2014年1月7日火曜日

職人的に生きるということ



「職人的に生きるということ」

ぼたぼたと雪が降っていた12月のある日、『LIFE-mag.【燕三条編】』でお世話になった外山健さんを訪ねました。

生涯をかけて鍛冶職人として生きたその姿が、その日もそこにありました。すきま風の通る、薄暗いその鍛冶場は、いまでは全国的に見ても数少なくなっています。

素材の仕込みから、形をつくっていく作業、商品としての仕上げまで、一貫して一人の身体から生まれてきます。小さな小さな仕事の限りない積み重ね、終わることのない研鑽の日々。それはまるで修行僧のようにも思えてきます。

職人の手から生み出される商品は、簡単にレバレッジが効いて儲かるような話ではありません。自分の手と足と目と頭と皮膚の感覚、研ぎ澄まされた勘と経験のもとでひとつひとつの商品(「作品」のようにも思う)が生まれていきます。こだわり抜くという圧倒的な非効率のもとでしか仕事をしないというその姿勢。

トッ・・・、チッ・・・。
トッ・・・、チッ・・・。 
シーーーー、カシッ。

失われゆく手仕事の中にしか流れないその時間の中に、もっとずっと浸っていたい。そんなことを感じていました。その時に撮影した映像です。

『LIFE-mag.』も自分の足で歩き、見て、聞いたことを丁寧に記録し、伝えていきたいと、その姿勢を正されるような思いがしました。