2016年7月4日月曜日

新潟大学にて授業を2コマ

新潟大学五十嵐キャンパス

30過ぎから、自分の汗が臭いな〜と思うようになってはや3年。今回はとくにでした。ふぅ〜・・・。変な汗かきました。

6月22日(水)、29日(水)と2週続けて新潟大学にて授業をもちました。「キャリア形成」という授業で、人文学部の廣部俊也准教授からの依頼でした。

新潟県内の中堅どころの社会人から、それぞれのキャリア設計、キャリア形成、現在どのようなキャリア環境で働いているのかを話してもらう授業で、わたしの前後には新潟市役所、新潟日報、BSN関連会社、JA新潟、高校教師、歴史博物館、芸術文化振興財団、長岡市役所などの方々がそれを担うものでした。

そんな中にわたしが入っていいんでしょうか。進路指導の先生的に、親御さん的に、社会的に大丈夫でしょうか。とも思いましたが、〈アウトサイダー枠〉がきっと(たぶん)あるんだろうなと思い直して、お引き受けしました。

それから、教育現場でいまは標準用語なのでしょうか? わたしにはまず〈キャリア〉という言葉の捉え方がわかりませんでした。廣部先生に聞きましたがいまいちピンと来ず...(汗)。きっとわたしの曇った表情を見かねたのでしょう。こう言い換えてくれました。

「学生たちは〈自分にあった仕事をどうやって見つけるのか?〉〈どうやってなれるのか?〉〈働いてキツイことはどんなことか?〉を不安に思っています。その辺を小林さんの体験に即してアドバイスいただけたらと思います」と。

それにしても、授業は90分が2回(!)。

そうです、しゃべり慣れていなければ、けっこう長い時間です。

こういうときいつも思い出すのは、「請われれば 一差し舞える人物になれ」(梅棹忠夫)という言葉です。「人前で話すのやだな〜」と内心は思うもののぐっとこらえて、その役割を担うのです。

授業1回につき、A4ノート2ページ分のメモをつくって挑みました。2回で4ページのノートに書いておいたメモの一部が以下です。

・運の磨き方=恋愛的センスの大切さ
・どんな風に働くか=どんな風に生きていくか=自分はなにを大切にしているのか
・社会のなかでどんな役割を〈演じる〉のか
・名も無き職人として生きること
・マーケティングされた価値観への抗い
・誌面を〈ロング〉〈インタビュー〉としている原体験
・有機的な新潟の町の人のつながりを歩いて
・クラウドファンディングの利用
・インタビューのテクニック
 □問題意識のつくり方
 □ノートのつくり方
 □間(魔)のとり方
 □写真のとり方(目が語るのも)
 □独学の姿勢(映画『フラガール』李相日監督の言葉より)

以上です。

どれだけ響いたのかは、未知数です。自分が学生だった頃を思えば、斜に構えて〈センセー〉の言葉を素直に受け取ろうとは思っていませんでしたので。200人近い生徒に対して「『Life-mag.』を知ってる人〜?」と挙手をもとめると「ゼロ」なわけです。

心のなかで「チーン・・・」と音がなりましたよ。

その雑誌がどんなものなのかを知らない(場合によっては知りたくもないゼ!と思っている)学生に対し、わたし一人が言葉をどんどんと投げていくのは(予想通り)かなりエネルギーを要するものでした。

それでも持てる力(言葉)は出し尽くしました。手は抜いていません。

1割が寝ていました。もう1割はあからさまに「ツマンネー」という顔をしていました。しかし、2〜3割の学生は目と耳と心をこちらに向けて聞いているのがわかりました。(学生の頃は気づきませんでしたが、壇上にあがっている方からはひとりひとりの様子がよくわかるんですね。教室の空気感の上がり、下がり、停滞の様子も)

なにか一言でも、なにかひとつの気づきでも、心の中に残って、いつかそれが芽を出したらいいなと願っています。

最後に。わたしを講師に推薦してくださった人文学部の鈴木正美教授、授業にあたりアドバイスをいただいたキャリアセンター特任助教の高澤陽二郎さんにあらためて感謝します。ありがとうございました。