2013年10月20日日曜日

坂口安吾生誕祭107「〈無頼〉再考・・・災厄の生の文学」佐々木 中さん講演



坂口安吾生誕祭107の記念講演、第二部「〈無頼〉再考・・・災厄の生の文学」佐々木 中さんを聞いてきました。

現在、『LIFE-mag.』にて「新潟・市民映画館シネ・ウインド特集」を制作していて、その取材の一環でもありました。シネ・ウインド代表の齋藤さんは、昭和60年9月、シネ・ウインド創業準備中にこう言っているのです。

「俺は新潟で安吾をやる」

安吾は作家であり、映画館を作るのとどう関係してくるんだ? この言葉の深意をたどるには、安吾の作品や思想にも触れなければならない。そんな時にあったのが今回の佐々木さんの講演でした。

10月19日(土)14:00〜新潟日報メディアシップにて。

佐々木さんは、安吾の思想の中心にあるのが、ファルス(道化)だと説いていきます。
ファルスとは、人間の非合理性を肯定すること、突き放すこと、笑うこと(笑われること)であると。

佐々木さんは、前半において安吾の小説を多く引用して、安吾がいかに残酷で陰惨で退屈な人生を描いてきたのか例をあげていきました。ある意味淡々としているようにも思えました。

しかし、後半に差し掛かるとその語り口は徐々に何かに憑依されたように熱を帯びていきました。ファルスの条件の最後、笑えるのか? を問い叩きます。

「オイ!安倍、聞けよ」と声を張り上げ、安吾の『もう軍備はいらない』を引用したところは奮えました。誰が戦争を、軍備を必要としているんだよ。
安吾は、兵隊も憲法も、そして自分を含んだ日本をも突き放していくとき、、、笑っている。その時のファルスが、人間の愚かさも矛盾も肯定していくもので、私たちの過去にも未来にも向けられていると。

トーク後の質問に答えて、安吾が日本の話芸、落語、浄瑠璃、講談に影響されているのではないかという話がでました。その影響を受けた安吾は、立川談志師匠にも影響を与えたのではないかと。「落語とは業の肯定だ」との言葉には、もしかしたら安吾の影響もあったのかもしれないと。

大変刺激的な講演でした。正直、私の理解度ではとても咀嚼しきれませんが、それよりももっとこちらの精神というか魂に訴えかけてくるものを感じました。

あらためて佐々木さんの著作にあたり安吾への理解を深めつつ、シネ・ウインド齋藤さんの取材にあたれたらと思います。

『切りとれ、あの祈る手を』にサインをいただきました

photologの写真もきれいです

安吾の会事務局に残された色紙