2014年2月20日木曜日

岩室温泉、石瀬歩き

新潟市の一番西の端、弥彦村との境目に「石瀬」という地域があります。先日、岩室の同級生ツグヨシくんに会った折、「雰囲気がすごくいいからちょっと行ってみない?」という話になり、ぐるっと回ってきました。

写真を少し撮ったのでアップします。また、帰ってきてから地名辞典を引いてその土地について調べました。

石瀬:多宝山の東麓にあり、東を矢川が北へ流れる。北は橋本村、南東は久保田村。北国街道浜通が南北に通り、西へ間瀬街道が分れる。文永五年(1268年)11月の色部行忍(公長)願文写(「古案記録草案」所収文書)に「石瀬之霊場」とみえるのはこの地か。─日本歴史地名大系(平凡社)を参照しました─

種月寺
座禅の会を月に一度やっているそうです。その日でなくとも、住職に声をかければ、本堂で静かに座禅をくんでいってもいいとのこと。

種月寺:福地山と号し曹洞宗、本尊は釈迦牟尼仏。文安三年(1446年)守護上杉房朝の請いにより、耕雲寺(現村上市)の南英謙宗が福地とよばれる現在地に開いたといわれる(「耕雲種月開基年譜私録」当寺蔵)。南英謙宗墨跡・書籍二二点は県指定文化財。─日本歴史地名大系(平凡社)を参照しました─

代官所跡
宝永二年(1705年)に幕府の代官所が設置された。初代の石瀬代官は平岡重左衛門 。

代官所跡の脇を流れる小さな川がきれいだった。
石瀬神社
狛犬
社殿
社殿の裏には大きな「石」がありました。地名が「石瀬」というだけに、関係があるのか気になります。ここで急にデジカメのエラーが続き、しばらく撮影ができなくなりました(霊感とかはないのですが、なんか気になる)

(新潟県三条市の)本成寺開山の日印は文永八年(1271年)頃天台宗石瀬青竜寺に入り、智観法橋の弟子となったという(本成寺文書/越佐史料)─角川日本地名大辞典(角川書店)を参照しました─

『LIFE-mag.vol.006【燕三条編】』で取材させていただいた本成寺さんと意外なつがりがあって驚きました。代官所が置かれた政治経済の要所という意味だけでなく、石瀬之霊場とよばれただけあり、精神的にも他の土地と結ばれているようです。

石瀬神社の近くにはきれいな湧き水もありました。あたり一体、風と水の音しかなく、心静まるような場でした。