夜もまた暑い。
どこか気持ちだけでも別世界にもってってくれないかと思い
ある夜、手に取った本がこれ。(知人から借りました)
『名画の館から』大川栄二著
群馬県桐生市にある大川美術館の館長が地元紙「桐生タイムス」に寄稿した文章を本にまとめたものです。
大川氏の解説つきで、美術館を案内されているかのような気分になりました。
そして、大川氏が心の底から芸術を愛していることが伝わる文章がなんとも楽しい。
作家ごとの生い立ちや死に様、大川氏がその作品をどうとらえたかをちょうど良い文量で掲載されて、ページをめくるリズムもまたワクワク感を損なわずにいい。
ベン・シャーンの「ベンチの人」(1930年頃の作品)の項では
こう語りかける。
「この荷物の中に、何が入っているのでしょう。死んだお母さんの形見かな、それとも歯ブラシかな、下着かな。豊かなアメリカの裏側にこういう人達がいることを世に訴えている、心の優しい絵なのです。」
絵を楽しく観るのに大川氏がそっと側で、語りかけてるかのような一文。
藤田嗣治の「若い女」(1913年頃の作品)の項での
解説には
「渡仏直後の高揚した時期の作品であり、青年ピカソと交遊していた時期だけに当時彼が興味を持ったアフリカ彫刻の臭いが強く感じられる佳品です。」
美術史に知識のない私にとっても作家のおかれた状況を垣間見るのにありがたい文章。
須田剋太の「作品」(1960年代の作品)の項では
日本人に欠けている点にまで話は及ぶ、
「この抽象画は切り裂かれんばかりの筆致、たたき付けた絵具で主張する自己の心の動きは、まさに須田だけの世界です。有名よりも無名を、新しさよりも古きに徹することで、本当の新しさは生まれるという信念を持ったすごい画家です。」
「これは画家に限らず、人生何にも通ずる人間の極意であり、いま日本人に一番欠けている点といわれています。これからの国際化の時代には、古いものを愛せない人間は駄目です。絵を好きになる人には、こういう人はほとんどいないのです。」
大川氏は三井物産やダイエーでキャリアを重ねてきました。その経歴から、世界から日本を見てこの文章が出たのかなと想像しました。
中川紀元の「婦人像」(1920年頃の作品)の項では
マティスに影響を受けすぎた中川紀元を
「この絵はマティスに直接教えを受けた時期のもので、平面的な構成のもと、大胆に、そして装飾的に生きた線を重ねた絶品ですが、どうしてもマティスが浮かんでくるのが残念です。」
「しかし、小生にはかつて会社から疲れて帰った応接間で温かく迎えてくれる、西洋の肝っ玉かあさんでありました。」
と、あくまで自分の体験に引きつけて語っていく文章もいい。
読後、これらの絵に会いに行きたいなと思いました。
そこで、自分はどう思うのか。
群馬県なら小旅行にちょうどいい距離、一年以内の計画に。
一冊の本が真夏の夜、私を遠くへ連れて行ってくれました。
一気に読み通すと、時刻はとっくに日付をまたいで深夜へ。