2019年12月4日水曜日

「NIIGATA LOCAL FOOD GATE / NIIGATA LOCAL AREA GATE」

NIIGATA LOCAL FOOD GATE / NIIGATA LOCAL AREA GATE

12月7〜8日の2日間、JR新潟駅万代口にてイベント「NIIGATA LOCAL FOOD GATE / NIIGATA LOCAL AREA GATE」が開催されます。「新潟の“食”に出会う」「新潟の“街”に出会う」をテーマにマルシェや写真展示などが開催されるそうです。

新潟駅・万代・古町・沼垂・鳥屋野潟・亀田といった新潟駅から比較的近いエリアのお店が出店します。TABI BAR & CAFE from SUZUVEL (新潟駅)、DELI & RESTAURANT piatto giorni(万代)、WATAGO-FOOD & ETHICAL(亀田)、mullet(鳥屋野潟)、Oldtown Dessert Company(古町)、pursweets and(古町)、HOSHINO koffee & labo.(沼垂※7日のみ)、Bar Book Box(古町)、おひさま日曜市(食材協力)などだそうです。また、新潟在住のフォトグラファー・花沢美音さんの写真展も同時開催。

出店者のひとりBar Book BoxさんからブースにてLife-mag.を販売していただけるとのことで、本日納品してきました。ありがとうございます。

新潟の玄関口である新潟駅。またあらたな読者との出会いを願っています。

2019年10月22日火曜日

関越サービスに集金へ

関越サービス・石添政子さん(左)と

秋葉区の「里山ビジターセンター」で取り扱いしてもらっているLife-mag.の集金にいってきました。同センターを運営するのは西蒲区の関越サービスさんです。担当スタッフの石添さんにいつもお世話になっております。

社長をまじえて近況報告などしました。「Life-mag.の次号を待っている人が多い」との言葉もあり、どうにか次号発行に向けて、時間を作りたいと強く思いました。

2016年に取り扱いのお願いをした時の記事
http://life-mag-interview.blogspot.com/2016/07/blog-post_28.html

その後、トークイベントに登壇させていただいた時の記事
http://life-mag-interview.blogspot.com/2016/12/blog-post_15.html

いつもお世話になっており、ありがとうございます。

2019年9月30日月曜日

岩室あなぐま芸術祭によせて(補)

「障がいのある方に仕事に来てもらうことによって、すでに勤めていた従業員間のコミュニケーションの改善もみられました」

岩室温泉にある髙島屋の女将・髙島基子さんはそう話した。

2018年に始まった「岩室あなぐま芸術祭」。第2回となった本年は9月14日〜28日の会期で幕を下ろした。

Life-mag.は3本の記事を制作し、公開した。()()()のリンク先がそれである。企画と実行委員の方々へ賛同と敬意を表したいと思い、みずから申し出て、ボランティアによる広報(後方)支援を行なった。

会期は過ぎているが最後にもうひとつの記事を紹介したい。

髙島屋の女将・髙島基子さん

本年の出展作家のひとりである麦っ子ワークスの内山俊幸さんの取材で岩室温泉の髙島屋を訪ねた。展示作品を見させてもらった後、女将の髙島基子さんに話を聞いた。

「うちはいま麦っ子ワークスさんに館内や庭の清掃をお願いしているんですよ。ほんとうに助かっています」と髙島さん。

髙島屋は現在、麦っ子ワークスに施設や庭の清掃を依頼している。週1回ほど、半日。麦っ子ワークスの利用者さん5〜6人が髙島屋にやってきて仕事をしているという。

「きっかけはいわむろやさんで障がいのある方たちが清掃している姿をみたことです。それから興味をもってわたしたちもお願いすることにしました」

旅館業も人手不足のなか、施設内外の清掃に人が欲しかった。現場の様子をこう話してくれた。

「お客様が出入りになる際、麦っ子ワークスの方々が挨拶を交わすこともありますが、とくに問題はありません。宿を利用いただくお客様の理解も大きいと感じています」

さらに従業員同士のコミュニケーションにも良い変化が起こった。

「障がいのある方々に仕事をお願いするときにはしっかりと、どこを、どういう風に清掃してもらいたいか、仕事の指示を具体的にわかりやすくします。そういった習慣はほかの従業員にも波及して、普段の仕事でも良い影響が出て、社員間のコミュニケーションの改善にもつながっています」

人手不足のなか手を借りて助かるばかりか、従業員間のコミュニケーションの改善にもつながったという。

そんな髙島屋では、障害者雇用に関してもうひとつ取り組んでいることがある。西蒲高等特別支援学校に通う生徒が現在、職業訓練に来ていて、来年の春には就職する予定とのこと。

「常時雇用で来てもらって、館内やお部屋の掃除をお願いしようと思っています」

「旅館業界では昔、一度勤めたらもう最後まで勤め上げるという雰囲気がありました。雇う側もそういう構えでいました。しかし、お互いにそこまで思いつめることはないんですね。新潟市の障がい者就労支援センター〈こあサポート〉さんに相談すると、いろいろと教えていただき安心することができました」

障害のある人もない人もそれぞれの能力を活かして働くことができる地域に向けて。岩室温泉、そして西蒲区で生まれたあたたかな連鎖、その取り組みの一端を垣間見た気がした。

麦っ子ワークス外観

またなにか機会があれば、編集者としても、市議会議員として誰もが暮らしやすい地域となるよう関わりや、学びを続けていけたらと思う。

そして、このような考える機会をつくってくれた「岩室あなぐま芸術祭」にあらためて感謝したい。

お疲れ様でした。

ありがとうございました。

2019年9月28日土曜日

岩室あなぐま芸術祭によせて(3)

「内山さんの可能性がもっと見たかったんじゃないでしょうか」

コンパネをつなぎ合わせたキャンパスに描かれたゾウの絵が迫ってきた。昨年の「岩室あなぐま芸術祭」で見たゾウの絵の迫力、ユーモアをよく覚えていた。

作家は内山俊幸さん。西蒲区仁箇にある福祉作業所「麦っ子ワークス」に通う。内山さんには知的障害がある。

内山俊幸さん
あなぐま芸術祭2018、からむしやにて

内山さんは現在50歳、平成10年の麦っ子ワークス開設当初より通っている。作業の休憩時間などにほかの利用者とともに絵を描いているという。

麦っ子ワークスを訪ねると、支援員の山岸正則さんが施設内を案内してくれた。「ちょうどいま他の利用者さんと一緒に絵を描き始めたところでしたよ。新潟県の地図を描いているようです」と山岸さん。

鮮やかなクーピーで上中下越、そして佐渡に色分けされた地図を描いているところだった。わたしも挨拶をして、声をかけると明るく挨拶を返してくれた。

「内山さんはみんなから〈ウッチー〉って呼ばれて慕われてますよ。絵を描くときは迷いなく線を引いていきます。体調が優れなかったり、じぶんの中になにかモヤモヤがあると、絵に出ることもあります。今年のお正月頃はイノシシの絵を描いてたんですが苦戦していたようです」と山岸さん。

談笑の様子

麦っ子ワークス内は、内山さんと山岸さん、そしてほかの利用者さんの話し声とともに賑やかな雰囲気だった。初対面のわたしにも多くの利用者が声をかけてきた。

施設内にかけられた内山さんの絵01
施設内にかけられた内山さんの絵02

ゾウの絵を描いたのは5年前。当時の担当支援員Sさんが内山さんに声をかけて描かれたものだという。普段は画用紙などに描いているが、その様子を見たSさんが用意したのは、大きなコンパネ。

内山さんの創作意欲と、Sさんのこの大胆な提案が周囲を驚かすような作品を生んだ。

「利用者をあたたかく見守ってくれ、大事なときにはサポートをしてくれる方でした。きっと普段の様子を見ていて、内山さんの可能性をもっと見たいと思ったんじゃないでしょうか」と山岸さんは語る。

障害のある人の可能性を見出し、それをサポートする周りの環境はとても重要である。障害の特徴やその人の個性によって、支援のかたちは違ってくるだろうが、Sさんの提案は知的障害のある内山さんの可能性を社会に開いていくひとつのきっかけとなったのではないだろうか。

もしかしたら障害のある、ないに関わらないのかもしれない。

わたしたちは誰もがもつ、欠点や課題、困難に対して、すこしのサポート、すこしの助け合いがあれば、解決することは多いのではないだろうか。そんなこともふと感じた。

岩室温泉「髙島屋」
玄関脇に展示された

今年の岩室あなぐま芸術祭では、髙島屋に内山さんの絵が展示された。国の登録有形文化財に指定される宿とのコラボレーションとなった。

内山さんの作品をみた後、わたしは女将さんと障害者の地域雇用についてしばらく話して会場をあとにした。女将さんと話したことも追って、記事にできたらと思う。

2019年9月27日金曜日

燕三条工場の祭典2019まもなく

ツバメコーヒーにて

燕市のツバメコーヒーにLife-mag.の納品に伺いました。「燕三条 工場の祭典」の会期に向けて【燕三条編】を仕入れていただきました。いつもありがとうございます。

期間中は燕三条地域の工場が解放され、普段入れない職人の世界をかいまみることができます。気になるところを何ヶ所か回るだけでも十分楽しめます。

わたしは工場の祭典のカメラマンの写真が好きで、例年、パンフレットを楽しみにしていました。ことしはボリュームアップして、オフィシャルブック(360p. ¥2,000)として販売。さっそくツバメコーヒーで買ってきました。

去年、一昨年も楽しませてもらいました(下記、ツイート参照)



ことしの会期は10月3日〜6日です。
ぜひどうぞ。

[web]https://kouba-fes.jp/about-2019/

2019年9月4日水曜日

岩室あなぐま芸術祭2019によせて(2)

「目が見えない自分は劣った人間なんじゃないかという強い劣等感があった」

その意識を変えたのはアメリカへの留学経験だった。

「ほんとうの障害というのは社会の構造、偏見、差別意識の方にあるのではないか」

その経験は、社会の見方を180度変えたという。新潟市議会議員の青木学さんに話を聞いた。

「岩室あなぐま芸術祭」では「ヒューマンライブラリーセミナー&体験会」というイベントも開催される。ヒューマンライブラリーとは、2000年にデンマークで始まった取り組みで、障害者や性的マイノリティ、移民や特殊な職業の人などと少人数による対話を通じて、互いの理解を深める取り組みである。ゲストに招かれる「人」を「本」に見立てて、自分の知らない価値観を知る。

新潟青陵大学短期大学部の准教授・関久美子さんらが中心になり、企画を進めている。「今回は青木さんをはじめ、中途半身不随で自立生活をしている方、デートDVの経験を持つ方、不登校の経験を持つ大学生の4人を『本』としてお招きします。この活動を通してなにより私自身も世界が広がりました。そういう出会いが大きな魅力だと思います」と関さん。

当日は青木さんも一冊の「本」になってこれまで経験してきたことを話す。

新潟市議会議員・青木学さん

青木さんは小学6年の夏休み頃から目の病気で視力を失っていった。それまでは走り回ったり、野球をしたりしていたのが中学に上がる頃にはほぼすべての視力を失った。

「ショックでした...」

当時の心境を即答した。

「それから目が見えないということでの劣等感。自分は障害者で、劣った人間だという劣等感。これは大きかったです」と。

本人のショックが大きかったのはもちろん、家族や周囲の人たちもどう接したらいいのか戸惑っているのを感じていたという。しかし、その後、新潟盲学校の中学部に進学すると周囲の反応はすこし違った。

「見えないからといって特別扱いされませんでした。あまりに普通に接してくれて、だからこそしっかり向き合ってくれているんだなという実感はありましたね」と振り返る。

青木さんは中学に入るとギターの弾き語りをはじめたり、野球や柔道、バレーボールなどもやったりと活動的に過ごした。

「それでもやっぱり白杖(はくじょう)を持って外に出るというのはできませんでした。これを持っているということは視覚障害者なんだと認めることになる。これを持って歩いている姿を知っている人に見られたくない。中学・高校の頃はずっとそう思っていました」

高校部に上がり進路選択を考える時期になると担任の先生にある提案をされた。

「大学に進学してみたらどうか」

盲学校では鍼灸(しんきゅう)の道に進む生徒が多い中、3年時の担任は青木さんにこう勧めた。

「私からすれば盲学校の世界と外の世界はまったく別世界。遠い世界だと感じていました。正直、この先生はなにを言い出すんだろうって思いましたよ(笑)」

「ただ、人はいずれ死ぬんだし、チャンスがあるときに挑戦してみて最後を迎えた方が悔いがないんじゃないかな。先生の言うことを信じて、一歩を踏み出しました」

その後、青木さんは現役での進学はかなわず、京都の盲学校の予備校コースで浪人生活をはじめた。

「この時、初めて受験勉強の大変さ、ひとつの物事を習得することの厳しさを体験しました。はじめは高校3年時の担任の先生をいつも思い浮かべて、心のなかで頼って、浪人生活を頑張っていたんですが、ある時、先生がいないことに気がつきました。そして、自分の中の目標、または自分自身を少しずつ頼りにしていることに気づきました」

思い切って新潟を飛び出した青木さんは、京都の街で少しずつ自信をつけていった。

「それから京都は学生の街でね。盲学校にも女子大生のボランティアが来てくれるんです。週1回ですが、参考書や新聞を読んでもらってましたが、それも張り合いになってね(笑)」

1年間の浪人生活を経て、青木さんは京都外国語大学英米語学科に進学。大学時代は飲み会、ドライブ、カラオケに行くなど多くの友人に恵まれた。

最大の転機はアメリカ留学時に訪れる。青木さんは英語学をさらに学びたいのと、アメリカの障害者への支援体制、制度を見てみたいとの思いから留学を決意する。

留学先は、ワシントン州にあるセントラルワシントン大学大学院。

「入学直後、スペシャルサービスという期間が設けられていました。様々なハンディを持った人に対して、支援のコーディネートをする期間です」

その際、一生忘れることはないだろうというキーワードに出会う。

「あなたがこの大学で目的を達成するためにはどういうサポートが必要ですか?」

そう聞かれたという。

「日本の大学では『あなたが目が見えないからといって特別な支援はできませんので』と言われたこともありました。当時の世間の感覚からすれば私も当たり前だなと思っていました。それをわかってて私が勝手に選んで来たんだし、自分自身も大学側にああしてほしい、こうして欲しいということもありませんでした」

「アメリカでは、大学側が仲介してくれる有給の学生スタッフが障害のある学生のサポートをする仕組みが州の制度としてありました。そして、学生生活を送っていく中でも障害者もごく当たり前に健常者といっしょに議論したり、生活したりしていたんです」

もちろんサポートは当事者が目標や目的の達成のためになされる。明確な目的意識と行動が伴わなければいけないとも言えるだろう。

「私はその頃まで自分自身が社会の構成員だと思っていませんでした。なんとかして健常者に近づくことによって、人として認めてもらえるような。自分たちは社会の隅の方に置かせてもらっているような感覚でした」

障害者の権利がごく当たり前に生活のなかに浸透しているアメリカでの学生生活を経て、青木さんの意識は変わっていった。

「ほんとうの障害というのは社会の構造、周りの人の偏見、差別意識。それがほんとうの障害なんだと思うようになりました。社会の側の障害をひとつひとつ取り除いていくこと、それがほんとうのバリアフリーなんじゃないか」

「目が見えなくなって10年以上の時間がかかりましたけど、留学を経験して、これが自分なんだと受容できるようになりました。自分のなかにあった劣等感が軽くなっていったのを強く覚えています。社会と自分との関係を政治的にも考えるようになった原体験でもあります」

大学院を修了後、帰国。青木さんは国際関係の分野での仕事を求めて就職活動をはじめる。

「意気揚々と帰国してきたわけです。しかし、そこでまた壁にぶつかるんですね。JICAやNGO機関など、かなりの数、就職を希望して連絡を取りましたが、試験すら受けさせてもらえませんでした。視覚障害がある、というだけで門前払いでした。障害はありますがそのほか私が持っている能力や適性を判断する機会すらもらえない。これほど悔しい思いはありませんでした」

「いつか時代を変えてやる」そう心に決めて新潟に帰郷し、通訳などの仕事を過ごしていた。

次の転機は28歳。同じ視覚障害を持つ友人から「市議会議員という立場から社会を変えていくのはどうか。挑戦してみたらどうか」と勧められた。

1995年、新潟市議会議員選挙に初当選。福祉や教育、障害などの分野で積極的な提言を続けてきた青木さん。現在、7期目となった。

「いまは市報や議会だよりなども点字や音声で受け取ることができます。議案や委員会の資料も点字に訳してもらっています。IT技術の進展もあり、ワードやメールなどを読み上げてくれるソフトもありますし、ホームページの検索、読み上げもできます。情報収拾量は格段に増えました」

市議会議員となって25年目。とくに思い入れのある市政での出来事はなにかを聞いた。

「2016年に施行した『障がいのある人もない人も共に生きるまちづくり条例』でしょうか。2008年頃から議会で提起してきてようやく実現しました。これは全国的にも先進的な事例です」

この条例は、市や民間事業者に対し、障害を理由にした差別を法的に禁止するものであり、かつ話し合いを通じて相互の理解を深め、共生のまちづくりを進めることを目的としたものである。

(1)福祉サービス(2)医療(3)商品販売・サービス提供(4)雇用、(5)教育(6)建物・公共交通(7)不動産(8)情報提供(9)意思の受領といった個別例を示しそれらを禁止している。


「ようやくここまで来たか...、と感無量でした」と青木さん。

——事前インタビューでは学生時代の話を中心に聞いた。「岩室あなぐま芸術祭」では青木さんのこれまで転機となったことや市議会議員としての活動など、直接聞くことができる。

「本」との出会いのように、青木さんが歩んできた人生という「物語」の1ページに出会ってもらいたい。

青木さんの道具。議会や委員会などで気になったことをメモし、後で点字にして再現できる。また、USB端子からワードやエクセルなどのデータを読み込めば、それも点字に変換して読むことができる。ピアノの鍵盤のように見える黒い部分の白い点が浮かび上がって点字になる。点字ディスプレイ「ブレイルメモ」。

ヒューマンライブラリーセミナー in 岩室温泉

「ヒューマンライブラリーセミナー in 岩室温泉」

日時:9月25日18:30〜20:30、要申込、参加無料
会場:新潟市岩室観光施設いわむろや(伝承文化伝承館)

[詳細]https://www.iwamuro-anaguma.com


*「ニイガタヒューマンライブラリー2019」と題して11月3日(日)にイクネスしばた、11月10日(日)に新潟青陵大学・短期大学部でも開催が予定されている。上記チラシ参照。

2019年8月29日木曜日

岩室あなぐま芸術祭2019によせて(1)

「夏バテかな? なんだか最近、調子が悪いみたい。しばらく休みもなかったし、すこし病院で診てもらおうか」

…。

何気なく出かけた検診で、もしも、ガンを告知されたら。

「余命は数ヶ月。末期のため、治療も難しいでしょう」

慌ただしくも、ささやかな幸せを享受していた日常に、突如として死の影が迫ったきたら。

あなたは、どんな終末期を迎えたいか——

今年も西蒲区岩室温泉を会場に「岩室あなぐま芸術祭」が開催される。去年の初開催に続き2回目の開催である。

会期は9月14日(土)〜28日(日)。会場は岩室温泉の旅館・ホテル、飲食店、お寺、和菓子店、そして新潟市岩室観光施設いわむろやなどである。

昨年は障害のある方の作品展示が中心だったが、今年はさらに内容を膨らませて、クラウドファンディングを活用したCD制作、「ヒューマンライブラリー」、ファッションショー、バー形式の読書会など多彩なイベントが企画されている。

昨年、Life-mag.も実行委員の末席に加えていただき3つの記事を制作した。(1)(2)(3)のリンク先がそれである。

今年もまたボランティアスタッフとして、告知記事の制作を申し出た。そして、実行委員の小倉壮平さん(いわむろや館長)を訪ねた。

「今年は昨年のテーマから一歩深めて、テーマのひとつに〈死〉について考えることを入れようと思う」

すべての人に訪れる〈死〉。しかし、普段の暮らしで自らの死を意識する機会はほとんどない。

小倉さんは続けて答えた。

「死を見つめることによって、命の意味がまた違った風に見えてくるんじゃないかな」

小倉さんとの打ち合わせを終え、今年の取材先のひとつ目、西蒲区三方の「潟東クリニック」院長の福田喜一(よしかず)さんのもとへ出かけた。

潟東クリニック・福田喜一先生

福田さんは終末期を自宅で過ごすための在宅緩和ケアに県内で先駆けて取り組んできた。新潟大学医歯学総合病院、白根健生病院勤務を経て、2006年4月、潟東クリニックを開業した。専門は消化器、一般外科である。

「目の前の患者さんが家に帰りたいって言ってるんですよ。どうにか応えてあげたいじゃないですか」

在宅緩和ケアに取り組むようになったきっかけを聞くと、福田さんは語気を強めてそう答えた。しかし、福田さんが取り組みをはじめた約20年前、末期ガンの患者を自宅に帰すことは業界の非常識だった。

「周囲からも『はぁ?』なに言ってんの、帰せるわけないじゃない。おかしなことを言ってるな。病院や医療の現場はそんな風に言われるような状況でした」

そんな状況を少しずつ変えていけるよう、福田さんはなぜ動くことができたのか、さらに聞いた。

「まだ小さな子どもがいるお母さんが末期のガンで入院していたことがありました。余命もあと数ヶ月という状態です。そのお母さんが言ったんですね」


——家に帰って子どものお弁当を作りたい


ひたひたと死が迫る中、残された日々をどう生きたいか。その女性の要望は切実だった。

福田さんは、薬剤師や看護師、介護士、ケースワーカーなど患者さんが自宅で緩和ケアを続けながら生活できるよう、他職種連携によるチームを作った。

それは業界の常識を変えていく、一歩となった。

潟東クリニック(西蒲区三方)

2006年の開業以後もその取り組みを充実させてきた。これまで在宅で約300名の患者さんを看取ってきた。現在も施設への往診のほか、在宅では30名ほどの患者さんに往診に行く。

では、住み慣れた自宅で終末期を過ごすのがいいことなのか。そう思いたくなるが、福田さんの考えはより柔軟である。

「在宅緩和ケアは選択肢のひとつ。患者さんや家族、身体の状態や生活環境など様々な条件のなかで選ぶべきだと思う。在宅でやってみたが、思ったより身体がきびしいと思えば病院や施設を利用すればいい。また、患者さんを支える家族がつぶれてしまってもいけない」

あくまで選択肢のひとつだという。

「私たち医師は患者さんが目の前に座って『診ますよ』と言ったら絶対に逃げることはできないんです。その患者さんに最後まで向き合い、寄り添わなければなりません」

「最後まで抗がん剤で闘いたい患者さんもいますし、民間療法を試したいという患者さんもいます。ほかにも音楽やアロマ、宗教などが患者さんの支えになるかもしれません。その選択肢は多い方がいい」

地域医療の現場で在宅緩和ケアに取り組む福田さんの思いを聞いた。

その語り口は柔和で、インタビューは終始和やかな雰囲気で終わった。

その一方で、わたしは話を聞きながら、ひとりひとりの患者さんの病に向き合い、生に向き合う、福田さんの底知れない覚悟に打ちのめされていた。

すべての人に死は訪れる。いま、この瞬間も死に向かってわたしたちは1分、1秒、そして1日を生きている。

死を思う時、照らされるのは、わたしたちの何気ない日常、その幸福なのかもしれないと感じた。

来月開催される「岩室あなぐま芸術祭」では、福田さんの講演会も開催される。ぜひ福田さんの思いに触れていただきたい。


9月25日(水)13:30〜、会場はゆもとや。参加無料。

第1部「心豊かな最期を迎えるために」潟東クリニック院長・福田喜一さん
第2部「天上の音楽 あなぐま芸術祭specialversion」日比野則彦さん(サックス・ピアノ)、日比野愛子さん(ソプラノ・朗読)、岡村翼さん(ピアノ弾き語り) 、高橋義孝さん(「〝生きる〟ってこと」作品提供)

[Web]https://www.iwamuro-anaguma.com

2019年8月22日木曜日

紀伊国屋書店新潟店へ集金

紀伊国屋新潟店へ

こちらでの投稿がずいぶんご無沙汰になってしまいました。

2019年4月7日投開票の新潟市議会議員選挙にて当選。5月2日から任期がはじまり、5月臨時議会、6月定例会に出席。7月末には所属している市民厚生常任委員会の視察に行ってきました。6月定例会では一般質問にも立たせいただきました。

慣れない毎日に四苦八苦しています。

日々の活動はこちらのブログにアップしています。
[Blog]https://kobayashihiroki.blogspot.com

大きな期待をいただいての当選でした。引き続き気を引き締めて活動を重ねていきたいです。気を緩める場面がないのが実情ですが。

Life-mag.の編集・発行が滞っており、心苦しいところではありますが、きょうは紀伊国屋書店新潟店に精算業務に行ってきました。初期の頃より取り扱いいただいている書店です。

今回はvol.010【西蒲原の農家編】の精算・引き上げでした。今回も山口さんにお世話になりました。

ありがとうございました。

Life-mag.の今後についてですが、市議の活動と合わせて編集・発行を続けていきたいと考えています。

今年の正月まで取材していた【五十六の遠足 編】は、おおよその誌面、そして表紙もできています。補足の記事を加えた後、編集後記や広告面を作成して発行、といったところで止まったままになっています。

いつものLife-mag.だと「補足」とかいって深く取材してしまったり、編集後記とかいって過度な情報量を詰め込んだ誌面をつくったりしてますが...。

ほんとうは「maison de たびのそら屋」さんの展示会記念ということだったので、計画性の無さを恥じるばかりです。

市議として、編集者として、ここ新潟でどんな価値ある仕事を生み出していけるか、仕事と生活のバランスをとりながらもうしばらく試行錯誤していきます。

2019年6月3日月曜日

東京・蔵前「H.A.Bookstore」へ

Life-mag.の県外流通でお世話になっている東京・蔵前のH.A.Bookstoreへ行ってきました。新刊書店を経営しながら、取次や出版も行っているお店です。週末、友人の結婚式が品川でありその足で。

店主・松井さん(左)

店主・松井祐輔さんとは、松井さんが手がける人と本屋のインタビュー誌『HAB』の取材でLife-mag.編集室を訪ねてもらいご縁をいただきました。その後は取次などでも大変お世話になっています。

久しぶりにお会いして近況報告を少し。『月刊ドライブイン』ほか数冊を求めて店を後にしました。

祭囃子につられてしばらく一緒に歩く

蔵前神社にもご挨拶

蔵前の氏神様とは不思議なご縁があるのか、前回、蔵前を訪ねた時もちょうど祭りでした。「つぎの週末には鳥越神社例大祭があるんですよねー」という同じ会話をふたたび松井さんと。

蔵前は細い小路に入っても面白そうなお店がたくさんあって、歩いてて飽きません。わたしは2時間くらい歩いたかな。ただ、後半1時間は昼食を食べるのに入りやすいお店を探すため...。ようやく見つけたのは「中華居酒屋 熊猫パンダ」。店名も店内も力の抜け感がどうにも落ち着きました。近くに行ったらまた寄りたいです。

はやくLife-mag.の次号発行にこぎつけて、また松井さんに流通をお願いできるようすこしずつ準備を進めます。

2019年5月28日火曜日

「歩く、聞く、伝える」新潟市議会議員として活動開始

新潟市議会議員に当選しました

御礼とご報告です。

2019年4月7日の新潟市議会議員選挙にて当選させていただきました。6,006票という大きな期待を背負って、またあらたな一歩を踏み出したいと思います。

出馬にあたり、今年の正月明けから本格的な準備を進めてきましたが、ほんとうに多くの方々からご協力、ご支援いただいたこと、あらためて感謝申し上げます。

ありがとうございました。

選挙期間は、家族、親戚、友人・知人、地域の方々など、自分がいかに多くの人に支えられているのかを再認識する期間でもありました。ビラ配り、口コミや電話掛け、選挙事務所の運営や食事の用意、立候補に関する申請書類の準備など、力を貸していただいた方々ひとりひとりに支えられての選挙活動でした。

任期は今月5月2日からでしたが、選挙翌日から地域への挨拶回り、辻立ちした場所での立ち直し、行事・祭りへの出席、議会での研修・打ち合わせ、地域要望の聞き取りを行っていました。

また、先週は5月臨時議会に出席。はじめて議場に入りました。ここからまた気を引き締めて活動していきたいです。

Life-mag.のこれからですが、今後も細々と続けていくつもりです(これまでも細々でしたが...)。昨年末から今年の正月にかけて取材していた【五十六の遠足 編】、しばらく時間がたってしまいましたが【粟島 編】など途中になっているものを順次、仕上げて発行できたらと思います。

2008年にひとりではじめたLife-mag.の取材では、こつこつと県内外各地を地道に歩いて、その土地土地に暮らす人々の声に耳を傾け、読者に伝える活動を続けてきました。今後は議員として、編集者として、地域を歩き、市民ひとりひとりの声に耳を澄ませて活動していきます。

ブログ・SNSでの発信がずいぶんと遅れてしまいましたが、すこしずつ日々の活動をウェブ上でも報告できたらと思います。Life-mag.とはべつにブログを設けます。

写真は当選証書授与式のあと北書店に寄った時のものです。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2019年3月29日金曜日

新潟市議会議員選挙への立候補について

選挙ポスター

【シェア・リツート・拡散を希望します】

本日3月29日告示、4月7日投開票の新潟市議会議員選挙に西蒲区から立候補させていただきました。

わたしは今から11年前、25歳の時に『Life-mag.』という地域誌を創刊しました。大きな資本や権力、流行に左右されることなく、その地域が誇りに思える大切なものを記録、発信していきたいとの思いがあったからです。

約10年に渡るこの活動を振り返ると「歩く」「聞く」「伝える」ということを積み重ねてきた日々だったと感じています。取材先の方々には様々な年代、職業、立場の人がいました。そのひとつひとつのご縁を手繰り寄せながら、地道な取材活動を続けてきました。

近年は西蒲地域への取材が続いていたこと、また約3年前に地元・西蒲区和納に引っ越して暮らし始めたこともあり、徐々に徐々に地元のためにこれまでの経験を活かして働くことはできないかと考えるようになりました。

これまで培ってきた「歩く」「聞く」「伝える」という経験を地域社会にもっとも身近な市議会議員という立場で活かしていきたい。そう思い、今回の新潟市議会議員選挙への立候補を決意しました。

今回の選挙にあたり、1月中旬から準備を進めてきました。わたしには特定の有力者や政党がバックにいるわけではなく、家族、親戚、地域の方々、同級生・友人らに支えられての活動を続けてきました。

選挙区である「西蒲区」は定数4のところに、6人が立候補しており、情勢が読めずに苦戦しています。

どうかこの投稿に推薦コメント、期待することなどを添えて、拡散に協力いただけないでしょうか。また、投開票日の前日4月6日までの間、西蒲区のお知り合いに一声、ふた声かけていただけるとありがたいです。

選挙事務所は 新潟市西蒲区和納2-31-20 にあります。電話はLife-mag.編集室と同じ 0256-77-8482 にかけていただければわたしの携帯につながります。一緒に辻立ちをしてくれる方、電話かけに協力してくれる方などいましたら、連絡をお待ちしてます。

現役世代、子育て世代の声を行政に届け、西蒲区、そして新潟の若手世代を代表して仕事をしていきたいと思います。

どうか力を貸していただけたら幸いです。


リーフレット01

リーフレット02

2019年1月12日土曜日

Life-mag.特別編集号【五十六の遠足】

五十六の遠足

1/13から1/27まで長岡市呉服町の「maison de たびのそら屋」で「2019 NEW YEAR EXHIBITION」が開催されます。概要は先日のブログでお知らせした内容の展示会です。

この展示会への参加を記念して、Life-mag.特別編集号を発行します。

テーマは「五十六の遠足」。

長岡出身の海軍大将で連合艦隊司令長官だった山本五十六が15歳の頃に友人と出かけた5泊6日の旅をいま辿り直し、五十六の見た風景を探しました。Life-mag.が撮影した各地の写真とちょっとした取材エピソードを交えた小冊子になる予定です。

展示会は明日が初日ですが、小冊子は間に合いませんでした。ただLife-mag.は全バックナンバー納品してきましたので、手にとって内容を見ていただけます。なにより展示室での各作家さんの作品との出会いを目掛けてぜひお出かけいただけたらと思います。

小冊子の最後の取材にまた今日(いまブログを書いているのが1/12深夜なので、夜が明けたら...)出かける予定です。それでまとめとし、編集、印刷へと進める予定です。展示期間中の後半になってしまうかと思いますが、紹介できる際に案内いたします。

昨日(1/11)、そら屋のオーナー・さ和さんにはおおよその内容と仮誌面を説明してきました。展示期間中、完成直後にトークイベントもいいんじゃないか? とお声がけいただきました。そちらも日時・詳細が決まり次第案内いたします。

まずは最後の取材から安全に戻れるよう慎重に進めたいと思います。

2019年1月1日火曜日

【謹賀新年】「2019 NEW YEAR EXHIBITION」への参加

あけましておめでとうございます。

昨年は年始にLife-mag.vol.010【西蒲原の農家 編】を発行できたものの、その後に続く取材、発行が滞ってしまい苦しんだ一年となりました。新年を迎え、日頃のご愛読、ご支援にあらためて感謝するとともに、次に続く活動へ向けてまたこつこつと仕事を積み重ねていきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいいたします。

2019 NEW YEAR EXHIBITION

早速ですが、今月、長岡市呉服町の「maison de たびのそら屋」で開催される「2019 NEW YEAR EXHIBITION」に参加するのでお知らせです。

[会 期]1/13(日)~ 1/27(日)
[時 間]11:00~17:00
[休廊日]17(木)、23(水) 
[住 所]長岡市呉服町2丁目1-5

岡谷敦魚、菅野泰史、コイズミ アヤ、小林花子といった作家に、ライブでかめもなか、舞踏で平井紫乃といった方々が参加します。そこに合わせてLife-mag.の展示・販売もさせていただくことになりました。

参加メンバーの共通項は「亥年生まれ」ということ。同じ干支を持つそれぞれの表現に触れてもらえたらなと思います。

編集発行人のわたしもまもなく36歳。すこし長い目でこれからの仕事のことを考え、行動していく年にしたいです。

もう一点。

今回の展示会に合わせてたびのそら屋がある「呉服町」にまつわるなにかを取材して小冊子を作って展示・販売します。12月中に2度、下調べで長岡に行ってきました。

制作日数が限られること。また、長岡に関する歴史、文化はすでに多くの書き手を得ており、本、雑誌、フリーペーパーも多く発行されています。どう入り込んで、意義深く、新たな発見を提示できるか、悩みながらも、楽しみ、取材・制作に挑みたいと思います。

正月期間中に何度か長岡方面に出かける予定です。小冊子の内容は追って、お知らせします。

元日の今日は地元紙用の取材で彌彦神社にこれから伺います。新しい時代を迎える2019年がどうか健やかな年になるよう願って。本年もどうぞよろしくお願いいたします。