2011年5月6日金曜日

「寺子屋」あるいは「私塾」について002

続いては、後藤康志氏(長岡市立四郎丸小学校)の章の要約メモ。




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一、身分の高い者も低い者も学問はすべきことであって、百姓などに学問はいらないということは心得ちがいである。すべての人がみな学ぶべきである。しかしながら学筋(学説・学派)の悪いものはかえって害になる。程子・朱子・闇斎の学筋を学ぶべきで、その他の学筋はやめること。




これは明和9年(1772年)、新発田藩の藩校「道学堂」を作った8代藩主・溝口直養のお触れ。「道学堂」は庶民に広く開かれた藩校として開校されたのです。


また、藩内の郷村で講釈を行うため、社講制度を作った。
庄屋・名主・百姓など身分に関わらず学力あるものを講師に任命した。


これは前半においては、大人たちに対する教養講座的な意味合いが強かった。
11代藩主・溝口直溥になって再度、手入れされて初等教育も含んだものに強化されていった。




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新発田の土地にこのような教育観があったのか!!と思う。
200年以上も前にここまでの教育制度があり、広く学ぶということを欲していた人の多いこと!!