2013年12月15日日曜日

新潟国際情報大学開学20周年記念シンポジウム「21世紀 東アジア〈共生〉の条件」酒井直樹教授(コーネル大学)講演

ANAクラウンプラザホテルのロビー

新潟国際情報大学の開学20周年記念シンポジウムが2013113日()ANAクラウンプラザホテルにて開催されました。
この日は二日目のシンポジウム。基調講演、シンポジウムⅠ、Ⅱと行われたうち、基調講演のみ聞かせていただきました。
コーネル大学(アメリカ)酒井直樹教授の「21世紀東アジア〈共生〉の条件」という演目でした。

酒井教授

〈以下に、メモを箇条書きに〉

日本は戦後も東アジアにおいて、パックスアメリカーナ(アメリカの支配)のもとで、帝国主義的に振る舞うことを許されてきた。

それを許されたのは、アメリカ陸軍・ライシャワーの「天皇制に関する覚え書き(1942)」にすでにみてとれる。戦後、アメリカの東アジア戦略の要として日本をうまく使うには、天皇制を温存することによって日本国民をコントロールすることの必要性が説かれた。アメリカの怜悧な合理主義。
アメリカは戦争中、すでに日本の占領支配について研究していた。

イラク戦争後にアメリカは、イラク国民の象徴となるようなものを見出せず、占領政策に失敗。国民統合となる象徴がなかった。

戦後、アメリカによって日本は、天皇制が守られた。岸信介、正力松太郎、笹川良一、児玉誉士夫らとCIAとの資金的な繋がりが解き明かされ、政治的にもアメリカの属国(下請け帝国)にあった。

それは現在も続いている。2007年、安倍首相が訪米したさい、ブッシュ大統領に個人的に従軍慰安婦について謝罪したことにも現れている。中国や韓国に対して、あれだけ強行な姿勢をみせている安倍首相。戦後、親米反ソを続けた国粋主義者のこっけいさがみごとに受け継がれている。

日本は、東アジアの国々に対しての植民地帝国主義的な国民意識を変革する必要性がある。

それには恥の体験を乗り越えなければならない。隠したい体験をさらすこと。それによって相互変革が起きる。必要なのは勇気。勇気のないものは人を愛することができない。

江戸時代の儒学者、伊藤仁斎の思想が有効である。

〈以上です〉

LIFE-mag.も10年以内に、【東アジア編】、【シルクロード編】、【朝鮮半島編】などできたらいいなと妄想しています。新潟という土地も大陸と結びつきが強い地域です。いつか、自分の力がそこまで扱えるようになったときのため、想像力だけはその先に投げておくことにします。

『思想』岩波書店

酒井教授は、「死産される日本語・日本人」という論文(『思想』岩波書店1994年11月号)で知っていました。今回、直接ご本人の講演がきけてよかったです。

日本語や日本人の起源を考えるとき、その政治的な恣意性を指摘した論文。日本全国にある方言、アイヌや蝦夷、琉球など、日本の雑種性、雑多性を統合・排他していく過程の、ある政治的な地点において、日本語・日本人が発明されるという。その意味で、言葉が定義された時点で、すでに「死産」している。(た、たぶんこんな意味かな、汗)

明治以前に、「おれは日本人だ!」と思っている人がどれだけいただろうかと考えるとわかりやすいかもしれません。「おれは江戸っ子だい」、「越後の人間だ」といった意識が強かったのではないでしょうか。
ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」の議論と似ているとも思います。国民国家という共同体もまた政治的に想像されたものだとする議論。

わたし自身もあたり前のように「おれは日本人だ」と思いこんでいますが、歴史をほんの少し振り返ると、その政治性に気づかされますね。

当たり前だと思っていることを疑う重要性をあらためて感じます。


講演会の記念品。ぴかぴかのしおり。