2011年6月24日金曜日

新潟JCフォーラム 地域コミュニティについて

先日、第37回新潟JCフォーラム「地域の課題は自分たちで解決する!」〜新しい地域コミュニティの姿を目指して〜という講演会を聴いてきました。

ゲスト講師に櫻井常矢氏(高崎経済大学地域政策部 准教授)を迎えての講演でした。
櫻井氏は地域コミュニティの重要性をうったえ、実際に群馬・宮城・山形など全国でまちづくりの実践を行っている教授です。

今回のように市民講座としてひらかれた会合は私のような一般市民にとってはありがたい。普段なら聞けないような話を聞かせてもらえる。主催の社団法人新潟青年会議所さんに感謝。

メモを取りながら大変興味深く聴かせていただいた。


無縁社会ともいわれる昨今の日本社会。そこでは身よりのいない孤独死が急増しているという。今回の東日本大震災においても、倒壊した家屋に独り暮らしのおばあさんがいるということが共有されている地域とそうでない地域があったという。

櫻井氏が実践の中で見てきた例で、農村部の20〜30代の自殺率の高さがあげられた。

この話は私も実感あるものとして聞いた。今は情報だけは都市部に住む若者と農村部に住む若者はほぼ差はない。農村部に住む若者もインターネットやテレビなどを通して華やかな情報を大量に得ることが出来る。しかし、実生活において、そこで得た情報と大きな差が生まれる。そのギャップに苦しむことになる。

また、団塊世代の次の生き方探しとして地域の中にそれを見つけたいというニーズがあるという。高崎で行っている退職サラリーマンの地域デビュー講座は満員盛況となるそうだ。

新しい地域コミュニティ作りで大切なキーワードとして「地縁」と「志縁」があげられた。

「地縁」とは、
町内会や自治会単位の限られた範囲内の問題を解決するために結ばれる縁。いつも人が限られて会議は停滞気味になる傾向がある。同意するまでに時間がかかり過ぎること。しかし、一度同意を得たあとの結束力が凄い!

「志縁」とは、
ある特定の問題を解決するために結ばれる縁。子育てやアート、まちづくりなど、テーマに対して人が集うので土地は限られない。外の地域と繋がりが生まれやすのが特徴。

このどちらも大切で、特性をふまえた上での地域作りが必要とのこと。

そして、「目的は何か?」、「つなぎ役の必要」、「共同性の強さと弱さ」の3つの行動基準が示された。

「目的は何か?」
まずはその地域の課題を明確にすることが必要。「会議」ではなく「話し合い」の文化を醸成することが必要。

「つなぎ役の必要」
いま地域が抱える課題は単独の組織では解決不可能で、自治会、コミュニティ協議会、NPO、学校、公民館、行政、社会福祉協議会、事業者などが連携しなければいけない。そのつなぎ役が必要。

「共同性の強さと弱さ」
これまでの同質社会から異質社会への変化。丁寧な信頼関係の醸成。地域コミュニティの開放性。


色々と勉強させてもらいました。
ひとつの事例で、山形県のある自治会で役員を20〜30代の若者にまかせてうまくいっている例をあげていた。
地域社会の中で、自分の存在価値を与えてもらう、というのか、作る、創るような機会が必要だと思いました。


今回の講座は社団法人新潟青年会議所の地域コミュニティ復権委員会が担当したそうです。新潟青年会議所は下の写真のような会報も作って活動を発信しています。会報では第57代理事長の敦井一友氏が新潟のまちづくりについて対談しています。


市町村合併により、吸収された地域では市議会議員の数が減り、地域住民の声が市政に届きにくくなったことをあげ、地域住民の主体的な行動が試されているとのこと。

そして、新潟市で議論されている新公共交通についても、整備されれば人が集まるというよりは、本当に行きたいところがあるのかどうか?が大切で、そのための議論が不足していると。
また、中心市街地はある意味で「公」のものという認識を高め、商店街が一丸となることが大切。場合によっては業種転換することも必要。
時代の変化に対応したまちづくりについて、新潟青年会議所メンバーが担える役割もある。


そのような対談が掲載されています。


新潟青年会議所の会合には初めて参加させていただきました。
一体、何をする団体だろう?
会報には以下のような団体主旨が書かれています。

「社団法人新潟青年会議所は”明るい豊かな社会”の実現を共通の理想とした、次代の担い手たる20歳から40歳までの指導者たらんとする青年の団体です。」

ホームページを見てみると、


約170名ほどの会員がいて、
「真のこころ育成」
「地域コミュニティ復権」
「環境共生推進」
「新しい地域の姿確立」
「都市モビリティ向上」
「郷土の力研究」
「国際経済」
「情報力実践」
「オリエンテーション」
「リーダーシップ開拓」
「会員ネットワーク開発」
等々、の委員会に分かれて勉強会を企画したり、自己啓発に励んだりしているとのこと。


一般公開の講座で興味が湧くものがあったらぜひまた参加してみたいと思います。

2011年6月23日木曜日

丹藤亜希子さん「トゥーランドット」

LIFE-mag vol.004で取材させていただいた丹藤亜希子さんが主演するオペラが来月あります。

二期会創立60周年記念公演で行われます。
演目は「トゥーランドット」です。

























6月22日付け新潟日報の17面にもインタビュー記事が掲載されていました。





















LIFE-magのインタビューでもお話して下さいましたが、決して早熟ではなかったとのこと。それでも自分のペースを崩さずコツコツと技術を磨いてきた丹藤さん。
そして、2011年、大舞台へ!

2011年6月16日木曜日

旬のものをつぎつぎと




ありがたや。
そら豆をどんどん食べています。
いきがいいので皮をむく作業をしていると水分をたくさん含んでいるのがわかります。
これまたお酒によくあうことなんの。

2011年6月15日水曜日

ときには恋愛について





「小林秀雄全作品25 人間の建設」
平成16年10月10日 株式会社新潮社 発行

この中に収められている「対談/教養ということ 田中美知太郎・小林秀雄」から
面白いなと思ったところをひとつ。

(57p.)田中氏・「恋愛というようなことでも、相手が自分を好いてくれるかどうかということよりも、相手が結婚にふみきるための外部条件みたいなものばかりが主要なことになって、そういうまわりの条件さえ整えば、それで相手はイエスを言うはずだと考えたりすることがあるのですね。だから、いざノーを言われたりすると、どうしてもわからないということになる。そんなはずはないというのですね。しかし好き嫌いをたしかめるのが先決問題じゃあないんですかね。しかしこんなのは旧式な考え方で、まわりから条件をそろえて行けば、好き嫌いなんてことは、簡単に片づくというのが、むしろ今日的な考えになるのかもしれない。つまり今日では政治でも経済でも、何でも計算し、計量して、まわりから攻めていくやり方が主になっている。社会科学でも、計量可能の領域が拡大されて行って、全体を自然科学に近づけるという考え方があるように思うんですがね。」

(58p.)小林氏・「それが根底でしょうね。そういう学問についての教育の仕方がまちがっているんじゃないかと思うんだな。いまの恋愛の話じゃないけれど、好き嫌いという問題が後まわしになっている。孔子がいっているね、「知る者は好む者に及ばない。好む者は喜ぶ者に及ばない」。好むとか喜ぶと言うことが孔子にとっては根底的だったのだな。最も現実的なことだったんだな。知るということはひとまず現実から離れてもいいことなんだ。そうした根底的なものの認識が、いま逆になっている傾向があるんじゃないかな。現実的なものは計量可能な、合理的なもの、そうなった。」


この後の対談、プラトンが教育の根本は好き嫌いだということから芸術教育を重視したこと。教育は説教ではなく習慣だということ。「万葉集」を学ぶにしてもその姿から入ることの大切さ(「万葉集」の解説や周辺知識よりも暗誦させること)など、面白いな〜と思いました。

この対談は昭和39年6月の『中央公論』に掲載されたもの。
なんだか、いまの時代にも当てはまるよなと思いながら読む。

「どんな人が好みですか?」
「どこが好きになったの?」
「結婚するならどんな人がいい?」

などなど、よく交わされる会話がある。

年収なのか?ファッションなのか?学歴なのか?優しさなのか?フィーリングなのか?

「歴史を学ぶのは、今の日本が向かうべき道を示すためなのか?」
「数学を学ぶのは、売上の計算をするためなのか?理系のほうが就職に有利だからなのか?」

いやはや、どうしても好きだからであり、それこそが生きる喜びだから、そういう気がする。