると湖の中にぽつんぽつんと集落が浮かんでいるように見える。それが秋になると黄金の絨毯に変わっていく。自然が豊かだよね」と。

 旅館またはカウンター越しに味わえるのは、海・山の恵み、そして自然の豊かさかもしれない。

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原稿は以上です。この取材はわたしの方で取材と撮影を担当しました。制作途中のブログで紹介しましたが、旅館や寿司屋内に飾られた花々がきれいで癒されます。

土・日・祝のお昼は1,000円ちょっとでランチも楽しむことができます。寿司とビール、すこし酔いをさましたら温泉というコースもやってみたいですね。

温泉手帖のなかから3本の記事の抜粋を紹介してきましたが、ウェブでの公開は以上です。すでに新潟市西蒲区ないの旅館・ホテル、飲食店、行政施設等で配布が進んでいますが、確実に手に入れるには「いわむろや」のカウンターで申し出るのがいいかなと思います。

いわむろやカウンターにて
左=小倉館長、右:ミュージシャンでスタッフの翼くん

わたしもある程度もらいましたが、すでに手元になく、追加でもらいたいところです。またいつか岩室温泉や西蒲原地域の魅力発信に関われる機会を楽しみにしています。

岩室温泉にお越しの際はぜひ気軽にお声がけください。

2018年7月14日土曜日

北方文化博物館へ追加納品へ

北方文化博物館

先日、新潟市江南区の北方文化博物館にLife-mag.の追加納品と途中精算で伺いました。今年4月からvol.005〜vol.010の取扱でお世話になっています。ありがとうございます。

取材で湯沢町に向かう前に駆け足で伺いましたが、ほんとはゆっくりとこの建物・庭園に流れる時間を味わいたいところでした。数枚だけ撮った写真が以下です。

1

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3

4

写真4の館内ショップにて取り扱いいただいています。県内外ときに海外からも訪ねるというお客様に、Life-mag.を通じ新潟の地域文化・人物の魅力が伝わることを願っています。

また、ショップスタッフの竹井友輝さんは漆でマンガを描いているとのこと。この日、はじめて挨拶させていただきました。

以前に同博物館内で展示会をやった縁もあり、いまはスタッフとして働いているそうです。博物館のブログで様子が紹介されています。

その1:https://hoppo.exblog.jp/24663433/
その2:https://hoppo.exblog.jp/23777842/

また、8/17〜8/28は中央区姥ヶ山のアークギャラリーで行われる「宇宙展」に出展するとのことです。近くに行く機会があったらのぞいてみようと思います。

市外や県外の友人知人が来たときなど、北方文化博物館に案内するのもおすすめです。ぜひどうぞ〜。

2018年7月13日金曜日

ブックスはせがわ in LISへ

店主・長谷川さん

昨日、今日と湯沢町に取材で出かけてきました。その帰り道、長岡市のブックスはせがわさんに挨拶へ。ブックスはせがわささんは現在、S.H.S長岡店に併設されているLISというショップのなかで書籍の販売を行なっています。Life-mag.の取り扱いでもお世話になっています。いつもありがとうございます。

フライヤー表

フライヤー裏

LISで7/15、長谷川さん主催で「野中克哉 根っこは何処へゆく 映画上映会&尺八演奏会」があるそうです。切腹ピストルズのメンバーで尺八奏者でスケーターの野中さんを迎えてのイベント。ぜひチェックを!

2018年7月11日水曜日

雑感:NHKテキスト「神谷美恵子 生きがいについて」

NHKテキスト 生きがいについて

「どういうひとが一ばん生きがいを感じる人種であろうか。自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力をそそいで歩いているひと −− いいかえれば使命感に生きるひとではないであろうか。
このような使命感の持主は、世のなかのあちこちに、むしろ人目につかないところに多くひそんでいる。肩書や地位のゆえに大きく浮かびあがるひとよりも、そういう無名のひとびとの存在こそ世のなかのもろもろの事業や活動に生きた内容を与え、ひとを支える力となっていると思われる」

ハンセン病療養所で精神医学的調査を行い、患者に寄り添ってきた精神科医・神谷美恵子の『生きがいについて』の一節。先月バックパックに入れて持ち歩いて、隙間時間にめくってたNHKテキストより。解説は若松英輔さん。

目立つ仕事じゃない、大きな資本も流行も関係ない。それでも −− 。取材で各地を歩いているとそういった人に出会うことがある。耳を澄まし、縁をたどって歩き、そういう人にたどり着けることが、巡り巡ってわたしの喜びかな。

2018年7月8日日曜日

『岩室温泉お宿手帖』より「ほてる大橋」さんを紹介

ほてる大橋・石添社長

岩室温泉お宿手帖」から「ほてる大橋」さんの記事を転載して紹介します。原稿は以下です。

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 「ほてる大橋」の歴史は明治初期にさかのぼる。当時、行商や豆腐売りから資金を貯め、矢川のほとりに小さく料理屋を構えた夫婦がいた。

 お店は本家の橋本屋から橋の字をもらい、また大きく繁栄するようにと「大橋屋」と名付けられた。その後、旅籠屋から旅館へと形態を変えながら多くのお客様を迎えて来た。

 昭和三十〜四十年頃には社名を現在の「ほてる大橋」に変更。ここ岩室温泉街ではいち早く木造から鉄筋造りの建物を建てたという。

 石添社長は関東の大学卒業後、岩室へ戻り旅館の仕事をする他、二五歳の時には一年間日本と海外にバックパッカーとして旅へ出た。

 国内外の観光業や食に多く触れ、改めて地元岩室温泉の魅力や観光について考えるきっかけになったという。帰国後は地域イベントにも力を注ぎ、三年前に社長を継いだ。また現在は、全国・海外各地のより良いものを岩室でも提供できるようにと試行中。

 「みんなが集まって美味しいご飯を食べるっていうのは、一番の幸せなんじゃないかなって思います。旅館という場が大切な人との絆を深め、縁が繋がる場所となるようお客様に関わっていきたい」と話す。

 宿泊はもちろん、鉱石ミネラル風呂「嵐の湯」やランチバイキングなど日帰りでの利用も好評。また館内からは、四季折々の姿が美しい千坪の庭、岩室富士をはじめとする山々を一望できる。ほてる大橋でしか味わえない贅沢な風景や美味しい食が、家族や友人など大切な人との時間をもてなしてくれる。

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原稿は以上です。

こちらの取材・原稿は村山亜紗美さんにお願いしました。他、濱松屋さんの写真、松屋さんの文と写真、めんめん亭わたやさんの写真も村山さんの担当でした。まだまだライターとして一歩を踏み出したばかりですが、焦らず、少しずつ場数を踏んで、腕を磨いていってもらえたらなと思います。

写真は、Life-mag.小林です。じつは石添社長は中学時代の同級生ということもあり、旧友を撮影することになりました。

本文で社長が「大切な人との絆を深め、縁が繋がる場所となるよう」と語っていますが、今秋、ほてる大橋で同窓会を予定しています。わたしも幹事のひとりとして、この週末は調整役としてあちこち歩き回り、声かけを行いました。

ほてる大橋は、岩盤浴やランチでの利用、価格を抑えたプランなど岩室温泉の間口を広げるようなプランも用意しています。機会がありましたらぜひ利用してみてください。

2018年7月6日金曜日

渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』読了

渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』

「病院で暮らすか、地域で住むかの選択権は、その当人にあるべきです。人工呼吸器をつけて、街で当たり前に生活できる世の中をつくるために、私は頑張りたい」

筋ジストロフィーを患いながらも、多くのボランティアを集め、自宅で暮らし、生き抜いた北海道の鹿野靖明氏の半生を追ったノンフィクションです。生きることをあきらめないこと、衝突を繰り返しながらも人と関わることをあきらめないこと、それは障害のあるなしに関係なく、大切な姿勢だなと感じました。

また、著者の渡辺さんは「無信条、無計画、無秩序に、雑多な文章を書いては糊口をしのいでいた」フリーライターだったようです。2年半に及んだ取材の過程では、「最後の一年は、他の仕事がまったく手に着かず完全に食えない状態になてしまった」「一冊の本ができあがるまでには、多くの人の助けと時間と労力と根気とお金と、そして、孤独な日々に向き合う図太さとが必要だった」とあとがきに書いています。

本の内容もそうですが、同じく地方で本(雑誌)づくりに携わる者としては、その制作背景(生活)の厳しさにも思いを寄せてしまいました。

2003年発行の本ですが、いまも読み応え十分です。おすすめ。

2018年7月5日木曜日

『岩室温泉お宿手帖』より「ゆもとや」さんを紹介

ゆもとや女将・高島涼さん

岩室温泉お宿手帖」から「ゆもとや」さんの記事を転載して紹介します。原稿は以下です。

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 岩室温泉内にて温泉に入り、療養するための湯治場「ゆごや」として明治十三年に創業。現在の「ゆもとや」の名前は岩室温泉の「湯元」から名付けられた。

 客室は六三部屋、収容人数三五〇名と岩室温泉で最も大きな旅館だ。家族やカップルでの利用はもちろん、ビジネス・一人旅、宴会場やコンベンションホールなどを活かした団体利用、婚礼・法要、さらにレストラン・エステ・日帰り利用など、多様なシチュエーションにも対応したサービスを行っている。

 「癒しや非日常を求めていらっしゃるお客様一人ひとりのご要望に寄り添った対応ができるのが私たちの特徴です」と、女将の髙島涼さん。

 二〇〇五年に結婚を機に旅館へ入ると、世の中の動きに合わせた柔軟な発想で、高速バスの誘致や、外国人旅行客を取り込むインバウンド事業などに取り組んできた。

 旅館での会席料理は村上牛、のどぐろ、南蛮エビなど、知名度のある新潟のブランド食材を欠かさず楽しめることを心がけている。

 また、古民家イタリアン「灯りの食邸KOKAJIYA」と連携し、温泉とイタリアンを楽しめる泊食分離プランを企画。「お食事は旅館の中でという固定概念に捉われることなく、新しい楽しみ方を提案したい」という女将の想いから生まれた提案は、女性客だけでなく、年配の男性からも好評だという。

 「仕事場という舞台を私たちが楽しむことで、お客様に快適に過ごしてもらえる」と、約七十名のスタッフに目配せ、気配りをするのも女将の仕事。チームワークで、質の高いおもてなしを実現している。
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原稿は以上です。

唐澤くんの自宅編集室にて
愛機はPENTAX

ゆもとやさんの原稿・写真は岩室温泉から車で5分の西蒲区福井在住のライター・唐澤頼充くんです。「にいがたレポ」というサイトを運営しながら、各種媒体の取材・執筆を行なっています。

愛らしくも品のある一枚を撮っていただきました。ありがとうございました。

またいつか岩室温泉、西蒲区についての取材など一緒にできる機会を楽しみにしています。

2018年7月3日火曜日

新潟市美術館ミュージアムショップルルルへ追加納品

ルルルカウンターにて

先日、新潟市美術館ミュージアムショップルルルにLife-mag.の追加納品で伺いました。vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】とvol.010【西蒲原の農家 編】を追加させていただきました。いつもありがとうございます。

すこし前に中国の方がLife-mag.を3部買っていったそうです。ごくごく微力であることは承知していますが、雑誌を通じて、新潟の、日本の地域文化を海外に発信する媒体になれていることはとても嬉しいです。

この納品の日は、「午前中におじいちゃんが買っていきましたよー」とのこと。ありがたいです。

現在、市美術館では五泉市出身の阿部展也展が開催中です。

フライヤー

近くに行く機会がありましたらぜひ。

ルルル:http://kokagedelululu.com
市 美:http://www.ncam.jp

2018年7月2日月曜日

英進堂さんへ集金へ

諸橋店長

先週後半、新潟市秋葉区の英進堂さんに集金業務で伺いました。創刊号の頃からお世話になっている書店です。

「〈本好きの人〉だけでなく、〈本を必要としている人〉に届けるにはどうするべきか。ずっとそんなことを考えている」と諸橋店長。

そんな思いもあって、6/10に「おせっかい書店」という書店員がおすすめの本をお客さんに紹介するイベントを開催したそうです。店員の方からお客さんに軽く声をかけて、本を紹介していったそうです。(あくまで押し売りにならないよう気をつけて)

他の書店でもそうですが、わたしはLife-mag.の納品を通じて面識があるので、「いまこの本面白いよ、知ってる?」などおすすめの本を店員さんから直接教えてもらうことがあります。しかし、一般のお客さんだったらどうでしょうか。英進堂さんだけでなく、ジュンク堂や紀伊国屋、知遊堂、TSUTAYAなどに行っても、店員さんと気軽に話すことができる...、という雰囲気はなかなかないように感じます。

本くらいひとりで静かに選ばせろよ、とも思いますが、一方で数多ある本を日々さばき続けている書店員さんが持っている本の情報を必要としている人も、じつは多いのではないか、とも思います。一万円選書で有名ないわた書店とまでいかなくとも、もうすこし気軽に書店員さんと話せる機会があれば、本屋の敷居もさがるのかな。

スマートフォンに表示されるネットニュースやSNS上の華美でトレンディで悲惨で憂鬱な情報洪水の前で立ちすくんでいる人に、ぜひ立ち止まって、本や雑誌の世界も楽しんでほしいなと思います。

英進堂さん、よく手入れされた本棚でみているだけでも新しい発見があります。新津方面に行く機会がありましたらぜひ寄ってみてください。

パリのすてきなおじさん

集金後、店内を物色して3冊購入。1冊は、今年の正月あたりにナンダロウさんがツイッターでおすすめしていた『パリのすてきなおじさん』。気になっていたので購入。

書店員ではありませんが、友人・知人が勧めてくれた本はピンとくるものが多く、なるべく手にするようにしています。狭小な自分の視野をすこしでも広げてくれる機会なので。

いまは友人の勧めもあって2003年発行の『こんな夜更けにバナナかよ』を読んでます。次はパリのおじさん読んでみます。