2016年7月31日日曜日

「巻原発住民投票から20年〜明日の巻地域を考える〜」オープニング

Life-mag.vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】』で取材させていただいた[巻]の斉藤文夫さんらが主催する「巻原発住民投票から20年〜明日の巻地域を考える〜」が会期を迎えました。今日から斉藤さん(イベント概要事前取材)の写真展が新潟市岩室観光施設いわむろやさんではじまりまり、同施設でオープニングセレモニーがあったので、参加してきました。

写真展の様子

主催者のひとり中村正紀さんの解説

反対運動に歌で参加した横山作栄さん

また、8月7日と14日には住民投票を振り返るシンポジウムが開催されます。わたしは7日のシンポジウムで司会としてお手伝いします。14:00〜、旧庄屋佐藤家、入場無料です。

ゲストは、笹口孝明さん(住民投票を実行する会 代表、元巻町長、Life-mag.vol.009掲載)、坂井恵子さん(主婦、運動に参加)、織原正明さん(元NT21報道部記者、住民投票を取材)、松井克浩さん(新潟大学教授、社会学者として後に研究調査を実施)。それぞれの立場から住民投票を振り返ってもらいます。

斉藤さんや笹口さんと簡単な打ち合わせはしたものの、お二人とも「まぁ、何でも聞いてください! その場の流れで〜」という答え...。しかし、そうは言ってもだいたいの進行、台本は用意したいところです。

この一週間は自分なりに住民投票や原発について、あらためて問題意識を整理してみたいと思います。巻町のこの経験、歴史は何度でも立ち返り、問い直すべきものだと思っています。個人的には20〜40代の若い世代に来て、聞いてもらいたいなと思っています。

Life-mag.小林が、テンパって、汗かいて、先達から話を聞き出しているのを、見にきてくださいませ。

2016年7月28日木曜日

【新規取扱】里山ビジターセンター(新潟市秋葉区)

中・石添政子さん、右・小倉壮平さん

今日は里山ビジターセンターさんに新規取扱の納品に伺いました。新潟市秋葉区のにいつ丘陵にあり、登山客の休憩や物産コーナー、観光情報の発信を行う施設です。仕入担当の石添さんにお声がけいただきました。ありがとうございました。

また、いわむろや(新潟市岩室観光施設いわむろや/岩室温泉)の小倉館長も交えて、この施設でなにかイベントができないかと打ち合せも行いました。わたしはあれこれヒントを投げまくる「放言」に終始してしまいましたが...。

ただ、せっかくここまで来たんだしと思い、お二人とわかれた後、ひとりで金津地区を歩いてきました。前から気になる旧家が一軒あって、そこもあらためて見たかったので。ちょうど14時頃で、気温は34℃。汗だくになりました。

編集室に戻って、地図を広げてみてあらためて思うのは、この「にいつ丘陵」はかつて越後平野にまだ潟が多く残り、信濃川はその川筋を何度もかえながら走っていた古の時代には「にいつ半島」のようだったんだろうなということです。そして、弥彦山系と対をなすような半島だったとも思えます。

Life-mag.なりに一冊にするなら、【菩提寺山・高立山・護摩堂山=にいつ丘陵編】または【加茂・田上・秋葉区・五泉編】のようなくくりでこの地域一帯をひとつの深層文化圏として提示してみたいです。という妄想が膨らみました。

さてさて、話を戻します。

里山ビジターセンターさんは、「里山」の魅力を伝えられるようなイベントができたらということですが計画はまだまだのようです。どなたかアイデアやヒントがありましたら、ぜひお寄せください。

[WEB]http://www.city.niigata.lg.jp/akiha/shisetsu/yoka/leisure/satoyama_vc.html

2016年7月27日水曜日

FM PORT「朝日山ライフステーション」収録

遠藤麻理さんと

今日はFM PORT 79.0さんの番組「朝日山ライフステーション」の収録でした。放送は7/31(日)18:30〜です。

パーソナリティの遠藤麻理さんとの出会いは、8年前の新潟絵屋さんの飲み会でした。何度か番組に出させていただいたのと、ごくたまになにかのイベントでお会いするくらいですが、同じ町で、伝えるという仕事を続けている同士、時折、お互いを意識しながら時間を重ねていくのは嬉しいものですね。

遠藤さんは(今回も)歯切れの悪いわたしの話を丁寧に聞いてくださいました。ありがとうございました。

日曜の夕方ですが、ラジオが手元にありましたらぜひ聴いてみてください!

2016年7月25日月曜日

[002]Report of Awashima by Asami M.

『Life-mag.』にてインターン中の村山さんの粟島レポート2通目です。



ある日、アルバイト中の民宿のおばあちゃんの畑仕事を手伝わせてもらいました。もう何十年も畑で野菜や、果物を作っているそうですが、最近では手が回らくなって多くを親戚などへ譲ったそうです。それでも、何種類もの作物を作り、ほぼ毎日丁寧に手入れをしています。

ご近所さんからトマトのおすそ分けをもらうと、おばあちゃんはカボチャをお返しに渡していました。

作物を作るときも、苗を買うのではなく、種から作るのがこだわりのようです。民宿で出す料理もほとんどがおばあちゃんの育てた野菜を使っています。今の時期はジャガイモが特に美味しい! 甘くて味がとっても濃いです。こっちでは、タコと一緒に煮る料理が昔から作られているそうです。

畑仕事は、とても大変ですが、その後に食べた野菜はよりおいしく感じました。そして、自分で食べるものは自分で作る、という習慣が昔からあったのだと実感しました。

次の日、慣れない畑仕事で恥ずかしながら筋肉痛になってしまいました…。もっと体力を付けたいです…。

また、ある日は朝から船に乗らせてもらいました。粟島では、釣りをするために訪れるお客さんも多く、この日はお客さんの送迎でした。



なんと、このような岩の上で数時間釣るようです! 数時間釣りをした後にまた、船で迎えに行くそうです。夜釣りのお客さんは、一晩岩の上で過ごして、翌朝迎えに行きます。

釜谷地区は本州側ではないため、島以外はまったく海しか見えません。潮風、波、船の揺れは迫力があり、私は終始逃げ腰でしたが、とても開放的で心地よかったです。

そして、一週間の滞在が終わりました。一度新潟へ戻り、また8月から粟島へ行きます。

最初は自分に仕事が出来るのだろうか、島の人と話せるのか、とても不安でした。しかし、島での暮らしはとても居心地が良く、民宿の皆さん、島の皆さんとも楽しく話すことが出来ました。島の人の生活や、今の状況、今までの生活との違いが少しではありますが、徐々に見えてきました。

そして、そこにあるのはあくまでも“人”で、その魅力に私自身、とても惹かれました。あるもので満たすのではなく、自分で作っていく、他の人と作り上げていく、ということが今までの私の生活との大きな違いであると感じました。次回の滞在でもさらに魅力を見つけていきたいです。

2016年7月21日木曜日

[001]Report of Awashima by Asami M.

緊張の出発

『Life-mag.』 に弟子入り(インターン)中の、村山亜紗美です。師匠である小林さんから、「修行に行ってこい!」という指令のもと、私はいま粟島浦村に来ています。

次号の取材も兼ねて、島の暮らしを実感し、地域に入っていく、ということが出来ればと思い、粟島の民宿でのアルバイトを一ヶ月程度する予定です。まずは 7月15日から一週間ほど働いて滞在しています。

粟島浦村は佐渡より少し北に位置する小さな島です。村上市の岩船港から「粟島汽船」に乗って約 2 時間で到着します。徐々に大きくなっていく粟島を見ながら「私は本当にあそこで生活していくんだなぁ」と期待と不安を抱えながら島に到着しました。

私がアルバイトをしている民宿『市左衛門』は港のある内浦地区の裏側、釜谷地区にあります。車で海岸沿いの道を上り、下り、10 分ほどで到着します。釜谷地区の民家の集まるところは、山を切り開いて家を建てた場所なので階段がそこら中にあり、家が密接して立ち並んでいます。

民宿でのお手伝いは、朝食の支度をすることろから始まります。部屋の掃除などを終え、午後には2〜3時間の休憩をはさみ、夕ご飯の配膳からまた仕事再開です。“島”というイメージから、なんだかのんびりしているのかなぁと思っていましたが、この時期の粟島は観光シーズンの為、忙しいです。そんな中でも、民宿を訪ねる人たちから色んな話を聞くことが出来て、とても面白いです。

近所には『塩釜六社神社』があります。創建年不詳。昔、宮城県塩釜から分祀したとのことです...。なんとも面白そう。その塩釜神社に向かう途中から見下ろす風景もまた綺麗です!

ご飯はその日獲れた魚や、畑で採れた野菜や果物を料理しています。粟島に来る前までは食べたことのなかった野菜を食べたり、魚の種類によって味が全然違うことも知ることが出来ました。民宿のおばあちゃんは、イチゴやいちぢく、栗などの果物と、白菜、豆、キュウリ、ナス、トマトなどの野菜など、本当にたくさんの作物を育てています。おいしい食べ方や、保存方法もしっかりと考えられていて、今でも 5 月に採れた野菜を美味しく食べることが出来ます。

ある日のお昼には、民宿の常連のお客さんにお誘い頂き、BBQ へ参加しました〜。手作りのスープや鯛めし、お肉を頂きました!おいしかった!

まだ、島全体を見て回れていないですが、これから少しずつ見ていきたいです。虫や鳥の鳴き声、風や海の音が聞こえる生活は、私にとってはとても新鮮で心地良いです。季節の野菜やその日に獲れた魚を食べる。今まで、出来たようでなかなか出来ていなかった生活を送っています。これからも島のいろんなことを見つけていければいいなぁ、と思います。

【次号予告】『Niigata Interview Magazine Life-mag. vol.010【粟島編】』

粟島港

『Life-mag.』の次号は、粟島を特集しようと思います。粟島は新潟県村上市の沖合に浮かぶ、周囲23キロ、人口350人ほどのとても小さな島です。

今後、10〜20年後には人口はさらに減っていくとも予想されています。そこは、華やかなファッションビルもない、洗練された美容室もない、大きな観光施設もない、24時間営業の便利なコンビニもない、びゅんびゅんと飛ばせる車もいらない島です。

しかし、〈ない〉ところに立ち上がってくる〈ある〉ものとはなんだろうか、そんな問いがわたしの中で生まれ、ぜひ取材してみたいと思いました。なんだか禅問答のようですね。

それから、次号は何人かの方々にお願いして、粟島に行っていただき、取材、撮影してもらい、誌面をつくっていけたらなと思っています。この記事を読んでいるあなたにお願いがいくかもしれませんが、その時はどうぞよろしくお願いいたします。

また、Life-mag.に弟子入りした村山さんには、粟島の民宿でアルバイトをしながら、滞在して、取材テーマをみつけてもらうことにしました。このひと夏を粟島で過ごしてもらいます。新潟市の中心部で生まれ育った彼女が、どんなことを感じ、変化するのか、楽しみでもあります。

7月15日、一緒に粟島にいって、預けてきました。わたしは島の方々、数人に話しかけてすこしだけ情報収集と挨拶をして帰ってきました。毎号、同じですが、今回もまたその地域に暮らす人を訪ね、歩き、見て、聞いて全体の構成を練っていきます。

ご指導、ご支援、ご協力をいただく機会もあるかと思いますが、ひきつづきどうぞよろしくお願いいたします。

2016年7月10日日曜日

彌彦神社御神廟へ御礼参り

先日、[寺泊]野積盆踊りの取材でお世話になった力石勉さん宅に『Life-mag.』vol.009を届けにいってきました。町内会で案内してもらい、販売用の数をとりまとめていただきました。ありがたいかぎりです。

その帰り道、野積にある妻戸神社を参拝。彌彦神社の妃神をお祀りする神社です。

神社入口

階段を登ってすすむと、御神田があります。本誌にも写真を掲載しましたが、地元の方々でつくられた「妻戸妃神会」さんでお田植え祭を行っている田んぼです。

御神田

その後、スカイラインを抜け弥彦方面に出て帰路につこうと思いましたが、発刊後からなんとなく気になっていたことがありました。取材時に散々、通った彌彦神社〈おやひこさま〉に御礼参りにいきたいなということです。金子権宮司に御礼と献本に伺った際、本殿のほうにはもちろん参拝しましたが、山頂にある御神廟にもいきたいなと思っていたので。

納品回りもすこし落ち着いてきたこのタイミングと思い、エイヤ!と。

参詣道

いってきました。

平日だったことと、先週は土砂降りの日も多く、足場はぬかるみ、登山客はすくなかったです。取材するまでは知りませんでしたが、一の鳥居をくぐって、50メートルほどすすんだところ左手の鳥居は、弥彦山山頂の御神廟に向かって建てられたものなんですね。神職の方がここを通るたびに一礼をしているのを見て気になっていました。

今回はこの鳥居で一礼し、御神廟参詣へ。

一人一石運動

登山道がはじまるとすぐに「一人一石運動」というはり紙があります。これは弥彦山登山道の整備、清掃を行うボランティアの方々からのお願いです。これも取材するまで知りませんでした。

「知らない」というのは怖いもので、それまで何度か通ったことがあってもわたしには「見えない」ものでした。よく見る、までもなく、そこにはビニール袋に砂利をつめたものが積まれていて、それを6合目まで運ぶのを手伝ってくれませんか? とのお願いがこのはり紙です。

いったん「知る」ともう気になって、見過ごすということができなくなりますね。一人一石とありましたが、取材でお世話になった方々の顔が浮かんできて、奮起。二袋もって登りました。

人の手で整備された登山道

「知る」というのは景色に奥行きをあたえてくれます。よく手入れ、整備された登山道なんだなと思う箇所がいくつも見えてきました。

ホタルブクロ

(ちょうど足が痛くなってきた)6合目付近には山野草の名前を記したプレートがいくつかありました。こういったものがなければ、わたしのようなタイプは、「あ〜、足痛くなってきた。やっぱやめときゃよかったかな。ひとり登山って、友達いねーなー、俺。つーか、腹空いた」と邪念ばかりを唱え、下を向いて歩き、野の花々の種類など気にしなかったことでしょう。

めったに行かない登山にいって、「やっぱ自然の中は気持ちいいよな〜!」と思っても、よく見るとじつは山を愛する人びとの手が入って守られているものなんですね。

山頂は雲のなか

途中ですれ違ったおじいちゃんはホームセンターで買ったような黒い長靴で、手にはなにかを入れたビニール袋、それでひょいひょいと下っていきました。まるで家のまわりを散歩するかのように。

わたしは普段、運動する習慣はまったくありませんが、登り1時間30分、下り1時間でした。二日後に軽い筋肉痛。休憩のときによくストレッチしたからか、なんとなく肩が軽くなった気がします。

さて、だんだんと邪念も鎮まってきたころ、山頂の御神廟に到着。

看板

看板がみえたので、すぐか!と思いきやここからもう10分ほど登ります。

社務所

御神廟

時間は昼過ぎでしたが、御神廟付近は雲の中。

『Life-mag.vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】』の発刊の御礼をしました。底なしの虚無感、無力感に襲われる日々もありましたが、大きなトラブルなく発刊までたどり着けたことを感謝。

本誌では、弥彦山系一帯の悠久の時の流れのなかで、積み重ねられてきた歴史、文化。そこに暮らしてきた人びとの思いを取材させていただきました。いただいたご縁とご支援にあらためて感謝を深める時間になりました。

[補]取材させていただいた弥彦山岳会の小林賴雄さんから教えてもらった(山野草がきれいな)「八枚沢登山口」も気になるところです。どなたか、興味ある方がいたらぜひ一緒に!

2016年7月7日木曜日

『月刊ウインド』に『Life-mag.vol.009』のブックレビュー

『月刊ウインド』2016年7月号(通巻370号)

新潟・市民映画館シネ・ウインドさんが発行する『月刊ウインド』に『Life-mag.vol.009』のブックレビューを載せていただきました。文章から評者の方が、雑誌をよくよく噛んで、味わって、書いていただいのが伝わってきました。作り手としてもかなり嬉しかったです。(一応、言っておくと、事前の申し合わせなどは一切ありませんでしたので、載ってびっくり)

すこしだけ引用すると、

「真面目で本気で、シンプルなその魂が誌面から飛び出てくるようで、思わず胸が熱くなった。どんな場所にも歴史がある。そこには人がいて、人々の想いが交差して受け継がれた今があり、」

と。そして、さらにの一言が、

「自分がいる。」

と書いていただきました。読者自身が暮らす地域、足元、環境にも目を向けてもらえたらなぁという思いももって制作しているので、この一言はとくに嬉しかったです。

ありがとうございます。

『月刊ウインド』7月号は定価205円。シネ・ウインド、紀伊國屋書店、北書店、ジュンク堂書店、コンチェルト、ヒッコリースリートラベラーズ、ミュージアムショップ ルルルなどで取扱いがあります。

[シネ・ウインドWEB]http://www.cinewind.com/
[Life-mag.vol.007【シネ・ウインド編】]http://life-mag-interview.blogspot.jp/2014/01/niigata-interview-magazine-life-mag.html

2016年7月4日月曜日

新潟大学にて授業を2コマ

新潟大学五十嵐キャンパス

30過ぎから、自分の汗が臭いな〜と思うようになってはや3年。今回はとくにでした。ふぅ〜・・・。変な汗かきました。

6月22日(水)、29日(水)と2週続けて新潟大学にて授業をもちました。「キャリア形成」という授業で、人文学部の廣部俊也准教授からの依頼でした。

新潟県内の中堅どころの社会人から、それぞれのキャリア設計、キャリア形成、現在どのようなキャリア環境で働いているのかを話してもらう授業で、わたしの前後には新潟市役所、新潟日報、BSN関連会社、JA新潟、高校教師、歴史博物館、芸術文化振興財団、長岡市役所などの方々がそれを担うものでした。

そんな中にわたしが入っていいんでしょうか。進路指導の先生的に、親御さん的に、社会的に大丈夫でしょうか。とも思いましたが、〈アウトサイダー枠〉がきっと(たぶん)あるんだろうなと思い直して、お引き受けしました。

それから、教育現場でいまは標準用語なのでしょうか? わたしにはまず〈キャリア〉という言葉の捉え方がわかりませんでした。廣部先生に聞きましたがいまいちピンと来ず...(汗)。きっとわたしの曇った表情を見かねたのでしょう。こう言い換えてくれました。

「学生たちは〈自分にあった仕事をどうやって見つけるのか?〉〈どうやってなれるのか?〉〈働いてキツイことはどんなことか?〉を不安に思っています。その辺を小林さんの体験に即してアドバイスいただけたらと思います」と。

それにしても、授業は90分が2回(!)。

そうです、しゃべり慣れていなければ、けっこう長い時間です。

こういうときいつも思い出すのは、「請われれば 一差し舞える人物になれ」(梅棹忠夫)という言葉です。「人前で話すのやだな〜」と内心は思うもののぐっとこらえて、その役割を担うのです。

授業1回につき、A4ノート2ページ分のメモをつくって挑みました。2回で4ページのノートに書いておいたメモの一部が以下です。

・運の磨き方=恋愛的センスの大切さ
・どんな風に働くか=どんな風に生きていくか=自分はなにを大切にしているのか
・社会のなかでどんな役割を〈演じる〉のか
・名も無き職人として生きること
・マーケティングされた価値観への抗い
・誌面を〈ロング〉〈インタビュー〉としている原体験
・有機的な新潟の町の人のつながりを歩いて
・クラウドファンディングの利用
・インタビューのテクニック
 □問題意識のつくり方
 □ノートのつくり方
 □間(魔)のとり方
 □写真のとり方(目が語るのも)
 □独学の姿勢(映画『フラガール』李相日監督の言葉より)

以上です。

どれだけ響いたのかは、未知数です。自分が学生だった頃を思えば、斜に構えて〈センセー〉の言葉を素直に受け取ろうとは思っていませんでしたので。200人近い生徒に対して「『Life-mag.』を知ってる人〜?」と挙手をもとめると「ゼロ」なわけです。

心のなかで「チーン・・・」と音がなりましたよ。

その雑誌がどんなものなのかを知らない(場合によっては知りたくもないゼ!と思っている)学生に対し、わたし一人が言葉をどんどんと投げていくのは(予想通り)かなりエネルギーを要するものでした。

それでも持てる力(言葉)は出し尽くしました。手は抜いていません。

1割が寝ていました。もう1割はあからさまに「ツマンネー」という顔をしていました。しかし、2〜3割の学生は目と耳と心をこちらに向けて聞いているのがわかりました。(学生の頃は気づきませんでしたが、壇上にあがっている方からはひとりひとりの様子がよくわかるんですね。教室の空気感の上がり、下がり、停滞の様子も)

なにか一言でも、なにかひとつの気づきでも、心の中に残って、いつかそれが芽を出したらいいなと願っています。

最後に。わたしを講師に推薦してくださった人文学部の鈴木正美教授、授業にあたりアドバイスをいただいたキャリアセンター特任助教の高澤陽二郎さんにあらためて感謝します。ありがとうございました。