ご縁をいただいたのは昨年11月に依頼された佐渡ツアーのコーディネートでした。そこに「飯能未来フォーラム」の沓澤行廣さん、伊藤恵里子さんが参加しており、その時わたしが持参していた『Life-mag.』を購読いただいたのがきっかけです。
ツアー後、しばらくして連絡をいただきましたが、馴染みのない土地であり、まだ関心も薄いため「難しいです」と返信させていただきました。しかし、「一度、見にきてもらいたい」と再度、声をかけていただき、今回の訪問となりました。
21日に定例会があり、東京農大教授の木村俊昭さんの講演もあるとのことで、そこに合わせて遠征してきました。木村さんの講演とワールドカフェによる飯能の魅力の再確認が行われました。
木村さんの講演タイトルは「地域創生 成功の方程式はあるのか?」。以下、わたしが箇条書きにしたメモです。
・地域創生は地元住民が主役、行政は黒子
・情報共有、役割分担、出番創出
・広聴、傾聴、対話の継続実施が必要
・(3ヶ月+3ヶ月+6ヶ月+6ヶ月)×2回=3年で結果を出すべき
・行動計画を立てるにも考える順番を間違うな
・町の主産業はなんなのか把握しろ、その上でどんな業種で起業してもらいたいか、企業誘致もターゲットを絞って行え
などなど。
その後、ワールドカフェがあり、懇親会となりました。翌22日は「にこにこハウス」でお昼を食べて、飯能河原を散策して、帰ってきました。
はじめ打診をもらったときにわたしが提案した構想はこんな感じでした。
・飯能市の「森林文化都市」宣言を掘り下げる。林業者、マタギ、炭焼き、養蚕などに関わる人。
・入間川、高麗川の環境や歴史、流域文化に関わる人。
・「自由の森学園」の先生や学生で面白い取り組みをやっている人。
・固定種の販売を行っている「野口種苗研究所」野口勲さん。
・飯能の土産(どさん)品。
...などでした。
しかし、懇親会で地元の人から話を聞いて興味を持ったことは、「高句麗文化圏」としての飯能です。
しかし、懇親会で地元の人から話を聞いて興味を持ったことは、「高句麗文化圏」としての飯能です。
朝鮮半島北部にあった「高句麗(こうくり)=別名:高麗(こま)」という国が滅亡に向かうなか、多くの高麗人が日本に逃れてきていました。そして716年、大和朝廷は関東一帯に住んでいた高麗人1,799人を集めて、武蔵国(むさしのくに)に高麗郡(こまぐん)を設け、そこに住まわせたのです。それが現在の日高市、飯能市にあたります。
日高市にある高麗神社は、当時の高麗人のリーダーであった高麗王(こまのこきし)若光(じゃっこう)をお祀りしています。また、鶴ケ島市にある白鬚(しらひげ)神社も高麗人たちが築いたものといわれ、「脚折雨乞(すねおりあまごい)」という行事が残っています。そして、今年2016年は高麗郡建郡から1300年の節目の年で各種イベントも開催されているようです。
行政区画をまたぐことになりますが、そういった歴史から浮かび上がってくる人を取材してみたいです。高句麗文化圏、または高麗川/入間川流域文化圏としての飯能地域を取材編集できたらなと思いました。
ただ「飯能未来フォーラム」は農山漁村振興交付金事業のなかでの活動でもあるので、予算や条件もあります。わたしの好奇心だけではもちろん進めることは不可能で、フォーラムの中心メンバーや地元の方々の要望、行政予算の目的や狙いもあるでしょう。訪問後わたしからも再度、条件を提示しましたが、やはり簡単ではなさそうです。
どうなるかは不透明ですが、せっかくのご縁と活動の記録と思い、ブログで紹介させていただきました。
22日のお昼に訪ねた「にこにこハウス」スタッフの皆さん。代表は佐藤智恵美さん(左) 精神障害をもっている方々の雇用創出、交流活動を行っています スタッフの皆さんも明るく迎えてくださいました |
ランチは地元の方々で賑わっていました 西武鉄道OBの方や地元作家の方ともお話させていただきました |
名物カツカレーを注文 また行きたいです |
21日定例会の様子 |
ワールドカフェの様子1 |
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21日夜の懇親会 |