2017年8月30日水曜日

本の紹介『明日への伝言』中村正紀著(ブリコール発行)

『明日への伝言』

旧巻町の原発反対運動に初期の頃から関わっていた中村正紀(まさとし)さんによる回顧録『明日への伝言』が2017年8月20日に発行されました。発行は新潟市東区のブリコールさん。6月に新潟日報でわたしが書評を書かせていただいた斉藤文夫さんの『昭和の記憶 新潟 海の村 山の村』の編集もブリコールさんでした。

中村さんとは、2016年8月7日に行われた「巻原発住民投票・あの日、あの時」でお会いしていましたが、中村さんは事務局側だったのでゆっくりとお話を聞くことはなく、この本で初めて知ることが多かったです。

『明日への伝言』は、1969年(昭和44年)の東北電力巻原子力発電所建設計画のスクープから2004年(平成16年)の計画撤回までの35年間を、おおきく3期にわけて解説しています。

〈第1期〉は、1969年の建設計画のスクープから1982年(昭和57年)の1号機設置許可申請までの13年間。〈第2期〉は、1982年から、佐藤町長が3選を果たし原発推進へと態度を鮮明化した1994年(平成6年)までの12年間。〈第3期〉は、1994年から、「住民投票を実行する会」の結成、自主管理の住民投票の実施、条例に基づく住民投票の実施、その後の裁判を経て計画撤回が発表された2004年までの10年間です。

序文には「運動の評価の部分以外は極力主観的な表現を排し、当時の事実を客観的にそして時系列的に記すことに注意を払ったつもり」とあり、教科書的に運動の流れをコンパクトに追える内容でもあります。それでもやはり、中村さんが今だから書き残したいことと、思いが溢れている部分もいくつかあり、わたしはそういうところを興味深く読みました。

中村さんは、1942年、新潟県上越市大島区生まれ。日本獣医畜産大学を卒業後、(旧巻町にあった)新潟県立興農館高校に教員として採用されました。1968年から巻原発反対運動に参加してきました。〈第1期〉の頃には機動隊と対峙し、田んぼに突き落とされたり、両手両足を持たれて排除されたりもしたそうです。

また中村さんは、新潟県高等学校教職員組合や新潟県労働組合評議会などで幹部を務めるなどある意味ではプロの運動家でしたが、巻の運動では巻町民の主体的な行動、意志を尊重する「現地主義」を念頭に活動を続けてきたそうです。

東北電力と国、県、町、警察が「数と力」によって計画を押し進めようとしたように、労働組合による運動もまた場合によっては、「数と力」によって押し進められる危険性を懸念していたとのこと。

巻の運動は、節目節目で様々な人物が入れ替わり表に立って運動を支えてきたことがひとつの特徴だと思います。中村さんは多くの場面で先頭に立ってきた方ですが、大きかった場面のひとつが以下です。

1995年2月20日、原発建設予定地にあった町有地を東北電力へ売却する決議が予定された臨時議会を流会にさせた時です。臨時議会は推進派議員にのみ知らせ、しかも推進派議員は月曜に予定されていた臨時議会のために日曜から役場内に潜んでいたのです。深夜に不審な動きを察知した中村さんらが役場、議場に乗り込み、議会を流会にさせました。

p.74からの記述です。直前に行われた自主管理の住民投票、町議選、条例に基づく住民投票へと運動がつながった大きな場面だと思います。いま読んでもハラハラします。

それから『明日への伝言』を読んでいてあらためて感じたのは、陰になり日向になりして運動を支えたそれぞれの妻の存在の大きさです。

1995年4月23日の巻町議選に向けて、住民投票推進派や原発反対派は、住民投票条例の制定に向け、議員候補を擁立します。その選挙結果は、上位3人が女性でした。3位当選が、中村勝子さんで、正紀さんの奥さんです。1位、2位の夫もまたそれぞれ住民投票推進派や原発反対派の運動に関わる方でした。

中村さんは「妻を神様のように思った」(p.84)と回顧しています。

そういえば、前にどこかに書いたか言ったかしましたが、Life-mag.【燕三条 編】を取材し終わった後に燕三条地域の方にこう言われました。「燕三条の中小企業の社長を支えているのもそれぞれの奥さんの存在が大きいのよ。今度は奥さんも取材しないさい。そしたら名前を変えてWife-mag.で出版しなさい。そっちほうが売れたりしてね」と...。

わたしの選挙(投票)経験にはないのですが、かつての巻をはじめ西蒲原地域の選挙は「原発に限らず選挙や日常の生活に関わることまで、地域のボスや本家・分家など地縁、血縁の重石の下で生きてきた人達にとっては住民投票で自分の思いを誰にも邪魔されずに表現できることなど夢にも思ってなかったに違いない」(p.66)という状況だったそうです。

初期の頃には「原発のことについて発言しないのが、大人の対応」という状況だったとLife-mag.vol.009での笹口さんインタビューでわたしも聞いていました。それが、徐々に徐々に町民の意識も変わっていき、自主管理の住民投票の頃には多くの町民が自分の意見を持ち、投票に行きました。

いまのわたしたちも原発や政治のことは、友人同士や職場では話さないことのほうが多いのではないでしょうか。しかし、「投票」という意思表示ができる機会には、自分なりに考えて1票を投じたいものです。

いつもいつも政治のことを考えるのはウンザリしますが、なにか気になる話題があったとき、こうして友人が編集に関わった本が出たとか、そういう時にはすこし立ち止まって、考える機会を持ちたいなと思っています。

『明日への伝言』もその機会におすすめです。

見本01

見本02

見本03

『明日への伝言』は、A5版126ページ。写真も多く収録されているので、当時の雰囲気がよく伝わってきます。ここでもブリコールさんの編集が効いているなと思いました。さすがです。

定価は1,500円。購入・問合はブリコールさんまで。

2017年8月29日火曜日

伊勢ヶ濱部屋新潟合宿取材①

チラシ

大相撲の伊勢ヶ濱部屋が2017年8月18日〜23日まで彌彦神社相撲場を拠点に新潟合宿を行っていました。連日の公開朝稽古のほか、弥彦村、三条市、新潟市などで開催された交流会、激励会への参加、企業や行政への表敬訪問、園児との相撲体験、福祉施設への慰問など連日、びっしりとつまったスケジュールをこなしていきました。

伊勢ヶ濱部屋の合宿は2015年に横綱・日馬富士が彌彦神社相撲場で横綱土俵入りを行ったことにはじまります。翌2016年から新潟合宿を行い、公開朝稽古のほか地域交流も活発に行われていました。

2017年からは合宿の企画・運営が株式会社新潟日報サービスネットさんに委託されました。そして、今回、合宿の記録・撮影、メディア出稿用の原稿制作をお願いしたいと依頼がありました。連日、合宿に張り付いて、撮影し、夕方までにはその日の様子を原稿にまとめてスポニチに出稿しました。

やっぱり一度、本物の横綱をはじめ関取や力士を間近に見ると、相撲への興味も増しますね。これから大相撲を見るのが楽しみになりました。

スポニチに寄稿し、掲載された紙面は以下です。

8/4付 佐渡合宿

8月3〜4日は佐渡で交流会があり、そちらにも同行、取材しました。5日に佐渡巡業がありました。

8/19付 合宿はじまる

8/20付 朝稽古はじまる

8/21付 朝稽古2日目

8/22 横綱・日馬富士も参加

8/23付 関取衆との交流にファン歓声

「スー女」や子連れのお母さんも会場に多く集まりました。相撲ファンの女子って多いんですね。

8/24 合宿終了、来年にも期待

8/24付において、「翠富士」となるべき原稿が「琴富士」となっています。スポニチ編集部さんのミスとのことで、後日、訂正が出ました。

以上です。

だいたい朝8時の稽古開始に合わせて相撲場に行き、打ち合わせ、撮影、取材。そこで一旦、原稿の仮まとめ。そして、午後からのイベントや表敬訪問の会場に移動し、撮影、取材。このあたりでスポニチさんの締切に合わせて入稿。さらに夜の交流会、激励会の会場に移動して、撮影。という作業の流れでした。

新聞記者はこういうことを毎日やっているんでしょうか。Life-mag.の場合はDTPやデザイン、経理、営業、広報などもあって、「取材」にあてられるのはほんの一部なので、なかば強制的に「取材」に専念する日々というのは新鮮でした。途中の隙間時間で納品を1件させてもらいましたが...。

ここまで連日、弥彦に通ったのは【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】の取材以来でした。また弥彦の取材がしたいなと思いました。まだまだ奥が深いです。

2017年8月27日日曜日

納品、補充回り。昨日は新津・英進堂へ

英進堂さん。ポップを拾い読みするのも楽しい

昨日は新潟市秋葉区の英進堂さんへバックナンバーの補充、納品に行ってきました。創刊号の頃からお世話になっている書店です。

いつも棚を眺めているだけで時間が経つのを忘れてしまう書店のひとつです。まえにブログやツイッターでも書いたことがありますが、ひとつひとつの棚に書店員さんの意志が通っていて(わたしにはそんな気がして)、棚を眺めながら「あぁ、これはこういう意図かな? えっ!?なにこの本? あぁ、すこし前の本だけどそういえば気になってたんだよね」などと心の中でつぶやいて、本棚を介して書店員の方との会話を楽しんでいます。

いや。

まぁ、面識もあるんだし、面と向かって話せよってことなのかもしれませんが。わたしはそうやって楽しんでいます。

そういえば今月の頭にこんなことがありました。参考図書が欲しくて、〈取り寄せ〉をお願いしたいと電話したことがありました。

「わかりました。揃いましたら電話いたします」

その5分後。

「揃いました。在庫しているものでした。いつでもどうそ」

と電話が。

欲しかったのは、登山地図1枚と講談社ブルーバックスの2冊で、通常は置いてないだろうというわたしの思い込みから〈取り寄せ〉をお願いしますと電話してしまいました。それがピンポイントにあるんですね。恐れ入りました。ネットより早い。

新津に行く機会があればぜひ訪ねてみてください。
英進堂さんツイッターはこちらhttp://twitter.com/eishindo

ほか今月に入ってから、新潟市美術館ミュージアムショップルルルさん、新潟市岩室観光施設いわむろやさん、里山ビジターセンターさんにも補充の納品でお邪魔しました。

少しずつ、少しずつ、ほんとうに少しずつですが、地道な営業活動も続けています。在庫の補充や精算になかなか伺えていないところもあると思います。すみません...。

そして、次号の案内もなかなか出来ずに心苦しいところですが、取材編集は少しずつ進んでいます。お待ち頂いている方には申し訳ありません。

資金や心身、どうにかバランスをとりながら次号発刊に漕ぎ着けることがなによりの恩返しかなと思い、遅れ遅れではありますが、制作を進めています。発刊のめどが立ちましたらまたここでも案内させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

2017年8月26日土曜日

新津・三方舎にて「ここあつまる展」

カメラマン・横山満さん(満天.photo)|三方舎にて|2017.8.26

新潟市秋葉区の三方舎にて加茂市の作家ら8人による合同展「ここあつまる展」が8/26〜9/3まで開催されています。初日の今日、お邪魔してきました。

加茂市出身または在住の書家、写真家、陶芸家ら合同展で、過去2回は加茂市内を会場にしていたものが今回初めて新津地区での開催となったそうです。会場の三方舎さんはこれまでLife-mag.の取り扱いや広告主としてお世話になってきたギャラリーでもあります。

今回は写真家の横山満さんから案内をいただいて行ってきました。

横山さんとは、横山さんが撮った写真との出会いのほうが先でした。加茂の商店主らを取材した『加茂本』というフリペーパー、そして県内の農業者を各号特集していく『稲花』という雑誌の写真です。

写真を見たとき「取材対象者のもつ〈やわらかさ〉〈あたたかみ〉を引き出すのがうまい。これは一体誰が撮っているんだろう?」と思いました。

その後、2016年、いわむろやの小倉館長からの依頼で「やさいのへや」の取材を始めると、その年、「やさいのへや」広報用の写真を撮っていたのが横山さんで、本人にお会いしました。「やさいのへや」のフェイスブックページで時々、横山さんが撮った写真もアップされていますが、やはり同じ印象を持っていました。

今回の展示会では「人物写真」10点ほどが展示されていました。

「どんな場所で撮りたいか、構図は、人物は、そして下見や下準備をして本番に挑む。なんか釣りと似てるかもしれませんね。俺はすっげ雨男なんすけど(笑)」

「これまでは依頼内容に沿った写真を撮ってきたけど、今回初めて作品撮りをしました。でも俺のは〈アート〉っていうのとはほど遠いと思います。普段の仕事の延長かな。撮影者の意図や感性よりも、モデルになってもらった人が喜んでもらえる写真が撮れれば一番の満足です」

「今度は〈男性〉をテーマに撮ってみたいっすね。職人とか」

などなど、横山さんのコメントです。今まではお互い仕事の合間で立ち話しかしたことがありませんでしたが、初めて座ってしゃべりました。

Life-mag.次号で横山さんの写真を数点使用する予定です。

三方舎webより

他の作家さんも在廊しているので、制作エピソードなど話が聞けると思います。9/3まで。ぜひお出かけください。

2017年8月18日金曜日

本の紹介『町を歩いて本のなかへ』南陀楼綾繁(原書房)

町を歩いて本のなかへ

南陀楼さんがこれまで様々な媒体に書いてきた書評、エッセイ、ルポをまとめた『町を歩いて本のなかへ』が発行されました。

ブックイベントやリトルプレスについて書かれたものや週刊誌などに寄稿した書評、そして、日記と書評をミックスしたような第3部「早稲田で読む」など、どれも引き込まれる文章です。どの文章も客観的な批評ではなく、かならずその本が南陀楼さんの人生にどう影響を与えたか、寄り添ったかが出てくるのがとくに好きです。

ブックイベントについて書かれた第1部「町と本と」では、ニイガタブックライトについての文章も掲載されています。「新潟の一箱古本市の特徴はマニアックな本がよく出ること、いい本なら高めの値段でも買っていくお客さんがいること」との評も。

第2部の書評では新潟に関する本だけでも、『州之内徹 絵のある一生』『クラクラ日記』『北越雪譜』『近代出版文化を切り開いた出版王国の光と影』などがあります。そして、第4部「本と人と、それから」ではLife-mag.【シネ・ウインド編】に寄稿してもらった「『シネ・ウインド』日記と成しえなかった夢のこと」も再録されています。あとは一緒に行った粟島取材で南陀楼さんが撮った粟島の路地の写真も。

それからわたしが背中を押されたひと段落がこちら。

「もちろん、経済基盤は強いとは云えない。他の仕事で得た資金でかろうじて続いている雑誌もあるだろう。頼りにしていた「場」が突然なくなってしまうこともあり得る。だけど、ひとつの地域に住みながら、そこにある文化、歴史、人などの資源を掘り起こしてかたちにしていく仕事は、たまらなく面白いはずだ」(p.062)

2016年2月に書かれた「いま、地方のリトルプレスは」と題した文章の一節です。

わたしもほんとにそう感じています。

右往左往しながら、9年でやっとこさ9冊を発行。少しずつではありますが、県外の書店さんや読者の方から注文をいただける機会も増えてきました。新潟にはどんな歴史や文化、人物がいるのだろう? とページをめくってもらえるのは、もちろん大きな喜びとやり甲斐です。

しかし、なお大きなやり甲斐は、同じ土地に暮らす読者の方々にこの雑誌が届き、読後、その読者が自分たちの暮らす土地への見え方、見える景色が変わったと言ってもらえる時です。地元という日常の景色に彩りと深みを感じてもらえる雑誌を作れたらなと、そんなことを考えながらページをめくりました。

全408ページ。短い文章が多いのでどこから読んでも面白いです。ぜひ手に取ってみてください。

2017年8月10日木曜日

「石川直樹 この星の光の地図を写す」新潟市美術館

篠田市長(左)を案内中の石川さん(右)

新潟市美術館にて「石川直樹 この星の光の地図を写す」が始まりました。会期は2017年8月10日から9月24日までです。Life-mag.vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】で石川さんに取材させていただいたご縁もあったので、今日の開場式に取材に行ってきました。

市美術館webより

石川さんは国内外の極地を旅しながら、そこで暮らす人と交わり、写真を撮り、文章を残してます。その膨大な旅の軌跡を振り返ることのできる展示会です。新潟市で開催された「水と土の芸術祭2015」への参加を機に撮影された〈潟と里山〉シリーズの展示もあります。

今日は開場式ということもあって、足早に見てきただけですが、この世界がこんなにも驚きと未知に溢れているのかと、好奇心を駆り立てる展示の数々でした。

ルルル

ミュージアムショップ ルルルでも展示会に合わせて石川さんとのコラボ商品が展開されていました。「浮き星」やTシャツ、クリアファイル、「写ルンです」など。写真集や書籍、ポストカードも揃っていました。

f3 webより

また、沼垂のbooks f3では共催企画として「石川直樹 写真展『POLAR 2017』」が9月4日まで開催されています。「写ルンです」で撮影された北極圏の新作作品とのこと。

ちょうど混んでてうまく撮れませんでした。ぜひ行ってください!

新潟の作家・小出真吾くんが終盤、美術館に缶詰状態で設営したという「直樹の部屋」もよかった。実際に使われた道具のひとつひとつ、知恵となり肉となった蔵書の1冊1冊を間近に見ることができます。

美術館からf3へ、ぜひ足を運んでみてください。

開場式テープカット

展示は見応えがあって、ぜひ皆さんにおすすめしたいですが、わたし自身にとっては「わぁ〜、すごかった〜」だけで帰って来れる展示ではありませんでした。

その圧倒的な密度の仕事の数々に触れると「やっぱ悔しいな」とも思います。

見せられっぱなしで、ヤラれっぱなしで。

「お前は新潟にいてどれほどやれてんの?」「どれほどの仕事ができてんのか?」とも自問自答してしまいました。地道に、目の前の仕事でベストを尽くして、まだまだ力をつけていきたいなと思いました。

2017年8月8日火曜日

自伝本の編集、制作を請け負いました

『泥から生まれ、水と土で生きた人生 自伝・井田忠三』

目次、全7章、327頁

幼少期、姉妹との写真

「土方はホソ一丁で日金が入る」。飯場の角にはいつも怪しい酒があった。土方時代の話

結婚写真

地方巡業の力士を泊めたときの話

海外旅行の写真。写真のみのページもあり

漫画や新聞記事なども掲載。雑誌っぽい要素も入れました

本文レイアウト。Life-mag.より大きく、行間もゆとりがあって読みやすいかなと思います


編集、制作を請け負っていた自伝本が先週末、刷り上がってきました。作業の流れや経緯などをブログでも紹介したいと思います。

2016年の年末、郷土史家の斉藤文夫さんから、「友人の井田忠三さんが自伝本を作るのに、あなたに編集をお願いできないか」と電話がありました。正月明けに斉藤さんと一緒に井田さん宅を訪問。2017年3月に作業開始前の打ち合わせを行い、本格的な作業は4月から始めました。

井田さんは、建設業を約20年、その後、岩室村村会議員を約25年務めた方です。現在、82歳。2016年に旭日双光章を受章したことを機に、これまでの半生をまとめることにしたそうです。

その後、みかん箱から溢れるほどの手書き原稿と資料、写真との格闘が始まりました。

担当した作業は以下のような内容です。

著者との打ち合わせ、原稿の整理、打ち込み作業、写真の読み込み、フォトショップでの画像処理、本文レイアウト、装丁、そして印刷会社との打ち合わせ。

本文レイアウトは、フォントの大きさ、字間・行間の幅を微調整しながら、3案ほど作って決めました。

装丁は、著者が筆で書いた文字をイラストレーターでトレースして、配置。写真は野鳥と触れ合っているものを使いました。5案ほど作った中から、方向性を決めて作り込んでいきました。

四六判で327ページ。本文の紙は、カラー写真が多く入っていることもあり書籍用の紙のなかでも白色度の高い紙にしてもらいました。表紙はヴァンヌーボという紙です。

著者との打ち合わせで、お宅に伺ったのは40回ほどでしょうか。電話での細かい打ち合わせ、校正は100回ほどでしょうか。印刷会社さんへ、打ち合わせ、データ受け渡しなどで伺ったのは5回。

井田さんは、気になったことはすぐに解決したいという性格で、細かい連絡、催促が多くありました。自費出版本の制作会社に勤める友人もいて、なんとなく作業のことは聞いたことがありましたが、これほど大変なのかと思い知らされました。印刷会社に頼んだ場合、こういった作業は何人で担当するのでしょうかね...。

今回の印刷は西蒲中央印刷でした。井田さんが議員時代から名刺やポスター、資料などを印刷していて、懇意にしている会社とのことでした。

西蒲中央印刷は、昭和35年に「和納印刷所」として開業。現在、わたしが暮らしている地区です。社長の前山勝さんとの打ち合わせ時、「わたしも和納の生まれです」と話していると思わぬ因縁があることが発覚。

わたしの実家が25年ほど前に新築した時、建て替え期間中に間借りしていた借家が前山さんの旧宅、元和納印刷所だったのです。当時、わたしは小学生で、中二階の小部屋に机を置いて、部屋にしていました。

いまこの記事を書いていて思い出しましたが、借家の窓から脇に停めてあった親の車の上に飛び乗って、そこから乗ろうとしたらドアに指を挟んだことがありました。

バタンとドアを閉じたら、なぜか引っ張られている感覚が...。見ると指がドアに挟まれていて、「こ、こ、これは、指がもげた!!!!」と焦りました。しかし、痛みはありませんでした。運よくドアと車体のごくわずかなスペースに指が入っていたようで、セーフ。遊びに来ていた友達にドアを開けてもらい事なきを得ました。

また、借家暮らしの数ヶ月間は、朝の集団登校の班が変わって、違う友達らと登校していました。生活の移行期の非日常を、前山さんの旧宅にお世話になって過ごしていたのです。

いろいろな縁があるもんですね。

かつて和納で開業した家族経営の印刷会社はいま、国道116号線沿いの津雲田地区に自社社屋を建てて経営されています。年商5億、従業員20名の会社となっています。いや〜、、、すごい。

話が本のことからそれてきたので戻します。

本の内容は、幼少期の思い出や戦争の記憶、荒れた青年期のこと、土方から建設業界で働いたときのこと、議員時代の仕事、地域での文化活動のこと、友人からの寄稿文、昨年の受章記念祝賀会の記録などの7章で構成されています。

個人の記憶ではありますが、郷土史の一断面として残しておくべき内容もありました。戦前、戦中の子どもの遊びや、軍事演習、見送った兵士、集落最後の火葬など岩室、西蒲原地区の暮らしがよくわかる記述もあります。(現新潟市中央区の白山神社でチンピラにボコボコにされて翌朝、学校町通の血液銀行で血を売って電車代を捻出して帰ってきた話も面白い)

ただ、議員という仕事柄もあると思いますが、利害が対立する場面も書かれています。こういう記述でいいのだろうかと迷う場面もありましたが、自費出版の自伝本であり、著者の意向を優先して進めました。

本は、仕事を共にした方々や支援者、友人知人などに配るそうです。わたしも1部いただきました。もしどんな本か見たい方がいたら、問い合わせください。これまで「雑誌」という媒体しか作ったことがありませんでしたが、「本」作りという貴重な経験をさせていただきました。