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病院の待合室 右隣の人も 左隣の人も 黙ってすわっている けれど どこか病んでいる 隣を通り過ぎる人も 前を行き交う人達も ふつうの顔をして いるけれど 皆みんな どこか病んでいる
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2018年9月1日から9日まで新潟市西蒲区岩室温泉地域にて、「にしかん障がい者アート展 あなぐま芸術祭」が開催される。旅館・ホテル、飲食店など14カ所に約100点ほどの作品展示が予定されている。
上の詩は、この芸術祭に出展する高橋義孝さんの作品の一節だ。
Life-mag.もこの芸術祭の実行委員会の末席に入れていただいた。ただ、これまで実行員会主要メンバーらで準備が進められて来たが、わたしはほとんどなにもやっておらず、名ばかり実行委員となっていた。
微力でもいい。
なにか力になれることはないかと考え、出展作家を訪ねてブログ記事にして、SNSで発信する広報を手伝わせてもらいたいと提案。先日その取材に行って来たので紹介したい。
あなぐま芸術祭会期まで、何回かにわけて紹介する予定である。
高橋義孝さん |
高橋さんは現在59歳。生まれつき脳性まひという障害がある。
20年ほど前からは歩行が難しくなり車椅子での生活となった。そして、15年前から障害者支援施設「かたくりの里」(西蒲区橋本)に入所し、スタッフらの支援を受けながらここで生活している。
高橋さんは詩のほかにも小説や川柳、短歌なども書く。「物を書き始めたのは高校生の頃。自分のなかになにか誇れるものが欲しかったから」と高橋さん。
高校生の頃にすこし書き始めたものの、卒業後はしばらく書かない時期が続いたという。ふたたびペンを握るようになったのは、かたくりの里に入所してから。
「施設に入るよりも、自宅で暮らした方がいいんだ、という障害者や家族の方もいますが、私はそんなことはないと思います。ここではスタッフをはじめいろんな人の出入りがあるでしょう。そういう人たちから作品を読んで、共感してもらうことがわたしの励みになっているんです」と高橋さんは語る。
スタッフもそんな高橋さんの背中を押す。
生活支援員の相浦由佳さんは全国各地の文学コンクールの要項を見つけてきては、高橋さんに出展を促す。
相浦さんについて高橋さんは、「いついつまでに新しい作品書いてくださいねって、けっこう厳しいんですよ」とはにかんだ表情で語る。テーマを一緒に考えたり、出展作品を選んだり、そして執筆を促したりとまるで専属編集者のよう。
「自分がこれまで経験したこと、見て、聞いたこと、自分のフィルターを通して、言葉になる、その時を待って書いてます。作品のアイデアは夕方浮かぶことが多く、それを夕食後から深夜にかけて書くんです。やっぱり作品を書くときは一人になれる時間がいいですね。ちなみに昨日書いていたのが、この詩。まだ下書きなんだけどさぁ」。
そういって渡してくれたのが冒頭の詩である。
『待合室』2018年7月30日 |
以下に全文を紹介したい。
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病院の待合室 右隣の人も 左隣の人も 黙ってすわっている けれど どこか病んでいる 隣を通り過ぎる人も 前を行き交う人達も ふつうの顔をして いるけれど 皆みんな どこか病んでいる
産まれてから 今日まで なおして なおして なおして ずっと使ってきている躰 なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰 洋服ならば 着替えられるけれど 躰は着替えられない なおして なおして なおして 洋服ならば 飽きたら捨てられるけれど 躰は捨てられない なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰
カッコよくても悪くても かわいくても かわいくなくても 美人(きれい)でも 美人でなくても 太っていても やせていても その躰が好きでも 嫌いでも 洋服のように 選んだわけではない
たとえ 気に入らなくても みんな良いところを探して 何とか努力して 与えられた躰と 付き合っている
なおして なおして なおして つぎはぎだらけの躰がついには ほころび出しても 人は他人(ひと)を羨むことなく 最後まで 自分の躰と付き合っている
病院の待合室 みんなの 笑顔が戻る日を待っている
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障害の影響もあり指は震える。左手で椅子にしがみつき、右足で机の脚にしがみつく。全身を使って指先をコントロールしながら書く。
「書くことは私の仕事だと思っています」
9月、高橋さんの作品は岩室温泉で開催されるあなぐま芸術祭に展示される。高橋さんには『思いつきカルタ』というユーモアに溢れた作品もある。生きることの本質を突くような作品もあるなか、絶妙な力の抜け感に読みながら思わず笑った。
推敲中の原稿 |
芸術祭の展示ではどんな作品が見られるのか。厳しくも温かい編集者(かたくりの里スタッフ)とともにきっとまた新しい作品を見せてくれるのだろう。