2014年11月9日日曜日

医学町ビルで行われた映画「カンタ!ティモール」上映会に行ってきました



映画「カンタ!ティモール」の上映会に行ってきました。2014年11月8日(土)19:00〜、編集室からもほど近い医学町ビルで行われました。

医学町ビル2F、感想と食事をここで。
上映会は3Fのもう少し小さい部屋でした。

今回の上映会は、主催の亀貝さんが友人・知人らに声をかけて行われた小さな上映会です。会場の医学町ビルはいまは空きビル(2〜3階が)ですが、「越人会」という有志の方々が集まってこれからの活用が模索されている建物です。

2時間の上映会後、参加者で感想を語り合うというものでした。20名ほどの参加者は、半分くらいは面識のある方でしたが、あと半分はどこかで見かけたことがあるけどちゃんと挨拶をしたことがない人、そして初対面の人でした。

映画の内容は、東ティモールの独立紛争を生き抜いた人々を訪ね、その人々の暮らし、思いを記録したものです。東ティモールは16世紀前半にポルトガルに占領されて以来、長く大国の占領下にあった歴史を持ちます。映画では特に1975年、インドネシアによる侵攻からの歴史が紐解かれていました。

親友が殺された人、半年以上毎日レイプを続けられた人、目の前で家族全員を殺された人、まだ小さかった頃姉が目の前でレイプされた人、拷問で4度仮死状態にさせられた人、手足を縛られ崖から落とされまだ息があるのが知られるとナイフで4ヵ所刺されそれでもはみでる腸をおさえて逃げ生き残った人などが登場して、当時の状況を語ります。その時折、拷問や虐殺の実際の写真が挟まれます。

そしてその凄惨な映像と激しいコントラストをもって、東ティモールの子どもたちの笑顔の映像、ギターの音楽にあわせ歌をうたう様子が映し出されます。

東ティモールの独立運動に関わる人がインドネシア軍に捕まると、拷問と虐殺が繰り返されましたが、逆にインドネシア軍兵士が東ティモールで捕まったときその対応はまったく違いました。東ティモールの人たちはインドネシア軍兵士に自分たちが「平和」を望んでいること、争いたくないことを伝え、武器のみ奪いそのまま帰すことを繰り返しました。

ここからは感想です。

映画を観ている最中は、呼吸が浅くなり、何から考えていったらいいのかわからずただただ動揺するだけした。「え、この映画みて、他のお客さんたちの前でなにを話せばいいんだろう…」とも思いました。

映画を観終わって「それではみなさん、簡単に自己紹介と一言ずつ感想をお願いします」と言われ、まず私が口にできたのは、いま自分が手にしている「平和」はどういったものなのか。東ティモールの人たちが口にしていた、望んでいる「平和」とそれは同じかという葛藤でした。

私はその日、朝8時に子どもを保育園に送り、9時前に編集室に出てきて仕事をはじめました。午後からひとつ撮影にでかけ、帰り際にコンビニで菓子パンをふたつ買って簡単な昼食にしました。編集室に戻りデータや資料を整理していると妻から「週末だし簡単に今日は焼き肉しない?」と電話がありました。夕方4時半、一度自宅に戻り、近所のスーパーに買い出しに行き、国産の肉とアメリカ産の肉を買いました。5時半から1時間かけて家族3人で焼き肉をしました。ご飯を3杯食べたので、上映会後に用意されていたワンプレートの食事がお腹に入りませんでした。上映時間に合わせて、自転車で出てきました。出がけに「パパ仕事いってくるね」と子どもに言うと「やだー」と返ってきましたが、そのまま出てきました。私にとってこれも「平和」だし望むことです。

個別、具体的な「平和」を詳らかにすること。しかし、そうしてみて自分の中に湧き上がるのは、消化不良のつかえです。夕食を食べ過ぎたつかえではありませんでした、たしかに。

(映画で描かれていましたが)インドネシア軍が東ティモールの人の死体を運ぶトラックは日本製の日野トラックでした。日本は1976年、国連軍がインドネシアの侵攻に仲介すべきかという決議をアメリカ、オーストラリアとともに反対しました。太平洋戦争時、日本軍は東ティモールを占領していました。

その延長線上に私の「平和」があります。東ティモールの人々がいう「平和」と私が漫然と無自覚に貪る「平和」は同じなのだろうか。いつもそうストイックになる必要はないと思いますが、たまにはそう考えてみました。

東ティモールの人々がこの暮らしこそ「平和」なんだ、それぞれの暮らしをよくしていくことが世界の「平和」につながるんだと言っていました。

もうひとつは、すこし大きな話ですが、国家・軍隊が暴走したときの怖さです。1999年、インドネシアは東ティモールの独立を認めるのかどうか住民投票を行いました。結果、約7割の国民が独立に賛成。独立が認められるかに思われた直後、インドネシアの独立反対派勢力は、東ティモールへのさらなる攻撃をはじめます。長い紛争で疲弊した東ティモールの集落、民家の約9割を焼き払いました。住民投票という手続きを経てもなお国家・軍隊は暴走を続けました。

東ティモール沖には石油や天然ガスがあり、インドネシアとその背後にいるアメリカや日本など大国がその経済利権を狙い、支援に加わっているとも指摘されていました。そして現在も局地的な紛争が続いていると。

上映会後、私はこんな主旨の感想を述べました。
一夜明けてこのブログを書いているいま、目の前の暮らしにすこしフラつきを感じています。いい小説を読んだような、いまこの現実からひと続きの、向こう側にいって戻ってきたような感覚が残っています。

感想は以上です。
あとこの上映会自体について感じたことをすこし。

一言でいえば「映画を観て感想を共有しよう」というイベントです。しかし映画は「愉快痛快、観終わってスッキリ〜!あ〜、ストレス解消」というタイプの映画ではありません。(もちろんそういう映画が悪いといいたいのではなく)。

私は自分が感想をいう番で話して、あとは小さなグループに分かれそれぞれに話し合っているときにぽつりぽつりと感想を言ったくらいです。その後、面識のある参加者の方に、好きな音楽家のライブやCDの情報を聞いたり、カメラのスペックを聞いたり、近況を報告しあいました。

一人で観ていたらきっとどんよ〜りしていたと思います。もしかしたらその後もなるべく考えないようにしようとしていたかもしれません。しかし重い内容の映画を観たにも関わらず、わずかな安心感と希望がありました。不思議でした。

ひとつは場づくりの工夫があったんだと思います。

あたたかい飲食とストーブの炎

あたたかいお茶と珈琲、美味しい料理があった。これにはずいぶん救われました。みなで円になる中心にストーブの炎があった。友人・知人だけでなく知らない人もいるというユルすぎず、キツすぎない雰囲気があった。何人かの方がゆるやかに話し合いをリードしてくれた。───そんなことも関わっているのかなと。こんな場をもてるというのも「平和」なのかもしれませんね。