2011年5月11日水曜日

「寺子屋」あるいは「私塾」について006


引き続き、
株式会社吉川弘文館
昭和57年7月10日発行
『近世史の研究 第二冊 国学と洋学』
伊東多三郎氏著


箇条書きメモ。

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江戸期の国学者として大きな影響を与えた者として平田篤胤(江戸後期の国学者)号を気吹舎をあげている。

(160p.)「地方の庄屋・地主層その他の豪家の郷村生活における勢力は、幕末に近付くにしたがい、武士の支配力の弛緩と反比例して、自主的態勢を示すのであって、之が文化の方面にも現れて、学問の普及が著しかったが、国家意識開明の一般的風潮と共に自らその方向を辿る勢をも現して居る。その場合、国学は古典の学でありながら、彼等の生活意識に近接した要素を持ち運んだのである。それは何か。整然たる理論体系としてでなく、生活意識、又は生活感情として実践的意義を持つ神祇信仰と古典文学である。いわゆる敬神崇祖の風が郷村生活の秩序、例えば臨時恒例の郷村行事に示される協同生活に溶け込んで居る状態の下では、この生活様式を通じて、国学は庶民生活と一見疎遠のごとくして実は親近の関係を持つことができた。そしてこの関係は、直ちに郷土の感情と連なるのである。又我が国の古典、特に歌道を通じて、伝統的文化と結び付き、復古思想の発展の道が開かれるのであった。」

(162p.)篤胤の学統ではない国学者として、西蒲原郡岩室の庄屋の高島正興が上げられている。寛政11年に生まれ、安政3年に歿した人である。歌道、書画、茶湯、生花、兵法、典礼等に通じて、それにもまして、敬神尊皇の志に厚く、四方に周遊し、諸社の由緒を調査して宮柱三巻を著し、皇居の朽廃を嘆いて修築の費を献じ、嘉永2年、大神宮の遷宮式典に参列して神鏡を受けて帰郷し、神明社を建てて奉納した。また、対外関係の紛糾を憂えて外国事情を研究し、異国事略四巻を著述している。それ以外にも、神代直語一巻、蛇足六巻、千広の浜つと三巻、万葉抄三巻、祭祀の古実一巻、伊勢道の記三巻、歌集四巻がある。


(179p.要約)江戸時代は庶民文化が発達した時代である。一般には大都市の消費生活に花咲いた芸能的文化にばかり注意する偏向がある。しかし、庶民文化・地方文化は近代文化の同質性・一元性とは違い、各地方の生活と文化は割拠性・身分制により多元性・異質性を内に含む封建時代であった。


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ふむふむと興味深く読んだ。
キーワードとして、
「神祇信仰と古典文学」、
「岩室の庄屋の高島正興」、
「多元性・異質性を内に含む封建時代」、
についてはもう少し追いかけてみたい。