2016年3月8日火曜日

ロンドンからのお客さん、ヘアメイクアップアーティスト・宮西 亜季

六曜館(上大川前通・新潟)にて March 7, 2016 at 3:00PM

2月のはじめに一通のメールがきた。差出人は、新潟市西区出身で、現在、ロンドンでヘアメイクアップアーティストをしているという宮西亜季さん。仕事を求めてのメールで、「ライフマグの取材に同行させてもらい取材対象者のメイクをさせてもらえないか」というものだった。

「ヘ? 誰だろう」と驚いたが、次の瞬間、こういうバイタリティって大切だよなと思った。残念ながらライフマグの取材では依頼に沿うことはできないことを伝えた上で、逆に提案した。「新潟出身の若い人で、いまロンドンでがんばってる人に会いました」といったようなブログ記事にならできますよ、と。

3月前半に一時帰国するとのことだったので、「まぁ、会ってみて...。いまの仕事を目指したきかっけや、ロンドンで働くようになった経緯を聞かせてください」と待ち合わせることにした。場所は上大川前通の「六曜館」。いつも自転車で通るたびに気になっていたお店だ。

ふと気づけばいつの間にか、こういう風に果敢に飛び込んでくる若い人を見ると、ついなにかしら出来ることがあればと、世話心のようなものを抱くようになってしまった...。いやいや自分こそまだ何事も成し遂げていないんだけれど。

では、その日のやりとりを以下に。

——ロンドン在住ということですが、ライフマグを知ったのは

今回、新潟に一時帰国するにあたって、地元でもなにかヘアメイクの仕事ができる機会を持ちたいと思って。「新潟 出版」とか「本」とかって検索しまくりました。それで新潟日報さんやWEEK!さんやパスマガジンさんなど10社くらいにメールを送ったんです。

——そのうちのひとつがうちだったと。そういうのって返信はどのくらいあるんですか

半分くらいですかね。でも、条件に合う仕事があったら連絡入れますということで、その先はなかなか難しかったですね。ライフマグさんは、にいがたレポの記事で知ったんです。ひとりでやってるこういう雑誌があるんだぁって。

——ありがとうございます。要望に沿えず、逆に取材をさせていただくことになりましたが。ではでは、本題へ。いまの仕事を目指した経緯は

昔からお化粧や化粧品がとにかく好きだったんです。伊勢丹や三越の化粧品コーナーとかいくととくにわくわくしました。高校を中退して、大検を取って、東京の美容専門学校に3年通いました。

——3年? 長いんですね

そうですね。最初の1年はとにかくデッサンばかりやらされてはじめはうんざりしました(笑)。わたし何しにここに来たんだろうって。おでこの形とか、ほお骨のでっぱりとか、陰影など、顔の特徴をとらえるのに毎日スケッチ。はじめは嫌でしたが、だんだんと好きになりましたね。

——卒業後は

資生堂の販売員の仕事に就くことができ、そこで3年働きました。そして、海外ウェディングのプロデュース会社に転職し、また3年ほど働きました。海外への憧れもあったんですね。その会社では、航空チケットや宿泊の手配、衣装やメイクの打ち合せなどなんでもやりました。

——メイクの仕事に旅行とウェディングを足したようですね。面白そう。

その後、そのままフリーのヘアメイクアップアーティストになってイベント関係、テレビ・音楽関係のお仕事をやりながら2年過ごして、2015年6月からロンドンに移りました。

——なるほどぉ。初対面でしたが、だんだんとわかってきました。ちょっと話がそれますが、メイクの仕事の魅力ってどんなところでしょうか。石ノ森章太郎の漫画で『八百八町表裏 化粧師』というのがあって、江戸時代の話なんですが、貧困やコンプレックスに悩む女性に対して、主人公が化粧をしてあげて、自信をつけさせ、社会の中で一歩踏み出すきかっけをつくるんです。その漫画がすごく面白かったんですが、そういう風に女性(や男性)の背中をすこし押してあげるようなものなのかなぁと思っていますが

そうですね。「自然」なものを好まれる人からみたら「人工」的にも思えるかもしれませんが、わたしもそんな風に思います。メイクをしている時間って、「人にどう見られるか」ではなくて、「自分を好きになっていく時間」だと思うんです。それはおばあちゃんになっても同じですよね。どんな色を使おうか、どんな髪型にしようかを考えて、それをやっていくのって魔法のようじゃないですか。メイクをすることによって、自分に興味を持っていくことの大切が伝わっていったらいいですね。

——東京からロンドンへ行って、どうやって仕事を探すんでしょうか

少ないですが友人・知人のつてだったり、美容室に営業にいったり、それからブログツイッターでロンドンでいま仕事を探していますというのをアップしていったりと。実際に現地のフォトグラファーから連絡をいただいて、仕事にもつながりました。その人はイギリス人と日本人のハーフで、日本語でも検索をかけていて、見てくれたようです。

——すごい行動力。そういうのってほんとにあるんですね。ロンドンでは他にどんな仕事を

美容室の広告制作の時に仕事をいただいたり、イベント関係の仕事だったりですね。あと、日本のミュージシャンで「LADY BABY」って知ってますか

——いや、知らないですね。

オーストラリア人のおじさんアイドルと、日本人の10代の女の子のアイドルグループなんですが、このグループのロンドン公演のときにヘアメイクを担当したこともありましたね。

LADY BABYと
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——ロンドンでのこれからの目標は

まだまだやれてないことがあるので、もっとがつがつ営業をかけていきたいですね。ワーキングホリデービザで滞在していて、イギリスはその期間が2年なんです。残りの期間で映画関係の仕事もやれたらいいですね。

——いや〜、ありがとうございました。だいたいいいところ聞かせていただきました。ちょっとまた振り返るかたちになりますが、東京からロンドンに飛んでいくのってけっこう思い切りがいると思うんですが、きっかけはなんだったんでしょうか

新潟という田舎で育って、やっぱり東京という都会への憧れがあったのと、さらにその先の海外への憧れがあったことですね。東京で仕事はしていましたが、海外へというのは、なかなか思い切れませんでした。でも、病気になって、死を意識したときに、やっぱりやりたいことを思いっきりやっておきたいって思ったんです。

——病気...。聞いてもいいですか。

東京でフリーで仕事をしてた28歳の時だったんですが、ある時、右耳が聴こえなくなってきたんですね。小さな耳鼻科にかかると中耳炎と言われたので、しばらくその薬をやっていました。しかし、それでも症状は改善せず、次第に今度は左耳も聴こえなくなってきました。あれれ、と思い大きな病院に行って検査をしました。その検査の途中で明らかに先生の表情が曇ったんですね。ひぃ〜、ナニ、ナニ? はやく教えてよって。すると「上咽頭に腫瘍があって、ガンかもしれない」って言われました。精密検査のために何度か通って細胞を取ったんですが、これがめちゃくちゃ痛いんです。そして、検査結果が出るまでの3週間、泣きましたね。ずっと。

——結果は

ガンなどの悪性の腫瘍ではなかったので、薬の治療で腫れを抑えていき、しばらく治療を続けていって治りました、というかいまのところはおさまっていますというか。とにかくよかったです。でも、その時に、いつ終わるかわからない人生だし、憧れだった海外で働く夢に挑戦しようと思いました。

——そういう経験があったとは...。それにしても思い切りましたよね。やりたいことをやり切ろうと考えるようになった原体験などありそうですね。高校を中退されたとのことでしたが、学校でなにかトラブルとか、引きこもったとか

いや高校は友人たちとはすごく馴染んでいたと思いますが、高校に行く意味がわからなくなって(笑)。高校に入ってアルバイトはじめたんですが、それがすごく楽しくて。高校生だと時給650円くらいもらえるわけじゃないですか。お金が目的だったわけではないですが、それがすごくやり甲斐を感じて。それにくらべて学校では、聞きたくもない授業を、決められた時間に、決められた机に座って、みんなで同じ方向を向いて過ごさなければいけないじゃないですか。もうまったく意味が見出せなくなっていました。でも友人はいて楽しくやっていたので、「学校を辞めたい」って家族や友人に相談しても、「悩んでるの?」といった意味ではまったく心配されませんでしたね(笑)。

——自分の仕事があるってなによりの生き甲斐かもしれませんね。

その当時に高橋歩さんの本を読んで、歩さんの考え方や生き方に影響されたのもあるかもしれませんね。高校を辞めた17歳の夏に、歩さんが沖縄でやっていたビーチロックハウス(読谷村)という旅人や若い人が集う宿にボランティアスタッフとして行きました。それは原体験になっていますね。とにかくいろんな大人たちと話しました。歩さんは30歳、他のスタッフたちも20代前半くらいで、私もこの人たちの年になったら、こんな風に目をきらきらさせて生きていたいって。スタッフの中に新潟出身のノスケもいて話しました。

——それって岩室温泉のKOKAJIYAを経営している熊倉誠之助さん?

そうです、そうです! 知ってます?

——面識ありますよ〜

すごい偶然。ノスケは当時23歳だったと思いますが、いろんな話を聞かせてもらい、憧れの大人でした。その後、ノスケが「Cafe&Barl RitMo」(那覇市)をオープンさせたときにも一度、遊びにいったことがありますよ。
それから、青山小学校時代の同級生で坂爪圭吾くんっていて、「イバヤ」という活動をやっているんですが、彼の生き方にも影響を受けていますね。

——なるほどぉ。では最後にロンドンに行ってみて、地元・新潟に対する価値観とか見え方に変化はありましたか

ずっと都会への憧れがありましたが、もうすこし地元のことを知ってもいいなかぁという心境の変化はあります。小さなお店や町の景色とか、ふと立ち止まって見る瞬間が増えた気がしますね。
あと、それから3月19日には内野駅前のイロハニ堂さんで「いろいろカーニバル新潟」というイベントを企画しました。地元でもすこし動いてみようかなと思っています。

——私は中学高校とスケートボードカルチャーで育ったので、ずっとアメリカ西海岸への憧れがありましたね。結局、生まれた新潟の町から離れずに、こつこつこつこつと雑誌づくりをやっていますが。今日はありがとうございました。

以上です。



まとめとして以下にすこしだけ。

近年、地方都市では生活環境の豊かさなどを宣伝文句にして、U・Iターンを勧める事業を行政機関が行い、テレビ、新聞、雑誌がそれを煽動している。しかし、宮西さんのような道を志すなら、新潟には戻ってきて欲しくはない。ソトに出られる環境があるのなら、地元に戻ってきてぬくい思いはしてもらいたくないと思った。これはインタビュー後に本人にも伝えたことだけど。

眼の奥に覚悟の揺れを感じた。

率直な感想はこうかもしれない。だからこそ最後に一言だけ付け加えたい。

私もときどき東京に出ると、街を闊歩する人たちを眺めているだけで、なぜか田舎者の引け目を感じたり、東京で活躍する人たちに対して無駄な嫉妬を感じたりする。

田舎ではなく、海外に憧れ、刺激を求めメイクアップアーティストという世界でもし本当に生きていくのなら、激烈な思いを持って、競争と努力を重ね、運を磨きつづけなければならないんだと思う。それならば、田舎者の私たちにできるのは、「地元は落ち着くろぉ? 戻ってこいばいいねっかぁ」という言葉がけではなく、退路を絶つような態度なんだろうなと思う。

ぜひ、がんばってもらいたいからこそ。

ここに残したこのやりとりが、都会と田舎の間で揺れ動く、同世代の人たちにわずかなエールとなれば、とも願ってます。

珈琲 六曜館
以下はボーナストラックということで。

この日、訪ねた六曜館は、マスターが27歳の時に開店、現在、37年目だそうだ。天井を2回、床を3回張り替えた以外は、ほぼ当時のまま営業を続ける。店内での撮影許可をとると、柔和な表情で快諾いただいた。

「この町のクラシック」

六曜館は新潟の町にひとつの景色のように染み込み、溶け込んでいるように感じた。去年の9月、成宮アイコさんに会ったシャモニーにも似た印象をもっているが、私の雑誌づくりもそんな風に、新潟の町にあって、クラシックなものを目指せたらなと思った。

それから、なにか女性に会う機会があると、いわゆる「カフェ」ではなく「喫茶店」を待ち合わせ場所にしてしまうのはなぜだろうか、落ち着くなぁ。