2016年11月10日木曜日

新潟県立大学国際地域学部で授業

県立大学二号館入口の像

昨日(11/9)は新潟県立大学で授業のひとコマを担当しました。国際地域学部の坂口淳教授が担当する1年生向けの演習「文章作成技法」で、今後、学生がインタビュー取材や冊子作成をしていくにあたって、〈『Life-mag.』の創刊経緯〉や〈インタビューの魅力〉を聞いて参考にしたいといった依頼でした。

時々、教育機関から授業の依頼をいただきますが、「うまくしゃべれた感」をもって終えられることはほとんどありません。案の定、今回もそうでした。

しかし、夕方、大学職員のGさんが学生の感想をメールで送ってくれたのを見てみると、案外、こちらが「うまくしゃべれなかったなぁ...」と勝手に心にダメージを負っているほどのことはないようでした。学生はそれぞれに要点をつかんでくれていたようです。

何度やっても慣れないもんですね。ふひぃ〜。

これまでも似たような授業の依頼は何度もありましたが、ほぼ断ることなく、引き受けてきました。そして、それら授業では毎回、話す内容は微妙に変えてきました。

それは語り手のわたしが、いつでもどこでも同じことだけを機械的に話すのでは、相手を見ていない、出会っていないことになると思うからです。相手というのは、企画した先生(教授)、聞き手の学生の両方です。

授業の主旨、学生の関心、先生が『Life-mag.』やわたしのどんなところに共感して依頼したのかは毎回、微妙に異なります。当たり前ですけどね。そして、学生ひとりひとりによって醸される教室の雰囲気も毎回違います。

インタビューという〈場〉も授業という〈場〉も語り手が一方的につくるものではなくて、聞き手(学生)がどんなところに興味があるのかないのか、眠いのか、かったるいのか、どんな目つきや姿勢で聞いているのかによって、その〈場〉が良いものにも悪いものにもなったりします。

坂口先生からの依頼内容にあった〈インタビューの魅力〉への回答でもありますが、授業ひとつとっても、それは人と人との出会いです。どちらかの一方的な思いや目的や才能で成り立っているものではありません。それは主客一体というか、インタラクティブなものです。

また、〈インタビューの魅力〉のひとつとして感じていることに、語り手自身も気づいていなかったこと、アイデア、見方などを、聞き手の問題意識や間合いや相性、たまたまという偶然などで引き出せたときの達成感があります。そういう時はお互いにわずかな爽快感も得られるものです。

それと授業も似ているのではないか? と思っています。

経歴や創刊経緯などこれまでヨソで話してきたこともお伝えしましたが、今回は学生の立場や関心を「国際地域学部」というところから想像して、創刊号の巻頭文に書いた〈境界線〉という言葉についていま一度、説明してみようと思いました。

創刊前夜のわたしは、マーケティングやカテゴライズされた価値観や常識に、ひとつの〈境界線〉を感じ、そこに疑いと息(生き)苦しさを感じていました。これはヨソでも話してきましたが。

今回はもうひとつ付け加えて、国境や行政区画という〈境界線〉を疑ってみる(いた)ということを伝えました。オスマントルコ帝国の分割案を決めたサイクス・ピコ協定、アフリカの植民地支配を決めたベルリン会議など、国境は大国や権力者によって恣意的に引かれたものです。そういった大きな力の前では、その地形や風土が育んできた歴史や文化、そこで暮らしてきた人びとの帰属意識は、一刀両断されてしまいます。

それは「俺は〈日本人〉だ!」と思い込んでいるわたしたちの意識や常識はどのように形成されてきたのか、ということに疑いを持つことでもあります。

なんでも疑ってばかりで性格の悪いヤツのように思われるかもしれませんね...。しかし、授業後に坂口先生が「疑うというのは学問でも大切な姿勢です」と言ってくれました。(ほっ)。

創刊号の話から、いきなり最新号では、話が飛びましたが、そういった問題意識が結実したのが、既存の行政区画をまたいで弥彦山系という補助線を引いて編集した『Life-mag. vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】』だったと説明しました。

授業を受けていた学生がこのブログを読む可能性はかなり低いと思いますが、このタイミングの依頼で、聞き手があなたたちだったから話した(せた)ことだと思っています。授業後、「ほかにバックナンバーも持って来たのでよかったら見てってください」と言いましたが、手に取る学生はひとりもいませんでした(もはや苦行です。でもめげません)。なにか一言でも、心に残る言葉が届いていればいいなぁと思います。

ありがとうございました。