県内各地を歩いて、見聞を広めながらの取材を続けています。ただ実際のところは、いまだについていくのが精一杯で、下駄を履かせてもらい、どうにか名前を連ねているような状況です。読まれた方がなにか面白いと思うようなことがあれば、それはすべて『おとなプラス』編集部のお力添えだと思って間違いありません。
担当した紙面をこのブログで3月に紹介しましたが、それ以降に担当した紙面をまた紹介したいと思います。だいぶ時間がたってしまいましたが、もしも興味のあるテーマがあれば、県内のNIC、または新潟日報社に問い合わせて買うことができると思います。1部60円。また、県内の方であれば、朝刊と夕刊(おとなプラス)のセットで3,980円/月で購読できます。
角田山 |
3月24日は「角田山の成り立ちと自然」。Life-mag.【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】の取材中に角田山の成り立ちは海底火山の噴火によるものだ、ということを知りましたが、詳しいことは取材できませんでした。自身の関心の延長もあり、このテーマを掘り下げてみようと思いました。
地質や地震を研究している新潟大学理学部准教授の久保田善裕さんに成り立ちを伺いました。1面に使った写真は、角田岬灯台付近の岩場です。これは海底火山が噴火した際に流れ出た溶岩で、約800万年前から約1300万年前のものだそうです。人類の誕生が約500万年前なので、角田山の歴史がいかに長いか...。その後、山として隆起してきたのは、約15万年前の地殻変動をともなった地震だそうです。
久保田さんには面識はありませんでしたが、新潟の地質を研究している先生が新潟大学にひとりくらいはいるだろうと思い、新大のウェブから研究者と研究内容をひとりひとり調べていき、久保田さんに辿り着きました。他、角田山を題材に絵本を作った鈴木義則さん、「角田山花の会」の藤田久さん、『弥彦・角田山系の樹木』を編集した長島義介さんに話を伺いました。
塩の道 |
4月19日は「塩の道 糸魚川から小谷へ」。1年前に別件の外注仕事で糸魚川を訪ねる機会があり、なにか糸魚川から題材を見つけてみたいなと思っていました。
「長い歴史のなかで人がどのようにして道を開き、そしてそれが、すべてにわたってじつは海につながる道であったということを反省して、私は深い感銘を覚える」と記した宮本常一の『塩の道』という1冊を手がかりに取材を進めました。
塩の道は、海岸部の糸魚川から山間の信州へと塩や海産物が運ばれた古道です。上越郷土研究会の土田孝雄さん、糸魚川街道塩の道を歩む会の山岸寛幸さん、塩の道資料館のスタッフの方に話を伺いました。糸魚川の縄文遺跡から信州産の石が出土していたり、逆に糸魚川のヒスイで作られた玉類が信州で見つかっていることなど、交易の道として歴史の深さに魅せられました。
土田さんは、2月の秋山郷取材でお世話になった津南町教育委員会の学芸員・佐藤雅一さんに紹介していただきました。ありがとうございました。また土田さんは2月26日付新潟日報にて岡本雅享著『出雲を原郷とする人たち』(藤原書店)の評者として名前を拝見していたので、なおお会いしてみたかった方でした。
雲母温泉 |
5月29日は関川村の「雲母温泉と雲母神社」。Life-mag.【秋田・山形・新潟・富山・石川=日本海 編 〜日本海を結んで考える、地域の未来とは〜】の取材時、新潟から山形に入るのに国道113線、関川村雲母を通っていました。その度に「雲母(きら)?」「ん〜、怪しい」「なんだこの地名は」とずっと思っていました。その語源や集落の歴史など、いつか探ってみたいと。
そして昨年から継続中のLife-mag.【粟島編】の取材で粟島に通っていると、粟島の教育委員会の方が前、関川村にいたとのことで、関川村の副村長佐藤忠良さんを紹介していただきました。あと、粟島の地名にもアイヌ語と思われるものが残っていることから、もしかすると「雲母」も!? と思いましたが、粟島の地名を含め留意が必要そうです。
関川村雲母は、電化製品の絶縁体などに使われる鉱物の雲母の産出にちなむとする説と、傾斜地の「ひら(坂)」、谷あいを表す「き(割)」が変化したものなど諸説あるようです。荒川の氾濫に翻弄されてきた雲母温泉の歴史、男根像を祀り珍スポットとしても知られる雲母神社の沿革なども取材しました。
1面の写真は温泉橋から荒川とその奥に朳差岳を撮ったものです。雲母の地をよく現しているポイントかなと思い、あたりを歩き回って撮影しました。後日、取材でお世話になった旅館寿荘の伊藤泰雄さんから「雪渓がよく出てる。宿に飾りたいから写真送って」と電話をもらったのも嬉しかったです。
尾瀬 |
8月2日は「奥只見から行く尾瀬」。これは新潟県の広域地図を眺めながら、山や川、地名や地形などからその土地土地に妄想旅行をしながらテーマを見つけました。
魚沼市観光協会が主催している「ネイチャーガイドと行く尾瀬」という日帰りツアーに参加し、奥只見湖の歴史や尾瀬沼の自然などを取材しました。集合時間が早いこともあり、前日入りして民宿「伝之助小屋」に宿泊。実はこの宿はかつては奥只見湖の湖底に沈んだ沢沿いにあったそうで、写真を見せてもらいながら昔の話を聞くことができました。地図を見ながらなんとなく予約した宿でしたが、運がよかった(ほっ...)。ここは釣り客や登山客の拠点となっている民宿のようで、深田久弥や開高健も来たことがあるそうです。
行ってみて知りましたが、尾瀬沼を水源とする只見川は、新潟と福島の県境を北へと流れ、福島県喜多方市で阿賀川に合流する阿賀野川水系になるんですね。高層湿原の尾瀬と阿賀野川、そして日本海がつながっていると思うとなお興味深く、さらにそこから立ち上がってくるテーマを見つけてみたいなと思いました。
おててこ舞 |
9月11日は「おててこ舞、根知山寺の延年」。4月に糸魚川に行った際に前出の土田さんが「おててこ舞もすごいぞ〜」と言っていた、その言葉の〈響き〉が妙に頭に残ってたので。きっと面白いという勘が働いて。
糸魚川市根知の山寺集落に伝わる根知山寺の延年、通称おててこ舞を取材しました。400〜500年前に京都から伝わったとされる伝統行事で、国の重要無形文化財に指定されています。祭りの舞台となる日吉神社の宮司も真言宗・金蔵院の住職も参加し、神仏習合のかたちをいまに伝える祭りでもあります。
現地にとくに知り合いはいなかったので、事前に電話で取材を申し込み、当日行ってから挨拶をして、取材させていただきました。2日間に渡って行われた祭りに密着しました。いつか雨飾山に登って、根知男山を呑み、麓の温泉につかってみたいです。
八海山 |
ふぅ...、やっと今月分に追いつきましたね。
10月18日は「八海山の山岳信仰」。このテーマも新潟県の地図を眺めながら、山や川、地名や地形を読みながら妄想旅行をして、ビビッときた八海山にしました。八海山と言えば...、「日本酒!」「スキー!」とくる方がほとんどだと思いますが、ここは山岳信仰の霊場でもあります。
八海山尊神社の宮司・山田泰利さん、八海山で30年以上に渡って修行を積む先達の金内文男さん、八海山を山岳信仰の霊場として中興開祖した普寛と泰賢が出会い修行をしたお寺の満願寺住職の栗田満栄さん、大崎口登山道入口にある宮野屋の米山茂春さんなどに話を伺いました。
取材では、麓から中腹まで、ロープウェイを使って山頂までと2回八海山に登りました。1回目、八海山尊神社での取材を終えて、午後からすこし登ってみようと思いました。その前に腹ごしらえ、とたまたま寄ったお店が宮野屋です。漫画『岳』を読みながら蕎麦を待ち、ふと顔をあげ店内の壁を見ると古い写真がありました。「う〜む...、これは怪しい」と思うも、どうやら人気店のようでお客が次から次へとやってきて、店員さんに話しかけられる状況ではないと、あきらめ登山へ。4時間後、下山してくると客足も引いていて、話を聞かせてもらいました。わたしはめちゃくちゃ汗だくだったので臭かっただろうな。
以上です。
未使用カットもたくさんありますが、今回はこのへんで。関わらせてもらって1年。これまでを振り返ると以下のようなテーマで寄稿してきました。
「粟島の島祭り」(2016年11月7日)
「国上山と良寛」(11月30日)
「山北の食文化」(12月21日)
「高柳町門出の鳥追い」(2017年1月18日)
「秋山郷と鈴木牧之」(2月16日)
「角田山の成り立ちと自然」(3月24日)
「塩の道 糸魚川から小谷へ」(4月19日)
「雲母温泉と雲母神社」(5月29日)
「奥只見から行く尾瀬」(8月2日)
「おててこ舞、根知山寺の延年」(9月11日)
「八海山の山岳信仰」(10月18日)
Life-mag.でもそうですが、ひとつ取材を進めるとそれがまた次の関心を呼び寄せ、取材でいただいた出会いやご縁がまた次の一歩を指し示してくれます。たとえ口座残高が尽きようとも、好奇心だけは尽きることがありません。・・・、でもやっぱり残高が気になるな〜。ふひぃ。
デスクの方や新潟日報の記者、他のライターの方々には学ぶべきことが多く、ついていくのが精一杯ですが、どうにかこうにかついていきたいところです。取材でお世話になった方々、あらためてありがとうございました。どこかでお会いしましたらどうぞよろしくお願いいたします。