『昭和の記憶 新潟 海の村 山の村』 |
2017年6月11日付け新潟日報朝刊に、斉藤文夫さんの『昭和の記憶 新潟 海の村 山の村』の書評を寄稿しました。県外の方や購読していない方もいるかと思うので、このブログにも載せておきます。
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写真機が〈光〉を写し取る機械であれば、そのシャッターを押し続けた斉藤文夫氏の眼差しは、移り行く時代の〈影〉を見据えていたのではないだろうか。
本書は写真家で郷土史家の斉藤氏の写真集である。60年以上に渡り数十万枚と撮りためてきた中から、昭和40〜50年代を中心に約200枚が掲載されている。
写真集は2部構成となっており、1部は「海の村」と題し旧巻町浦浜・角田浜地区が、2部は「山の村」と題し旧下田村大江・大谷地区の写真が載る。
「海の村」では、真冬や夜明け前の漁、家族が漁を手伝う姿、漁師たちが番屋で昼寝する姿が。「山の村」では、田植え、稲刈り、山菜採り、熊捕り、薪風呂に入浴する姿が載る。さらに祭りや墓参り、生徒一人の冬季分校、浜や川で遊びに興じる子どもたちの傍らでシャッターは押された。
斉藤氏は、自然の豊かさと厳しさに対峙しながら暮らしてきた「海の村」、「山の村」の人びとの姿を「日本人の暮らしの原型」と呼ぶ。かつて日本各地に見られた暮らしである。しかし、撮影からほどなく、浦浜地区の過疎はさらに進み、大江・大谷地区は県営ダムが計画され暮らしそのものが消えた。
その土地の暮らしが消えるとはどういうことか。評者はこう考える。「海の村」、「山の村」に暮らした人びとは土地の自然に相対し、限られた資源をいかに組み合わせて有効なものへと仕立てるのか、脈々と受け継がれてきた暮らしの中には蓄積されたその〈知恵〉があった。撮影された昭和の後半、斉藤氏が予見したのはその〈知恵〉の断絶ではないか。
撮影から40年ほどが経過。斉藤氏の仕事に呼応するかのような出会がこの一冊を生んだ。84歳の斉藤氏と30代の桾沢和典、厚子夫婦との出会いである。桾沢夫婦は「ブリコール」との名義で、地域に受け継がれる生業や手仕事を取材、収集し、ワークショップやトークイベントを通じ、それらをまた次の世代へと伝達、継承する活動を行っている。斉藤氏とは2013年に出会い、親交を深めてきたという。
今回の企画、編集、広報は「ブリコール」が担った。制作費はチラシやインターネットを通じて募り、出版を前に200人以上からの支援が集まった。世代を越えた共感と関心が、海と山の村に育まれた〈知恵〉を後世へと手渡すべくこの一冊を形にしたのだ。
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以上です。
文中にも出てくるブリコールの桾沢さんとは、6月19日のニイガタブックライト主催一箱古本市のトーク「リトルプレス鼎談@北書店」でご一緒します。
今回のトークイベントではこの本の出版経緯や制作エピソードも聞けるといいなと思います(むしろメインの話でも...)。この一冊を生んだのは、斉藤さんのこれまでの実績や人脈もさることながら、ブリコールの企画の打ち出し方、共感の広げ方も大きな力になったと思います。いただいた「リトルプレスについて」というお題への、いま一番ホットな応答になるのではないでしょうか。
「にいがたの一冊」はわたしもよくチェックしているコーナーなので、話をいただいた時は緊張もしました。文末の「のだ」が、なんか偉そーかな、取ろうかなとか、余計なところまで気になるもんですね。
今回の作業の流れはざっとこんな感じでした。
著者、編者の方から、評者を推薦し、仮決めしておく。電話で仮の依頼。新潟日報社のなかで企画が通ると正式に依頼が来る。本文と評者の名前、肩書きを入れて1,000字が目安。著書が手元にあれば2週間、無ければ3週間が原稿の締切だそうです。
2日ほどかけて本をふたたびめくり、自分の中で沸々と湧き上がるもの(=書きたいこと)を観察し、おおよそ入れたいトピックを書き出す。さらに2日ほどかけて本文を書く、そして、削る。1日置いてみて、最後の手直しをする。
といった流れでした。
掲載日のお昼頃に斉藤さんから「おれが寝てるときから電話がなったて。ほかにも友人、知人から電話があった。ありがと」と電話がありました。
いい宣伝になっていればなぁと思います。
原稿の校正は、新潟日報編集局の高内小百合さんにお世話になりました。ありがとうございました。
文中にも出てくるブリコールの桾沢さんとは、6月19日のニイガタブックライト主催一箱古本市のトーク「リトルプレス鼎談@北書店」でご一緒します。
今回のトークイベントではこの本の出版経緯や制作エピソードも聞けるといいなと思います(むしろメインの話でも...)。この一冊を生んだのは、斉藤さんのこれまでの実績や人脈もさることながら、ブリコールの企画の打ち出し方、共感の広げ方も大きな力になったと思います。いただいた「リトルプレスについて」というお題への、いま一番ホットな応答になるのではないでしょうか。
にいがたの一冊 |
「にいがたの一冊」はわたしもよくチェックしているコーナーなので、話をいただいた時は緊張もしました。文末の「のだ」が、なんか偉そーかな、取ろうかなとか、余計なところまで気になるもんですね。
今回の作業の流れはざっとこんな感じでした。
著者、編者の方から、評者を推薦し、仮決めしておく。電話で仮の依頼。新潟日報社のなかで企画が通ると正式に依頼が来る。本文と評者の名前、肩書きを入れて1,000字が目安。著書が手元にあれば2週間、無ければ3週間が原稿の締切だそうです。
2日ほどかけて本をふたたびめくり、自分の中で沸々と湧き上がるもの(=書きたいこと)を観察し、おおよそ入れたいトピックを書き出す。さらに2日ほどかけて本文を書く、そして、削る。1日置いてみて、最後の手直しをする。
といった流れでした。
掲載日のお昼頃に斉藤さんから「おれが寝てるときから電話がなったて。ほかにも友人、知人から電話があった。ありがと」と電話がありました。
いい宣伝になっていればなぁと思います。
原稿の校正は、新潟日報編集局の高内小百合さんにお世話になりました。ありがとうございました。