2020年4月6日月曜日

風だるま

風だるま

先日の「新潟・文化誌フォーラム~伝えたい思い1980-2020~」にて、『風だるま』53〜57号をコピーさせてもらいました。

「新潟に住む心地」という連載のなかで、〈「新潟」はどこにあったのか〉という一連のシリーズにわたしのアンテナが反応したので。

ここで大倉さんは「新潟」の原形をたどる連載を重ねています。2000年前後の発行なので、約20年前となります。

中世の頃、信濃川河口地域に形成された三ケ津(沼垂・蒲原・新潟)。仏教の念仏から派生した盆踊りが、老若男女が入り乱れ、異形異類の姿で踊る湊町に広がったこと。白山神社と白山信仰、泰澄のこと。西蒲原に浄土真宗が広がった背景(信濃川ルートと越前・加賀ルート)などなど...。

西蒲原の真宗門徒の信仰熱はひじょうに篤いものがあったそうです。法然、親鸞、日蓮などが諸々の「雑信仰」を統合し、「高い仏教的ヴォルテージ」を社会全体に醸し出したという話も面白かったです。

まえにLife-mag.で、弥彦神社について取材したことがありました。神仏分離令が出されたのち、出雲崎の民政局から弥彦の地にも阿弥陀如来像の廃棄に役人がきました。しかし、その際、周辺門徒の猛反対が起こったといいます。

神仏習合の信仰のなか、かつての先人がどのような宗教文化を育んでいたのか興味がつきません。大倉さんの連載には、白山神社はもともと宝亀院の別当だったことも書かれていましたが、中世から近世にかけての越後の信仰形態はいつかじぶんなりに調べてみたいと思います。