2018年8月8日水曜日

にしかん障がい者アート展「あなぐま芸術祭」によせて(2)

「心・光・力」

それは、ケガをして失ったもの

そうかかれたパネルが自宅の作品展示室に置いてあった。

西蒲区仁箇(にか)在住の岡村佐久一さんを訪ねた。9月1〜9日に岩室温泉で開催される「あなぐま芸術祭」には水彩で描いた風景画が出展される。

岡村佐久一さん

岡村さんは現在62歳。1994年、38歳の時に交通事故で頚椎を骨折。両手両足の自由を失った。

「ケガをした当初は手足はまた動くようになるだろうと思って、現実を受け入れられなかったです。治療後、手足は今後も動かないだろうと告知されたのは事故から6ヶ月が過ぎた頃。先を考えても真っ暗。電動の車椅子を用意された時もリハビリをボイコットしました」。

リハビリのために口に筆をくわえて文字を書き始めたのは入院から1年ほどたった頃。

「事故の年が明けて1995年。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件がありましたよね。病院のテレビでニュースを見ていて思いました。わたしも悔しい思いをしましたが、もっと過酷な状況にある人もいる。俺もこんなことで負けてられないなって思い始めました」。

事故後はじめて書いた文章「心への点火は魂の燃焼によらねばならぬ」

ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと...、岡村さんは一本の線を結び始めた。さらに1年が過ぎた頃、今度は絵を描き始めた。お見舞いでもらった花からだった。

「俺が書いたもので初めて喜んでくれた人は介護の研修で来ていた関川さん。うれしかったね」

関川さんは岡村さんが練習で書いていた文字やスケッチを「もらっていい?」と尋ね、持ち帰ったという。

「〈人生に定年はない〉という文字を書いてと頼まれてね」と岡村さん。

燕労災病院での2年6ヶ月の入院、治療をへて退院。入院直後に「一生取れないだろう」と言われていた人工呼吸器は、肺の奇跡的な回復により外れていた。

退院から20年以上が過ぎたいまも口にくわえた筆で水彩画を描き続けている。

ブナ林

先日、自宅にお邪魔し、作品を見せてもらった。飾られていたブナ林の絵にわたしの足が止まった。

ブナ林に木漏れ日が降り注いでいる。眩しいくらいだ。そう感じた。

ほかにも、春の陽光のなか桜の木の背後に描かれた弥彦駅舎。堂々とした体つきで風に揺れる鯉のぼり。夜の間瀬漁港には漆黒の闇に様々な色が描きこまれていた。

岡村さんは事故後、絶望のなかで周囲にきつくあたったこともあったという。そんな中、絵を描くことによって見出したものはなにか。冒頭のパネルにはこうも記されていた。

「心」は「優しさと思いやり」

「光」は「目標と希望」

「力」は「行動と努力」

それらは事故によって一旦は失ったものかもしれない。しかし、岡村さんは絵を描くことによってそれらを再び手にし、絵筆に込めて描き続けている。

わたしはブナ林に降り注ぐ光の力強さに、岡村さんの心を見たのかもしれない。

9月、岩室温泉で開催される「あなぐま芸術祭」でぜひその絵に出会ってもらいたい。

2018年8月7日火曜日

にしかん障がい者アート展「あなぐま芸術祭」によせて(1)

まずは詩の一部を紹介したい。

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病院の待合室 右隣の人も 左隣の人も 黙ってすわっている けれど どこか病んでいる 隣を通り過ぎる人も 前を行き交う人達も ふつうの顔をして いるけれど 皆みんな どこか病んでいる
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2018年9月1日から9日まで新潟市西蒲区岩室温泉地域にて、「にしかん障がい者アート展 あなぐま芸術祭」が開催される。旅館・ホテル、飲食店など14カ所に約100点ほどの作品展示が予定されている。

上の詩は、この芸術祭に出展する高橋義孝さんの作品の一節だ。

Life-mag.もこの芸術祭の実行委員会の末席に入れていただいた。ただ、これまで実行員会主要メンバーらで準備が進められて来たが、わたしはほとんどなにもやっておらず、名ばかり実行委員となっていた。

微力でもいい。

なにか力になれることはないかと考え、出展作家を訪ねてブログ記事にして、SNSで発信する広報を手伝わせてもらいたいと提案。先日その取材に行って来たので紹介したい。

あなぐま芸術祭会期まで、何回かにわけて紹介する予定である。

高橋義孝さん

高橋さんは現在59歳。生まれつき脳性まひという障害がある。

20年ほど前からは歩行が難しくなり車椅子での生活となった。そして、15年前から障害者支援施設「かたくりの里」(西蒲区橋本)に入所し、スタッフらの支援を受けながらここで生活している。

高橋さんは詩のほかにも小説や川柳、短歌なども書く。「物を書き始めたのは高校生の頃。自分のなかになにか誇れるものが欲しかったから」と高橋さん。

高校生の頃にすこし書き始めたものの、卒業後はしばらく書かない時期が続いたという。ふたたびペンを握るようになったのは、かたくりの里に入所してから。

「施設に入るよりも、自宅で暮らした方がいいんだ、という障害者や家族の方もいますが、私はそんなことはないと思います。ここではスタッフをはじめいろんな人の出入りがあるでしょう。そういう人たちから作品を読んで、共感してもらうことがわたしの励みになっているんです」と高橋さんは語る。

スタッフもそんな高橋さんの背中を押す。

生活支援員の相浦由佳さんは全国各地の文学コンクールの要項を見つけてきては、高橋さんに出展を促す。

相浦さんについて高橋さんは、「いついつまでに新しい作品書いてくださいねって、けっこう厳しいんですよ」とはにかんだ表情で語る。テーマを一緒に考えたり、出展作品を選んだり、そして執筆を促したりとまるで専属編集者のよう。

「自分がこれまで経験したこと、見て、聞いたこと、自分のフィルターを通して、言葉になる、その時を待って書いてます。作品のアイデアは夕方浮かぶことが多く、それを夕食後から深夜にかけて書くんです。やっぱり作品を書くときは一人になれる時間がいいですね。ちなみに昨日書いていたのが、この詩。まだ下書きなんだけどさぁ」。

そういって渡してくれたのが冒頭の詩である。

『待合室』2018年7月30日

以下に全文を紹介したい。

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病院の待合室 右隣の人も 左隣の人も 黙ってすわっている けれど どこか病んでいる 隣を通り過ぎる人も 前を行き交う人達も ふつうの顔をして いるけれど 皆みんな どこか病んでいる

産まれてから 今日まで なおして なおして なおして ずっと使ってきている躰 なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰 洋服ならば 着替えられるけれど 躰は着替えられない なおして なおして なおして 洋服ならば 飽きたら捨てられるけれど 躰は捨てられない なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰

カッコよくても悪くても かわいくても かわいくなくても 美人(きれい)でも 美人でなくても 太っていても やせていても その躰が好きでも 嫌いでも 洋服のように 選んだわけではない

たとえ 気に入らなくても みんな良いところを探して 何とか努力して 与えられた躰と 付き合っている

なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰がついには ほころび出しても 人は他人(ひと)を羨むことなく 最後まで 自分の躰と付き合っている

病院の待合室 みんなの 笑顔が戻る日を待っている
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障害の影響もあり指は震える。左手で椅子にしがみつき、右足で机の脚にしがみつく。全身を使って指先をコントロールしながら書く。

「書くことは私の仕事だと思っています」

9月、高橋さんの作品は岩室温泉で開催されるあなぐま芸術祭に展示される。高橋さんには『思いつきカルタ』というユーモアに溢れた作品もある。生きることの本質を突くような作品もあるなか、絶妙な力の抜け感に読みながら思わず笑った。

推敲中の原稿

芸術祭の展示ではどんな作品が見られるのか。厳しくも温かい編集者(かたくりの里スタッフ)とともにきっとまた新しい作品を見せてくれるのだろう。

2018年8月1日水曜日

長岡の路上で出会った本

教育への情熱と探究心を感じさせる2冊の本を紹介したい。

新潟の算数ものがたり

1章

1冊は『新潟の算数ものがたり』。

新潟の地理、歴史、祭り、風習、建築などを題材に「算数」の問いを導き解説していく本である。2冊目の本もそうだが、おそらく授業の中心で使う「教科書」とはべつの「副教材」として作られたのだろう。

中越地域に多くみられる六日町や十日町など数のついた地名の由来はなにか。燕の鎚起銅器の表面積は。各地点での信濃川の水量は。長岡花火の大きさや音の速度は。阿賀野川の川舟の速度は。屋根の上に積もった雪の重さは。

北方文化博物館内にある三角形の建物「三楽亭」のなかに三角形や長方形、ひし形、台形、平行四辺形を見つけてみよう、といった問いもある。

新潟の歴史・風土に「算数」的視点から様々な問いが投げかけられる。小学校の副教材として作られたようだが、大人が読んでもなるほど〜と思うことが多い。数学の難題を解いた際、その答えを神社や寺院に奉納した「算額」とかいつか取材してみたい。

発行は昭和57年。編集員には県内各地の小学校教員があたったようだ。

おはなし歴史風土記

県内の歴史を題材に10話

2冊目は『おはなし歴史風土記』。こちらは昭和56年の発行である。これも県内の教員らが編集した本だ。

県内の歴史から「しごと場のあるむら 沖ノ原遺跡」「塩の道」「佐渡の金山」「新潟みなとのうちこわし」「越後ちぢみのふるさと」「あたらしい信濃川」「おらの学校」「生きて越後に帰りたい」「ボトナムの並木道」「阿賀野川の毒水」の10話の物語がおさめられている。明和騒動や木崎村争議、新潟水俣病なども出てくる。

歴史は権力者の側から書かれ、ときに書きかえられる。

とくに学校で使用されるものは文部科学省の認定する教科書でなければならない。もちろんその教科書も大事である。

一方で、教育をうける年齢をとっくに過ぎたわたしがいまごろめくっていて、編集に関わった当時の教員たちの思いをこんな風に受け取った。

「民衆の歴史も伝えたい」

「市井の人びとの声を聞き取る感性を養ってもらいたい」

「自分たちの暮らす地域を掘り下げること、そこにも大きな学びがある」

算数のほうには、Life-mag.vol.010掲載の岸本洋子さんの旦那さんである賢一さんの名前もあった。風土記のほうにはLife-mag.vol.009〜010の取材の下調べでお世話になった亀井功さんの名前もあった。お二人とも当時、30〜40代でいまのわたしとそう変わらない年齢だ。

前記の「円盤」田口さんと同じく、この2冊からも出版にかける情熱がびしばし伝わってきて、

「ここまでやるのか...、悔しい」

と思わされた。

面白がりかた、探究心、情熱、どれも突き抜けたものを放っている。そんな本だ。

この2冊は長岡の路上で出会った。

長岡にて

6月の上旬、普段滅多にいくことのない異業種の方々との飲み会に出るために長岡に向かった。在来線で東三条を経由して長岡へ。駅前の通りを歩いていると路上に突如、本棚があったので足を止めた。

本棚の隣には張り紙が貼ってあって、

「Let's しぇあぼン★」

と書かれていた。

パンチの効いたネーミングである。

張り紙にはこうも書いてあった。

「本を持ち寄ってください」「本は自由に持ち帰ってください」「ここの椅子で本を読んで行ってください」

ここで上の2冊を見つけた。欲しいなぁと思ったものの、ほんとに持って行っていいの? え? どういうこと? となかなか状況がつかめず15分ほど立ち読みした。ほかに立ち止まる人もいないし、長岡市役所のなにかの課が入った分館のようだが担当者もぱっと見いない。

張り紙を5回は読んだが、「本は自由に持ち帰ってください」との文字は変わらない。「ちゃ、ちゃんと読みますんで、も、もらいま〜す、ありがとうございま〜す」と心の中でとなえて持ち帰ってきた。

いまの小中学校などではこういう新潟発の副教材はあるのだろうか。そっち方面に詳しくないのでわからない。あるとしたら「キャリア教育」という将来設計や職業選択を考えさせるための副教材だろうか。

いまは10年後、20年後の社会がどうなっているのか予想できない時代である。だから将来どうなりたいか、どうなるべきか考えさせるのかもしれない。(わたしの学生時代はその時々で興味のあることに熱中していただけなので、将来のためにどうこうなど一切考えなかったなぁ...)

逆に上記2冊が出版された30数年前は、高度成長期をへて日本列島の暮らしや教育も画一化・均質化が進んだ時代である。働き方もまだ終身雇用の時代だ。そんな中で、自分たちの暮らす地域(新潟)はどんな場所なのか、地域の成り立ちを考えさせる教材が必要とされたのだろうか。

時代の要請もある。30数年前とくらべて、どちらがいいとか、わるいとかはない。ただ、上記2冊には、知ること、問うこと、学ぶことへの素朴で根元的な喜びがあるようにも感じられた。