明けましておめでとうございます。
昨年も多くの出会いに恵まれ、支えられ
LIFE-magの制作・発行を行うことができました。
ひとりひとりとの出会い、
ひとつひとつの言葉、
すべてが宝です。
<「新潟」という土地にこれだけ多様な生き様がある、それらをひとつの媒体にパッケージしたい>、
創刊当初からの主旨ではあったものの、
取材の過程でこんなにも多様な生き様があるのか!?
と、改めて思いました。
・
・
・
生き様に教科書はない。
最後の瞬間は自分で決める、取材相手からそう感じてきました。
・
・
・
LIFE-magとして形となったものは
各地へ飛び立ち、そして、それぞれの読者の
心に届いたと思います。
昨年も書店での販売はもちろん、
主旨を直接説明して、買っていただく、
「行商」という方法で様々な場面にて販売させて頂きました。
読者からの言葉に、編集者自身、多くの気づきを得ることが出来、
感謝しています。
また、記事にはなっていないところでも
刺激的な出会いが多くありました。
・
「この人のこの言葉、形にしたい、残したい、伝えたい」
・
お互いの思うことを率直にぶつけ合い、
語り合った時間。
・
初対面だったお互いが、気づくとこんなにも遠くまで、深くまで来たのかと。
あらためて、2009年の出会いと支えに感謝です。
ありがとうございました。
そして、今年もよろしくお願いいたします。
LIFE-mag vol.004(44-45p)でお世話になった
関根喜八郎さんの今年の年賀状が届きました。
これからもこの年賀はこの土地に生きる人々の、
息づかいを伝え続けていくことでしょう。
ありがとうございました。
年末に残念な知らせがひとつ。
LIFE-mag取扱店舗のひとつである「北光社」が
2010年1月末日をもって閉店するとのこと。
新聞やインターネット、多くの酒場や町内で
話題になったと思う。
新潟市に住んでいる人にとっては、あまりに象徴的な書店。
新聞の報道を読み、直接電話を頂き、しばらくは言葉にならない気持ちでした。
年末年始、移動中の車で
・
・
・
「 北 国 に 文 化 の 光 を 灯 す 」
・
・
・
社名の由来となったこの言葉を何度もつぶやき、確認した。
1820年(江戸時代)、旧水原町にて創業。
北光社は文化の光を灯し続けた。
初めて北光社にLIFE-mag取扱の営業に行った日のことが甦る。
その後も納品・精算の度にかけてもらった言葉を思い出す。
「北光社でLIFE-magを見て~」という連絡も多く頂いた。
佐藤店長は空艸書店という架空の本屋さんを空艸舎というイベントで開いた。
その時のエピソードをひとつ。
初日が終わって言っていたことを私はこう記憶する。
・
・
・
「僕たちに必要な本って、けっこう昔にだいたい出ているんだよね。それでも新刊本はどんどん出版されます。だから、限られたスペースの中でいい本が忘れられないように、お客さまに気づいてもらえるように、いかにレイアウトするかを書店員として大切にしているんです。でも、今回は<仕事>というテーマの下、自分の好きなようにレイアウト出来た。準備は凄く大変だったけれど、蓋を開けてみたら…(正確な金額はわかりませんが、かなり売れたらしい)。普段から僕がやっていることは間違っていなかったんだって、今日は嬉しかったです」。
・
・
・
インターネットの普及で「書店員」を必要としない、読者と本の関係が出来た。
読者は常に欲しい本だけ、気になる作家だけにアクセスする。
それはある意味、「便利」だと思う。
しかし、それでいいのか!?
という疑問がある。
その解答は1973年に出版されたある本のあとがきにヒントがあった。
「価値の多元化相対化と同時進行する情報洪水のまっただ中で、ぼくたちは今その自己形成の前提となる情報の選択の段階ですでに混乱してしまおうとしている。ここで唯一の有効な方法とは、結局のところ最も素朴な、信頼できる「人間」を選ぶということ、ほんとうに信じられる知性を見つけ、そしてその「英知」と「方法」を学びとるということ、なのではあるまいか」(林達夫著『共産主義的人間』のあとがきにて庄司薫氏がこう書いている)
北光社の本棚はコミック以外はすべて佐藤店長が担当だ。
女性誌も文庫も郷土本も…。
伝票を手書きしていた頃から、否応なしに覚えた商品知識とセンス。
そう思い、改めて北光社の本棚を見る。
(本棚を読ませることもある、あの本棚を…)
書籍業界も売上が落ち込んでいるそうだが、
書籍の出版点数は増えているらしい。
引用した文書は1973年のもの。
すでに現在は2010年。
比較できないほどの情報洪水にいる私たち。
そんな状況下、新潟の街は今、<信頼できる「人間」>を失おうとしている。
最後に、私が最近考えていることをひとつ。
北光社閉店の以前から、新潟市では古町地区の再生が叫ばれている。
ラフォーレ原宿・新潟も全盛期の半分以下の売上に落ち込んでいる。
そんな中、古町地区の再生へ向けて、新潟市により「まちなか再生本部」というものが設置された。
経済界の有名な方々や行政マン、なにより古町地区の方々、そして市民が古町地区の再生に向けて話し合う場が設けられた。
過去にも古町商店街や西堀ローサには数億円の単位で税金が古町地区再生のために使われてきた。
そして、今回も使われることと思う。
しかし、「なぜ税金を使って古町地区を再生しなければいけないのですか?」
と、会議のメンバーの皆様に聞いてみたらどんな答えが返ってくるだろう?
私は今一度、聞きたいと思う。
また、「これで古町地区が再生しました!!」
とはどの段階なのだろうか?その定義とは?
(街は生きているから定義は変動していくモノなんだろうけれど)
税金の使い道を考えるとき、もちろん優先順位が生じる。
それが政治でもある訳だし。
それでも考えてしまう。数億円の単位のお金が動くとき。
豊栄商店街は?亀田商店街は?沼垂商店街は?
山ノ下商店街は?内野商店街は?大野町商店街は?
巻町商店街は?酒屋商店街は?新津商店街は?
昨年も多くの出会いに恵まれ、支えられ
LIFE-magの制作・発行を行うことができました。
ひとりひとりとの出会い、
ひとつひとつの言葉、
すべてが宝です。
<「新潟」という土地にこれだけ多様な生き様がある、それらをひとつの媒体にパッケージしたい>、
創刊当初からの主旨ではあったものの、
取材の過程でこんなにも多様な生き様があるのか!?
と、改めて思いました。
・
・
・
生き様に教科書はない。
最後の瞬間は自分で決める、取材相手からそう感じてきました。
・
・
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LIFE-magとして形となったものは
各地へ飛び立ち、そして、それぞれの読者の
心に届いたと思います。
昨年も書店での販売はもちろん、
主旨を直接説明して、買っていただく、
「行商」という方法で様々な場面にて販売させて頂きました。
読者からの言葉に、編集者自身、多くの気づきを得ることが出来、
感謝しています。
また、記事にはなっていないところでも
刺激的な出会いが多くありました。
・
「この人のこの言葉、形にしたい、残したい、伝えたい」
・
お互いの思うことを率直にぶつけ合い、
語り合った時間。
・
初対面だったお互いが、気づくとこんなにも遠くまで、深くまで来たのかと。
あらためて、2009年の出会いと支えに感謝です。
ありがとうございました。
そして、今年もよろしくお願いいたします。
LIFE-mag vol.004(44-45p)でお世話になった
関根喜八郎さんの今年の年賀状が届きました。
これからもこの年賀はこの土地に生きる人々の、
息づかいを伝え続けていくことでしょう。
ありがとうございました。
年末に残念な知らせがひとつ。
LIFE-mag取扱店舗のひとつである「北光社」が
2010年1月末日をもって閉店するとのこと。
新聞やインターネット、多くの酒場や町内で
話題になったと思う。
新潟市に住んでいる人にとっては、あまりに象徴的な書店。
新聞の報道を読み、直接電話を頂き、しばらくは言葉にならない気持ちでした。
年末年始、移動中の車で
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・
「 北 国 に 文 化 の 光 を 灯 す 」
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社名の由来となったこの言葉を何度もつぶやき、確認した。
1820年(江戸時代)、旧水原町にて創業。
北光社は文化の光を灯し続けた。
初めて北光社にLIFE-mag取扱の営業に行った日のことが甦る。
その後も納品・精算の度にかけてもらった言葉を思い出す。
「北光社でLIFE-magを見て~」という連絡も多く頂いた。
佐藤店長は空艸書店という架空の本屋さんを空艸舎というイベントで開いた。
その時のエピソードをひとつ。
初日が終わって言っていたことを私はこう記憶する。
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「僕たちに必要な本って、けっこう昔にだいたい出ているんだよね。それでも新刊本はどんどん出版されます。だから、限られたスペースの中でいい本が忘れられないように、お客さまに気づいてもらえるように、いかにレイアウトするかを書店員として大切にしているんです。でも、今回は<仕事>というテーマの下、自分の好きなようにレイアウト出来た。準備は凄く大変だったけれど、蓋を開けてみたら…(正確な金額はわかりませんが、かなり売れたらしい)。普段から僕がやっていることは間違っていなかったんだって、今日は嬉しかったです」。
・
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インターネットの普及で「書店員」を必要としない、読者と本の関係が出来た。
読者は常に欲しい本だけ、気になる作家だけにアクセスする。
それはある意味、「便利」だと思う。
しかし、それでいいのか!?
という疑問がある。
その解答は1973年に出版されたある本のあとがきにヒントがあった。
「価値の多元化相対化と同時進行する情報洪水のまっただ中で、ぼくたちは今その自己形成の前提となる情報の選択の段階ですでに混乱してしまおうとしている。ここで唯一の有効な方法とは、結局のところ最も素朴な、信頼できる「人間」を選ぶということ、ほんとうに信じられる知性を見つけ、そしてその「英知」と「方法」を学びとるということ、なのではあるまいか」(林達夫著『共産主義的人間』のあとがきにて庄司薫氏がこう書いている)
北光社の本棚はコミック以外はすべて佐藤店長が担当だ。
女性誌も文庫も郷土本も…。
伝票を手書きしていた頃から、否応なしに覚えた商品知識とセンス。
そう思い、改めて北光社の本棚を見る。
(本棚を読ませることもある、あの本棚を…)
書籍業界も売上が落ち込んでいるそうだが、
書籍の出版点数は増えているらしい。
引用した文書は1973年のもの。
すでに現在は2010年。
比較できないほどの情報洪水にいる私たち。
そんな状況下、新潟の街は今、<信頼できる「人間」>を失おうとしている。
最後に、私が最近考えていることをひとつ。
北光社閉店の以前から、新潟市では古町地区の再生が叫ばれている。
ラフォーレ原宿・新潟も全盛期の半分以下の売上に落ち込んでいる。
そんな中、古町地区の再生へ向けて、新潟市により「まちなか再生本部」というものが設置された。
経済界の有名な方々や行政マン、なにより古町地区の方々、そして市民が古町地区の再生に向けて話し合う場が設けられた。
過去にも古町商店街や西堀ローサには数億円の単位で税金が古町地区再生のために使われてきた。
そして、今回も使われることと思う。
しかし、「なぜ税金を使って古町地区を再生しなければいけないのですか?」
と、会議のメンバーの皆様に聞いてみたらどんな答えが返ってくるだろう?
私は今一度、聞きたいと思う。
また、「これで古町地区が再生しました!!」
とはどの段階なのだろうか?その定義とは?
(街は生きているから定義は変動していくモノなんだろうけれど)
税金の使い道を考えるとき、もちろん優先順位が生じる。
それが政治でもある訳だし。
それでも考えてしまう。数億円の単位のお金が動くとき。
豊栄商店街は?亀田商店街は?沼垂商店街は?
山ノ下商店街は?内野商店街は?大野町商店街は?
巻町商店街は?酒屋商店街は?新津商店街は?