2011年4月22日金曜日

「引く」あるいは「少ない」ということについて 001



しばらくは自分の思考を追うように、
おぼろげなブログになることをお許しいただきたい。
これは今年2011年3月の前半にぼんやりと考えていたこと。

小さなニット工場の事務室に無造作に置いてあった、
JAF MATE 2011年3月号の星野富弘氏の言葉にはっとした。
星野氏のことは知っていた。
美術館にも行ったこともあった。
それでも、言葉というものは受け取る側の心の状態で印象は変わる。

「手と足が不自由になって」〜「神様ほんとにありがとう」

星野氏の柔らかな絵と丸みをおびた文字とはうらはらに、
こうも芯のある力強い言葉。
あなたは手足を不自由にして、その後、どんな思いで過ごしたことか。
キリスト教徒である星野氏の使う「神様」とは、イエス・キリストに向けられているとも考えられる。
その思考の果てに、感謝の状態にある星野氏。

「恐れ入りました」私はそんな受け取り方をした。