2014年4月28日月曜日

『角海浜物語』×『阿賀に生きる』いろり座談会@福井旧庄屋佐藤家

左から桾沢さん、大熊さん、旗野さん、小林さん、村井さん、斎藤さん

2014年4月27日(日)14:00〜、『角海浜物語』×『阿賀に生きる』いろり座談会@福井旧庄屋佐藤家が行われ、聞いてきました。

東北電力の原発建設計画のあった角海浜と新潟水俣病の被害にあった阿賀という二つの地域。斎藤文夫さんは『角海浜物語—消えた村の記憶—』、小林茂さん、旗野秀人さん、大熊孝さん、村井勇さんは映画『阿賀に生きる』を、それぞれに地域の人に寄り添い本と映画を残し、私たち後世にその記録と記憶を伝え継いできました。

角海と阿賀の土地の人々にみたのは、海、山、川の自然とともに暮らし、その恩恵を慎ましく享受してきた暮らしぶりでした。高度経済成長期という華やかな時代の影に知足の精神で暮らした人々がいました。

それらを知れば知るほど、失ったものの多くは返ってこないことにも気づかされました。しかし、今回の座談会は、失ったものを取り戻したいということではなく、私たちの手元にはいま何が残されているのか、その想像力を掻き立てることだったように感じました。

大切なものは無くしかけたとき、または無くしてしまってから気づくことが多いです。地域や祭り、家族や友人、馴染みの店、田んぼや畑など・・・、いま目の前の暮らしの中で大切にしたいものを、それぞれがそれぞれのやり方で、守ることが大切なんだと思いました。

座談会場の様子
会場裏の部屋ではお酒を飲み交わす人も
佐藤家の庭より会場を撮影
〈補記〉座談会の中で、大熊さんが「『阿賀に生きる』の製作もシネ・ウインドという運動に大きく支えられたところがあった」との発言をされていました。シネ・ウインドを「映画館」としてでなく、ひとつの「運動体」と解釈していたことに共感しました。

また、大熊さんは東京大学工学部で土木工学を専攻し卒業しています。昭和42年に卒業した大熊さんに求められたのは高度経済成長の日本を支える戦士たれということでした。しかし、そんな時代においても「ダムはいらない」と主張していた大熊さんは学会、業界からもつまはじきにされていたといいます。しょうがないからその頃にやっていたのは、除雪の研究でした。

その大熊さんが、「阿賀に生きる」の製作実行委員会に入ることを渋りながらも承諾。その後、20数年以上も映画に関わり、価値観が変わってきたそうです。というこぼれ話を、大熊さんの奥様から聞いた旗野さんが話されていました。

大熊さんは、1991年に著書において初めて川を定義します。「川は地球における物質循環の担い手である」と。

3時間というまとまった時間をとった座談会でした。私の隣で座談会を聞いていたおばあちゃんは、「若い人がけっこう来てるんだね。嬉しいわ」とひとりごとを言ってから帰られていきました。