読みながらその情景がありありと目の前に広がっていく描写のうまさ。ぐいぐいと引き込まれた。
物語が父権的な展開にならずに、母系的な展開だと感じた。私の思う父権的というのは、読み手に単一の解釈を与えるような意味。反対に母系的とは、読み手ひとりひとりの解釈の自由度を包み込むような意味。
隙間時間などの気分転換にオススメですよ〜。
読書メモ
─────『1973年のピンボール』村上春樹(講談社文庫)の冒頭
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見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。
一時期、十年も昔のことだが、手当たり次第にまわりの人間をつかまえては生まれ故郷や育った土地の話を聞いてまわったことがある。他人の話を進んで聞くというタイプの人間が極端に不足していた時代であったらしく、誰も彼もが親切にそして熱心に語ってくれた。見ず知らずの人間が何処かで僕の噂を聞きつけ、わざわざ話しにやって来たりもした。
彼らはまるで涸れた井戸に石でも放り込むように僕に向かって実に様々な話を語り、そして語り終えると一様に満足して帰っていった。あるものは気持良さそうにしゃべり、あるものは腹を立てながらしゃべった。実に要領良くしゃべってくれるものもいれば、始めから終わりまでさっぱりわけのわからぬといった話もあった。退屈な話があり、涙を誘うもの哀しい話があり、冗談半分の出鱈目があった。それでも僕は能力の許す限り真剣に、彼らの話に耳を傾けた。
理由こそわからなかったけれど、誰もが誰かに対して、あるいはまた世界に対して何かを懸命に伝えたがっていた。
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─────『羊をめぐる冒険』村上春樹(講談社文庫)より印象に残った部分
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僕は羊が羊博士を離れたあとの話をした。羊が獄中の右翼青年の体内に入ったこと。彼が出獄してすぐに右翼の大物になったこと。次いで中国大陸に渡り、情報網と財産を築きあげたこと。戦後A級戦犯となったが、中国大陸における情報網と交換に釈放されたこと。大陸から持ち帰った財産をもとに、戦後の政治・経済・情報の暗部を掌握したこと、等々。
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┏「私も時々何かを探すことができればと思うんです」と支配人は言った。「でもその前にいったい何を探せばいいのかが自分でもよくわからないんです。私の父親はずっと何かを探しつづけてきた人です。今でも探しつづけています。私も子供のころからずっと父親に、夢に出てきた白い羊の話をきかされてきました。だから人生というのはそういうものなんだと思いこまされてきたんです。何かを探しまわることが本当の人生だという風にです」
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┏そんなわけでこの開拓地にはその後しばらく名前さえなかった。六十キロ四方に人家のない(あるいはあったとしても交際を望んでいない)部落には名前などそもそも不必要なのだ。明治二十一年に道庁の役人がやってきて開拓民全員の戸籍を作り、部落に名前がないのは困ると言ったが、開拓民たちは誰も困らなかった。それどころか開拓民たちは鎌やくわを持って共同小屋に集まり、「部落には名前をつけない」という決議まで出した。役人は仕方なく、部落のわきを流れる川に十二の滝があったことから「十二滝部落」と名付けて道庁に報告し、それ以降「十二滝部落」(後に十二滝村)はこの集落の正式名称となった。しかしもちろんこれはずっと先の話である。明治十三年に戻ろう。
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┏「なぜ最初から場所を教えてくれなかったんですか?」
「君に自発的に自由意志でここに来てほしかったからさ。そして彼を穴倉からひっぱりだしてほしかったんだ」
「穴倉?」
「精神的な穴倉だよ。人は羊つきになると一時的な自失状態になるんだ。まあシェル・ショックのようなもんだね。そこから彼をひっぱり出すのが君の役目だったのさ。しかし君を信用させるには君が白紙でなくてはならなかった、ということだよ。どうだい、簡単だろう?」
「そうですね」
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