ふと、気を抜くと涙が溢れそうになっていた。
東京都内のど真ん中。
28歳のいい大人が一人で、どうした。
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先週末、東京に出たさいに一人の時間が出来たので、以前から気になっていた目黒区駒場にある日本民藝館に行った。
特別展の「芹沢銈介と柳悦孝 ー染と織のしごとー 」が開催されていた。
染色作家・芹沢銈介のその「色」を見ているときだった。
私たちは今現在、生活していて意識的にも無意識のうちにも様々な「色」に囲まれている。
それは自分の部屋の壁紙、お店の玄関マット、デートで彼女が着ている洋服、好きな映画のフライヤー、鼻水をかむときに手を伸ばすティッシュボックス、ガソリンスタンドの大きな看板、いきつけの飲食店の椅子、それはもう無数に存在する「色」、また、「色」。
一人、のんびりと展示を眺め気づいた。草木などの自然素材で染められた着物や屏風、絵巻のその豊かな色は、私の生活空間からは既に失われた色である。しかし、その色はたった100年前、この日本という国の生活空間に溢れていた「色」であることにも。
お店をくぐる暖簾、母が来ていた着物、お歳暮をつつんだ風呂敷、床の間にかけられた掛け軸などにあった、日本の「色」。山や田畑の恵、自然素材で染められたそれらの「色」は生活空間にあって、意識的にも無意識にもたった100年前の私たちの先祖はそれらの「色」と暮らしていた。
今更ながら気づかされた。普段、パソコンに向かってCMYKやらRGBの数字を調整しているようではまったく感じられない感動があった。なぜかはわかならない、展示から私が受け取ったのは「優しさ」であった。その温かな「色」の感触に触れていることが、不意に涙を誘ったのだ。
芹沢銈介がどんな人でどんな思いで作品を残したかという事前の知識はまったくない状態で展示を眺め、「色」そのものに感動したこと。それと、前記のブログ記事・小林章氏のフォントの本から感じたことが似ている気もする。誰がどうして、こうしたといった「内容」よりも、文字の造形そのものに感動すること。このように突如として迫ってくる感動もあるということが少し身体に入ってきている。
ここ新潟では海を焦がす夕焼け、実りの秋に向かって穂を揺らす稲は緑から黄金に、夏の強い日差しを浴びてなお青々とひかる海、三面川をのぼる鮭のはらこの艶!!(あっ、最後に食い意地が...笑)
豊かな「色」はいまも残るはず。完全に絶やすのも僕らの世代。記憶と記録と技を繋ぐのも僕らの世代。その価値に気づけるのか。今一度、この豊かな日本の「色」、そして、世界中の豊かな「色」に意識を傾けたい。
日本民藝館
http://www.mingeikan.or.jp/
静岡市立芹沢銈介美術館
http://www.seribi.jp/index.html
※静岡方面に用事を作って行ってみたいな!!