2015年12月18日金曜日

ふたたび間瀬銅山へ、燕市産業史料館の齋藤さんと

沢を歩いて散策中

しばらくあたたかい日が続いた新潟でしたが、一転、冬の寒さがやってきました。昨日(12/17)は、間瀬銅山にいってきました。

間瀬銅山で採掘された銅は、燕の鎚起銅器の原材料としても使われていた歴史があり、その関係について詳しく伺いたく一昨日(12/16)燕市産業史料館の学芸員・齋藤優介さんを訪ねました。齋藤さんもちょうど原稿執筆中で、資料をみせてもらいながら、話を伺いました。

4月の玉川堂さんの社員研修にも一緒に参加していたのですが、再度、入口付近だけでも同行してもらえないかとお願いしたら、快くオーケー。早速、行くことに。

ただ、天気は雪。日本海から吹き付ける冷気と、鉱山跡に漂う霊気のなか、1時間半ちかく散策しました。「せっかくの休日にこんなところに連れ出してすみませんね〜m(_ _ )m」と恐縮しながら言うと、齋藤さんは「いやいや、俺はぜんぜん大丈夫。いや〜、それにしてもいい雰囲気だね〜ヽ( ´¬`)ノ」と。さすが、です。

鉱石から銅を取り出したあとのクズが投げられてできた「ボタ山」にいくと、すぐにその銅山産業の遺物が転がっているんですね。ひとりで来たら、何気なしに歩いて帰っていたでしょう。

銅を取り出した後の鉱石があちこちに転がっています
銅につく錆の「緑青(ろくしょう)」がふいています

間瀬銅山を歩いた後は、近くの旅館を訪ねたり、間瀬の自治会長さん宅を訪ねたりもしました。間瀬銅山に関しては資料がすくないなぁと思っていましたが、地元の方に聞くと、生きた歴史がみえてきました。案内、お付き合いいただいた齋藤さんには感謝です。ありがとうございました。