2017年10月29日日曜日

高田の四季、ライター業界の先輩と

10月上旬、新潟日報「おとなプラス」に外部ライターとして参加している業界の先輩方にお声がけいただき、親睦会に参加してきました。外部ライター、といっても長岡、柏崎、佐渡、東京など県内外から参加しているため今回はおもに越後線沿線の在住者で集まりました。わたしは岩室駅から電車で先輩ライターさん宅へ。

料理がどれも美味しい...

チーズやピクルスも

先輩ライターさんが料理を振る舞ってくれました。ほんとどれも美味しかった。飲み物は各自持ってきてね、ということだったので、わたしが持参したのはこちら。

杜氏潤平

宮崎県日南市の小玉醸造の芋焼酎「杜氏潤平」。いつもLife-mag.の取り扱いでお世話になっている西蒲区鷲ノ木の長谷川屋で購入。あと他の方にもなにか手土産になるものをと思い、同じくLife-mag.の取り扱いでお世話になっている岩室温泉の角屋にて金鍔(きんつば)を購入。美味しい料理と酒をいただきながら、先輩方の話に耳を傾けひと時を過ごしました。

さてさて、ひとつ紹介。

この映像は先輩ライターの古俣慎吾さんによる高田地域で歌い継がれている愛唱歌「高田の四季」です。



古俣さんは、東京で長く大手出版社の仕事をしていた(る)方です。いまは内野と東京を行き来しながらライターの仕事をしています。「おとなプラス」では県内各地の「歌」をひとつのテーマにしていて、2017年9月30日付では「高田の四季」をテーマに寄稿されていました。

高田の四季

「高田の四季」は1945年秋に旧制高田中学校(現高田高校)で誕生。高田高校の生徒が卒業後に、高田の仲町など夜の街で歌ったことから、広く市民の間でも歌われるようになっていったそうです。

古俣さんはすこし前に「四季の新潟」という歌も記事にしていて、そちらは新潟市の古町で芸妓らが歌っていたのを、旧制新潟高校の六花寮の寮生が、町で遊んで覚えて帰り学生たちも歌うようになったそう。

高田と新潟で歌の広がり方が反対であることから、その背景を調べに取材へ。

まちづくり団体の代表者やその同級生、レコード店の元店主やアレンジをしたギタリスト、ヱスビーガーリック食品の元社長、現在の高校を訪ね副校長や教員にも取材。タクシーに乗れば運転手からもコメントをもらっています。

「高田の四季」は当時の旧制高田中の教頭が地理・歴史の教員だった町田太郎さんに頼んで作詞・作曲されたそうです。敗戦で落ち込んでいる生徒を元気づけるように、高田の四季や情景が歌い込まれました。

先の映像で古俣さんが歌っているのは1番です。

高田の春は爛漫と
古城を包む春がすみ
ああ この地 我等が故郷
頸城平の緑を越えて
虹がかかるよ 妙高山に

紙面では、古俣さんは歌詞に出てくる場所にも取材に行っています。さすが、とことん歩いて取材してるなぁと...。取材エピソードなどを聞かせてもらいました。

越後線終電

さて、帰りはまた越後線で帰路へ。終電ぎりぎりだったので、後片付けも手伝わずに帰ってきてしまった。