新潟の算数ものがたり |
1章 |
1冊は『新潟の算数ものがたり』。
新潟の地理、歴史、祭り、風習、建築などを題材に「算数」の問いを導き解説していく本である。2冊目の本もそうだが、おそらく授業の中心で使う「教科書」とはべつの「副教材」として作られたのだろう。
中越地域に多くみられる六日町や十日町など数のついた地名の由来はなにか。燕の鎚起銅器の表面積は。各地点での信濃川の水量は。長岡花火の大きさや音の速度は。阿賀野川の川舟の速度は。屋根の上に積もった雪の重さは。
北方文化博物館内にある三角形の建物「三楽亭」のなかに三角形や長方形、ひし形、台形、平行四辺形を見つけてみよう、といった問いもある。
新潟の歴史・風土に「算数」的視点から様々な問いが投げかけられる。小学校の副教材として作られたようだが、大人が読んでもなるほど〜と思うことが多い。数学の難題を解いた際、その答えを神社や寺院に奉納した「算額」とかいつか取材してみたい。
発行は昭和57年。編集員には県内各地の小学校教員があたったようだ。
おはなし歴史風土記 |
県内の歴史を題材に10話 |
2冊目は『おはなし歴史風土記』。こちらは昭和56年の発行である。これも県内の教員らが編集した本だ。
県内の歴史から「しごと場のあるむら 沖ノ原遺跡」「塩の道」「佐渡の金山」「新潟みなとのうちこわし」「越後ちぢみのふるさと」「あたらしい信濃川」「おらの学校」「生きて越後に帰りたい」「ボトナムの並木道」「阿賀野川の毒水」の10話の物語がおさめられている。明和騒動や木崎村争議、新潟水俣病なども出てくる。
歴史は権力者の側から書かれ、ときに書きかえられる。
とくに学校で使用されるものは文部科学省の認定する教科書でなければならない。もちろんその教科書も大事である。
一方で、教育をうける年齢をとっくに過ぎたわたしがいまごろめくっていて、編集に関わった当時の教員たちの思いをこんな風に受け取った。
「民衆の歴史も伝えたい」
「市井の人びとの声を聞き取る感性を養ってもらいたい」
「自分たちの暮らす地域を掘り下げること、そこにも大きな学びがある」
算数のほうには、Life-mag.vol.010掲載の岸本洋子さんの旦那さんである賢一さんの名前もあった。風土記のほうにはLife-mag.vol.009〜010の取材の下調べでお世話になった亀井功さんの名前もあった。お二人とも当時、30〜40代でいまのわたしとそう変わらない年齢だ。
前記の「円盤」田口さんと同じく、この2冊からも出版にかける情熱がびしばし伝わってきて、
「ここまでやるのか...、悔しい」
と思わされた。
この2冊は長岡の路上で出会った。
長岡にて |
6月の上旬、普段滅多にいくことのない異業種の方々との飲み会に出るために長岡に向かった。在来線で東三条を経由して長岡へ。駅前の通りを歩いていると路上に突如、本棚があったので足を止めた。
本棚の隣には張り紙が貼ってあって、
「Let's しぇあぼン★」
と書かれていた。
パンチの効いたネーミングである。
張り紙にはこうも書いてあった。
「本を持ち寄ってください」「本は自由に持ち帰ってください」「ここの椅子で本を読んで行ってください」
ここで上の2冊を見つけた。欲しいなぁと思ったものの、ほんとに持って行っていいの? え? どういうこと? となかなか状況がつかめず15分ほど立ち読みした。ほかに立ち止まる人もいないし、長岡市役所のなにかの課が入った分館のようだが担当者もぱっと見いない。
張り紙を5回は読んだが、「本は自由に持ち帰ってください」との文字は変わらない。「ちゃ、ちゃんと読みますんで、も、もらいま〜す、ありがとうございま〜す」と心の中でとなえて持ち帰ってきた。
いまの小中学校などではこういう新潟発の副教材はあるのだろうか。そっち方面に詳しくないのでわからない。あるとしたら「キャリア教育」という将来設計や職業選択を考えさせるための副教材だろうか。
いまは10年後、20年後の社会がどうなっているのか予想できない時代である。だから将来どうなりたいか、どうなるべきか考えさせるのかもしれない。(わたしの学生時代はその時々で興味のあることに熱中していただけなので、将来のためにどうこうなど一切考えなかったなぁ...)
逆に上記2冊が出版された30数年前は、高度成長期をへて日本列島の暮らしや教育も画一化・均質化が進んだ時代である。働き方もまだ終身雇用の時代だ。そんな中で、自分たちの暮らす地域(新潟)はどんな場所なのか、地域の成り立ちを考えさせる教材が必要とされたのだろうか。
時代の要請もある。30数年前とくらべて、どちらがいいとか、わるいとかはない。ただ、上記2冊には、知ること、問うこと、学ぶことへの素朴で根元的な喜びがあるようにも感じられた。