2012年1月23日月曜日

坐りたくなるとき


2012年1月。


近しい身内の死。
それは寒気が強まったある日の明け方だった。
斎場の控え室に泊まりながら週末を過ごした。

後日、アパートに戻りふとひとりの時間が出来ると、坐りたくなった。
だれかに習ったわけではない。
ただ、目を閉じ、正座し、呼吸を整える。

一度、このモードに入ると「時間」の感覚が日常と離れていくのを感じる。
この一週間はそんな夜を過ごしている。

2年前にいただいた数珠を手に...
















数年前に読んでいた本を取り出してくる。














『息の発見』から
五木寛之氏の言葉の引用
「瞑想というのは、いちばん簡単にいうと、だれでも息をしている。だれでも無意識に呼吸している。それを意識して、さらにそれを意識しないようにする、という作業なんですね、考えてみると」

「いのちの中心の意識を、頭から下、臍下丹田に下ろしていく必要があると思いますね。」



おととし、朝の車のBGMはこの付属CD。















CDだけではなく、対談の内容もとても面白い。
只今、再読中。

私が坐るとき、いまのところこの2冊のエッセンスをいただいている。