2018年6月6日水曜日

南魚沼市清水集落で見た夢

現実のような夢をみた。

いつもの夢とは質感が違い、まるで目の前に〈その人〉がいる、そんな感覚の夢だった。

不思議な夢だった。

南魚沼市から群馬県みなかみ町に抜ける古道・清水峠の取材で、南魚沼市清水集落の民宿「泉屋」に泊まった。その日は、朝6時に自宅を出発。2時間かけて南魚沼市入り。その後往復6時間ほど、山を歩いた。下山後、市役所を訪ね取材を1件。夜は、民宿のお父さんからも話を伺いながら食事をし、一緒にお酒を飲んで寝た。

下山後、よく水分をとらなかったからか、それとも宿のお父さんと飲み過ぎたからか、夜中、何度も目が覚め、その度に水を飲んだ。その何度目かのタイミングだったんだろう。夢をみた。

階段と廊下が二重写しになって見える空間に、ひとりの女性が立って、こちらを見ている。これからどこかに行くようで、こちらに手を振っている。彼女は笑顔のように見えた。

わたしはしばらく同じシーンを見続けていた。

喉が渇き、また目が覚めては水を飲んだ。

彼女は知っている人だった。

本棚を介して出会った人だ。

Life-mag.vol.006【燕三条編】の納品回りで、三条市のシェアスペース&ライブラリー燕三条トライクに行った時だった。館内には会員の人が持ち寄った個人の本棚があり、棚を介してその人を知れるような仕掛けになっていた。

なかでも興味を持った棚があり、オーナーの小山さんに「この棚、この本の持ち主はだれですか」と聞いた。それが彼女だった。

すると小山さんが「あぁ、そういえば彼女も小林さんの雑誌に関心を示してましたよ。こんどつなぎますよ」と話した。

しかし、すぐに出会うことはなかった。

それから数ヶ月か、一年以上か、しばらく経った後、新潟市内のイベント会場で彼女に会った。ごく短い、挨拶をした。

それから会ったのは、またなにか別のイベント会場だっただろうか。すれ違う時に、ごく短い挨拶をするようになった。

それも1、2度あったか...、わたしの接点はそれくらいのものだった。

しかし、本棚を介して互いの関心に近いものを見ていたし、同世代ということもあって、わたしは勝手に親近感を抱いていた。

その人が興味のある本や本棚を知るというのは、どんな服を着ているのか、どんな会社に勤めているのか、どんなイケてるやつらと付き合っているのか、それよりももっと素のその人を知ることができると思う。本や雑誌はもっと個人のもので、もっと社会性から外れたところで、わたしたちの自由や孤独に寄り添ってくれるものだから。

以後も、彼女とゆっくり話す機会はなかった。

そして、今後もその機会はない。

2017年4月、彼女は突然の病気で亡くなったのだ。

共通の知り合いが多かったので、その頃、SNSには彼女を悼む声がかなり多く投稿された。告別式も開かれ、多くの知人らが参加したようだった。

わたしは行かなかった。

気持ちの問題だとも思うが、2、3度立ち話をしただけの関係だったので、告別式には行っていない。

しかし、後日ある共通の知人に「小林さんもきてましたよね。見かけましたよ」と言われたのだ。みな悲しみに暮れているときであり、「わたしは行ってない、見間違いですよ」とはなんとなく訂正しなかった。

本棚を介して出会ったことと、知人のその不思議な一言もあり、やはり、なにか独特の印象をわたしに残していた。

彼女とは「と イカラシ」の名義で活動していた三条市の服飾作家・イカラシ チエ子さんである。県内外での展覧会、イベント等で活躍していて、多くの友人やファンに囲まれ、充実した活動を続けているようにみえていた。

だからこそ、イカラシさんの死後、ほんとうに多くの方が心に深い悲しみを抱いたんだとう思う。SNSには長文の投稿や感傷に浸る投稿が相次いでいた。

亡くなってから、1年以上が経ったいま、関係が深いとはとうてい言えないわたしの夢にイカラシさんは出てきた。

その日、わたしが目指したのは標高1450㍍の清水峠。この古道ではだれ一人にも会わなかった。道を進むにつれ、心細くなっていくなか、可憐に咲く路傍の花々や眼前に迫る山の頂き、自然が作り出した造形美がわたしを癒してくれた。峠付近には平場から一ヶ月ほど遅れて、カタクリの花が咲いていた。峠を駆け抜ける風が笹の葉をさらさらと揺らし、四方からウグイスとカッコウの鳴き声が聞こえた。

いま思えば、穏やかな、天国のようにも思う。

イカラシさんもこれから企画していた展覧会や作りたい作品も多くあったことだろう。わたしに手を振りどこに行ったのだろうか。

その先が、どうか穏やかな場所であることを願っている。

ずいぶんと遅れた、わたしからの弔辞である。

カタクリ

山道から見えた大源太山