『鈴木いづみセカンド・コレクション3』をしばらく前に読みました。若くして自ら命を絶った鈴木いづみのエッセイ集です。擦り切れそうな生き方、その言葉の断片がわたしに突き刺さりました。
とくにと思った言葉をここにメモとして残しておきます。同世代に生まれて本人に会ってみたかったな。
事実よりもうさわの方が真実をついている。同じように、本物よりもニセモノにひかれる。自然より人工がいい。クソマジメより悪ふざけが好き。マガイモノは、パロディーとしての文明批評だ。ある年齢をすぎても化粧しない女は、自信を持ちすぎているようで不愉快だ。どんな手段を使ってでも、美しく見えればいい。(13p,)
すべての他人に憎まれて、きらわれて、そんな中で死んでいきたい。存在するということは、より多くの他人に知ってもらうことだ。他人との関係が生きているしるしみたいなものである。血みどろの憎しみなんていうのも、いいと思うよ。(29p,)
芸術の起源がそうであるように、売春もまた国家的要請から出発したのです。人間の性エネルギーは、当分なくならないだろう。それが消えるときは、人類滅亡の日です。性欲は生存本能や自我拡張の欲求と結びついているから。男の子たちは「疲れたときにやりたくなる」そうだが、それは疲労の極致で生命体が危機にさしかかったときの「生きていたい」欲求なのだそうだ。(53p,)
わたしは、教養のない人間が大きらいだが、それは料理とセックスにあらわれる。このふたつがへたな男や女はダメだと思っている。台所とベッドで才能を発揮するためには、特別本を読む必要なんてない。活字文化の末期は、こうして延々つづくのだ。(83p,)
何時間も飲みつづけ、飲むことがしだいに苦痛になっていきながらも飲みつづけ、明け方、頭の中で花火がうちあがっているような状態から仕事をはじめる。それは奇妙な明るさにみちた絶望感で、自虐性の強さを考えると、それを楽しんでいるのではないかと思われる。(99p,)
理想的な友人関係は、つかずはなれず、だと思っている。あまりに深くはいりこむと、相手の全体が見えない。平衡感覚を失う。やさしくてつめたいのがいちばんで、その反対に神経が粗雑であたたかいというのは耐えられない。(216p,)
女っぽい女の思考における基本的呪文は「こんなにあなたを愛しているのに」。たまったもんじゃないよ。愛された方は。(217p,)
ひとはスケジュールどおりにうごくことが多い。そうしないと食べていけないからだ。そうすれば、生きやすいからだ。だが、精神の内奥からつきあげてくるもののほうが、よりふかく「生存」にかかわってくる。(221p,)